第二章 離れがたき愛の底

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 メサニフティーヴは悩んだ。  竜の魂を月に導くのが、フェガリヤの使命。  そして妹を手助けするのが、自分自身に課した使命。  妹が背負っているのは、あまりにも大きな使命だ。だからこそ、妹のための武器となり、盾となる。翼を使って足にもなる。危険な『戦竜機』及び『屍竜』を大人しくさせ、彼女の導きに耳を傾けるようにする……。  それ故、湖に『屍竜』がいるのならば、引きずり出すのがメサニフティーヴの使命となる。  だが、まず湖の底から引きずり出すと言っても、簡単な事ではない上に、これほど巨大な相手だ。引きずり出そうと潜ったところで、逆に自分が呑み込まれるだろう。  では向こうからこちらに出てきてもらえばいい。 「どうにか攻撃を仕掛けて、引きずり出してみるか?」  『屍竜』というのは、見た目が醜悪であり、死と腐臭を放つ存在であるものの『戦竜機』に比べればずっと大人しい性格だった。思考を失った彼らは、ただ死を振りまきながら彷徨うのみ。見たものを「敵」と認識して攻撃してくることはない。だがそれも、こちらが攻撃しなければの話。攻撃を仕掛ければ、反応するかのように『屍竜』は襲いかかってくるはずだ。  その習性を利用すれば、あの巨体を水中からおびき出せるかもしれない。それが黒い竜の考えだった。おびき出して、地上で戦えばいい。あの巨体だ、恐らく相手は空を飛べない。空から攻撃し、弱らせていけばいいのだ。  だが、いまは静寂を取り戻した湖のほとり、フェガリヤは頭を横に振った。 「地上であっても、あれを相手にするのは、非常に危険だと思います……あれほどの大きさ、何をしてくるかわかりませんし……引きずり出して戦ったところで、弱らせるのは相当難しいと思います」  湖の底に潜んでいた『屍竜』達は、再び眠りにつくかのように沈んで息を潜めている。こちらに気付いているのか、いないのか。  フェガリヤは続ける。 「できれば戦いを避けたいところです」 「だがどうやって子守歌を聴かせる? お前の歌を聴く気がなければ、月には還れない……」  だからこそ、普段は弱らせ動けなくして、歌に耳を傾けさせる。 「端から弱らせていくしかないだろう……私は出来る限りのことをするよ」  そうするしかないとわかれば、メサニフティーヴは巨大な敵と戦う覚悟を決めていた。  どんなに強大な敵であっても、命を賭して戦うこと。それは、この旅に出た時から覚悟していたことだった。 「……私は、兄様に無理をしてほしくはないのです。だからどうか、別の方法を試しましょう」  と、フェガリヤはしゃがみ込んだかと思えば、インクよりも濃く、死と闇を煮詰めたような水面に手を伸ばした。白い手はたちまちぬるりとした黒色にまみれ、腐臭が強く鼻を刺す。かすかにフェガリヤは顔を歪める。しかし湖を見据えたまま、 「ところで兄様。あの『屍竜』達、兄様は、どうして急に動いたのだと思いますか?」 「言われてみれば、本当に突然動き出したな。動かなければ、何もいないと思い明日にもここを旅立っていた……何故、急に動いたのだ? 『戦竜機』が吠えているのには、反応していないように思えたが」 「私には……子守歌に反応したように思えました」  確かに、湖が波打ちだしたのは、フェガリヤが子守唄を歌い終えた直後のことだった。  その前まで『戦竜機』が何度も威嚇の咆哮を上げていたが、まるで居留守でもするかのように、彼らは無反応だった。  フェガリヤは考える。 「……『屍竜』の中には、ぼんやりと意識が残っているものもいます。そしてあれだけの集合体、個々のかすかな意識が集まっている可能性があるのではないでしょうか」 「そのために、歌が聞こえて姿を現したと?」  銀の少女の歌声は、竜を癒すもの。  その歌声がただの歌声でないことを、メサニフティーヴはよく知っていた。妹は、その使命を自覚し旅に出る前から歌がうまく、また不思議なことに歌声には竜を惹きつけるものがあった――。 「もし、彼らに歌を聴く気があるのなら、月へ還すのは簡単です……歌えばいいのです、きっと、聴きに出てきてくれるでしょう……」  妹は立ち上がり、微笑む。  だが兄は、もし、を考えずにはいられない。 「危険な賭けではないか?」  先程だって、あの場に留まったままだったのなら、湖に呑み込まれていたかもしれなかったのだ。もしフェガリヤが勘違いをしていたのなら。 「やってみます」  けれどもフェガリヤに怖がっている様子は一つもなかった。  彼女はただ、使命に燃え、優しさを抱いていた。 「兄様。何かあったのなら、私を助けてください。けれども戦わないで。何かあったのなら、私を連れて、逃げてほしいのです」
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