第一章 竜と少女と子守唄

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 * * *  竜に誰かが乗っていた、という話は、幻覚として片付けられた。  だから、黒い竜と銀の少女の兄妹に出会ったという話も、信じてはもらえないだろう。  ましてや、その少女に不思議な力が備わっていたなんて話せば……お前には物語を書く才能があるんじゃないか、と揶揄られるかもしれない。  ――いま、自分でも夢を見ているのではないかと思うほどなのだから。  しかしまだ完全に解毒が終わらない呼吸に、苦しさは残っている。慣れない運動を強いられた身体は、痛みを纏って疲労を訴えている。  竜の身体は思っていたより温かかった上に、銀の少女の体温は人間のものそのものだった。  感覚が告げている。夢ではない、と。 「……奴がいるな。お前、死にたくなければいまは外に出ない方がいい。日も沈んでしまったようだしな」  黒い竜にそう言われたのなら、ゲルトははいと答えて洞窟の中に座っているほかなかった。  聞きたいことは沢山あったが、沢山あり過ぎてゲルトは黙って奇妙な兄妹を眺め時間を過ごすしかなかった。仲間は無残に死んでいった。しかしいまは悲しみすらも忘れてしまった。昨晩から過酷な戦いをしてきたにもかかわらず、眠気がない。まさに、夢の中にいるようだった。 「竜を月に還すことが、私の使命なんです」  ぼうっとフェガリヤを眺めていると、彼女は心を見透かし疑問を一つ拾ったかのように答えてくれた。微笑んではいたが、赤色に染まった外に視線を向ければ、銀色の瞳は強い意思に燃える。 「……あの『戦竜機』も還さなくてはいけません。あの子も苦しんでいるから。ただ今回は……相手がとても強かった」  ごめんなさい、と、突然彼女は謝った。 「昨日の夜で、終わらせるつもりだったんです。でも、強くて……」 「――ところでフェガリヤよ。何故、毒で苦しいと言わなかったのだ? あの毒がお前を苦しめるものだと気付かなかったことは、謝ろう。兄として気付けなかったこと、それは私の怠慢だ。しかし何故、一言も言ってくれなかったのだ? せめて、言ってくれていたのなら……」  ふと思い出したようにメサニフティーヴが尋ねる。フェガリヤはぎくりとしたように顔を一瞬強張らせ、すると兄は諭すように目を細める。 「ああ、わかったぞ……お前は、自分が耐えていればよいと思ったのだな?」 「……はやくあの子を助けなくてはいけなかったので。あの毒、兄様にはあまり効かないのだとわかりました……だから、私が耐えていれば、戦いに集中できる、と……」 「……私はとてもお前のことを心配していると言うのに」  そこまで聞いて、メサニフティーヴは深く溜息を吐いた。 「……仲が、いいんだね」  眺めていてゲルトが思わず呟くと、フェガリヤは嬉しそうに微笑んでくれた。そして一瞬視線を下に落として。 「少し……疲れました。兄様、それから……ゲルト、さん。勝手で悪いのですが、少し休んでもいいでしょうか……」 「ん? ああ……ああ……」  激しい戦いだったのだ。そしていまはもう夜。休みたくなるのは、当たり前のこと。 「眠りなさい、フェガリヤ。私が周囲を気にしておこう……」  メサニフティーヴもそう言う。フェガリヤは兄の足元で丸くなった。  少しして、かすかな寝息が聞こえてくる。もしかすると、相当疲れていたのかもしれない――先程光り輝いていたが、あれは体力を使うものなのかもしれない。  ――彷徨う竜を月に導くため、旅をしています。  竜。月。  ――月は竜の心。  ふと、ゲルトは子供の頃に聞いたお伽噺を思い出し、思わずメサニフティーヴを見上げる。  ……深い緑色の瞳は、ぎらぎらとこちらを睨んでいた。まだ警戒している。『戦竜機』とは大きく違った瞳だが、捕食者のような瞳に、ゲルトはわずかに悲鳴を上げてしまった。  幸い、フェガリヤは起きなかった。 「……私の妹に余計なことをするなよ、人間」 「はい……」  膝を抱えて時間を過ごすしかなかった。  相変わらず、聞きたいことは多すぎて聞けない。そしてまるで脳が拒むかのように、上手く物事が考えられない。一種の混乱に陥っていた。だがそれは不安を伴うものではなく、だからこそ、夢の中にいるような感覚があった。  ただ一つ。膨れ上がる想いが。  ――帰りたい。  ようやく思い出したかのように、疲労が不安と共に内から湧いてきた。  帰りたい。わけがわからない。一体何がどうなっているのだ。  ……みんなは、どうしているだろうか。  自分のグループは全滅した。他のグループは無事だろうか。  ……街は、無事だろうか。  妹の顔が脳裏をよぎる。  今頃、自分は死んだと思われているのだろうか。  彼女は唯一の家族だった。変わり者……であることは否定できないが、可愛い妹だった。  作業場に作りかけの服を置き去りにしてきてしまった。彼女のための、新しいドレス。  好奇心が強すぎて、恐怖を知らないようなお転婆。新しい服に、いつも喜んでくれた――。  生きて帰ろう。  疲労と不安の底で、火が燃える。  わけのわからない状況だが、生きて帰らなくては。
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