第一章 竜と少女と子守唄

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 間違いなく、昨晩見た、あの黒い竜だった。生きた竜。それがまた姿を現し『戦竜機』と争い始めたのだ。  何故、と、考える余裕はなかった。ただこの隙に、逃げなくてはいけないとだけ思った。槍を杖のようについて、身体を起こす。しかし。 「――何を、やって……!」  生き物の悲鳴が聞こえて顔を上げると、黒い竜の身体に『竜血鉄』の槍が一本刺さっていた。  すぐ横には泡を吐きながらも起き上がったのだろう、仲間が一人いた。 「生きた竜だ!」  彼は喉を苦しそうに鳴らしながらも、興奮した様子で叫ぶ。 「『戦竜機』も狩ってこいつも狩れば……俺達の生活を、街の生活を、より守れる……!」  そこまで叫んだところで、彼の身体が吹っ飛んだ。『戦竜機』の長い尾が払った。彼の身体は布きれのように飛び、樹にぶつかったかと思えば落ちる。首がおかしな方向に曲がっていた。  続いて再び悲痛な悲鳴。『戦竜機』の声ではない。黒い竜のものだった。片翼の付け根、そこを『戦竜機』に噛まれていた。けれども黒い竜は痛みにもがき暴れることなく、ならばと言った様子で自身も『戦竜機』の翼の付け根に牙を立てる。  そうして両者は膠着状態となった。しかし辺りを満たすのは毒。黒い竜の、深い緑色の瞳が徐々に弱っていく――。  気付けばゲルトは走り出していた。毒への応急処置薬を飲んで。槍を強く握って。漂うガスを裂くように『戦竜機』へ向かって、槍の切っ先を突き出した。  『竜血鉄』は鱗を割るとは知っていた。それにしても易々とその巨体に突き刺さったものだから、ゲルト自身、驚いた。二本目の槍を受けて『戦竜機』が悲鳴を上げる。  その瞬間、自由になった黒い竜は体当たりをして敵を突き飛ばした。茂みや低木を巻き込みながら『戦竜機』は倒れる。  黒い竜は追撃しようとしたが、一歩踏み出したところで、苦しそうに喉を鳴らした。漂う毒は、人間だけではなく、竜すらも蝕む。 「やめておけ! 死ぬぞ!」  思わずゲルトが叫べば。 「――そうです兄様! こ、これ以上は、危険です……! 一度、一度退きましょう……!」  それは、まだ幼さが残っている少女の声だった。  上からした。上から――黒い竜の背中から。 「しかし、いまなら奴を仕留められる……!」  黒い竜は、その瞳で敵を睨み続けていた。ところが激しく咳込む。 「仕留めたところで兄様が死んでしまいます……!」  と、少女の声も、咳込み始めたかと思えば、苦しそうに喘ぎ始めた。途端に竜が目を見開く。 「フェガリヤ……?」  その間に『戦竜機』が起き上がっていた。地面を蹴れば、巨体はまるで重さがないかのように飛び上がり、襲いかかったのは。 「――あ」  ゲルトだった。 「――危ない……!」  だがゲルトの目の前にぼろぼろの布切れが割り込む。抱き付くようにしてゲルトを突き飛ばし、共に転がる。  温かさを感じた。何としてでも守ろうとする、強い意思を秘めた腕が、身体を抱きしめてくれていた。  獲物を逃した『戦竜機』が、もう一度跳びかかってくる。けれども今度割り込んだのは黒い竜だった。鳥のように滑り込んできたかと思えば、口を開き、白く輝く炎のような息吹を吐く。それに触れた瞬間『戦竜機』はひどく驚いたらしく、黒い竜から距離をとって逃げていく。  黒い竜は『戦竜機』を追わなかった。口をわずかに開いたかと思えば、器用にゲルトとぼろぼろの布に包まれた何かを牙に引っかけ、そのまま四足で森の中を駆けていく。  毒ガスが薄れていく。『戦竜機』から離れていく。  そして竜が飛び込んだのは、洞窟だった。竜の身体は大きいものの、ぎりぎり入ることができるほどの入り口。ある程度進んだところで、やっと竜は下ろしてくれた。布に包まれた何かは、そっと下ろされる。ゲルトも冷たい地面の上に転がされ、すぐに起き上がった。  そうしてやっと見た。誰が自分を助けてくれたのか。  ――ぼろぼろの布きれ。それを纏っていたのは、十代半ば程であろう少女だった。苦しそうに息をし身体を震わせ、目を固く瞑っている。  しかし薄暗い洞窟の中、銀色の長い髪だけは、きらきらと輝いていた。
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