車窓の彼方から

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車窓の彼方から

 十年近く住んだ王都から離れること、二週間。  数十の騎馬と五台の箱馬車。  それぞれに荷物と神殿騎士たち、そして、私と侍女たちが分乗して、旅に出た。  グレイスター辺境伯領は、北の山岳地帯と大森林の合間に位置する、王国の北の要害だ。  そこを任されている当代の辺境伯はまだ若く、二十代後半。  私は、毎年冬に開催される女神様への奉納祭で彼とは何度か顔を合わしていた。  グレイスター辺境伯アレクセイ・スヴェンソン。  背は私よりも頭二つは高く、体格は神殿騎士でも有数の武人、アーガイルと同等か、それ以上に鍛えているという印象があった。  あの土地に住む民族独特の赤銅色の肌と栗色の髪、一重で常に眠たそうなその瞼の下には、狩りを楽しむ男たち特有のどこか野蛮で、命を賭けて戦いを楽しむような危険な紅の瞳が輝いていた。  昨年あった時も挨拶はそこそこに、女性に対する物腰は柔らかかった。  けれど、戦場ではないのに、獲物を追い求めるその視線が、周囲の男性陣を油断なく探っているように見えて。  まさか彼は、会場にいる貴族の誰かに命でも狙われているのかと思い確認をしてみたら、なんと、驚きの返事が返ってきたことを覚えている。  なんと、彼は社交界での時間よりも、その後に待っているポーカーのことを考えていたのだ。  祭りの後に待っている貴族たちの賭け事の席に早く行きたいと言い出したのだから、呆れるしかない。 『よくそんなことを恥ずかしげもなく言えますね』  と訊いたら、 『己の保身のために国王陛下に献身的な貴族たちよりは、まともな生き方をしているつもりです』  なんて返事が返ってきた。 『私の戦場は辺境にありますが、政治的な駆け引きを行うためにこんな場所に来ているわけではない』 『ならあなたはなぜここにいるんですか』 『一つは女神様にご挨拶するため。一つは‥‥‥これは毎月のことですが、国王陛下に辺境の様子を伝えるため。最後の一つは、数少ない学友たちと交流するためですよ』 『ああ……。卒業生なのですね、あなたも学院の』 『その通り。祭りの後に彼らと行うポーカーの席は、私にとって数少ない人生の楽しみの一つなんです。女性と語り合うよりもよほど、楽しいことが待っている』  つまり、私と会話することは望んでいない。  そういう意味だと受け取って、あのときは挨拶もそこそこに別の貴族たちとの交流に場を移したものの‥‥‥。 「あの土地に入って本当に歓迎されるのかしら?」  そんな不安が頭の片隅をよぎる。  どんな貴族だって、聖女との会話は大事にするものだ。  自慢ではないけれど、王族とともに、私は王国の中枢にいて、彼らと昵懇の間柄だった。  その私と会話をすることは時間の無駄だってぬけぬけと言われたのだから、呆れ果てたものだ。  とはいえ‥‥‥。 「その仲良くしてきた連中の一番身近だった存在に裏切られたのも、私だし」 「なにか?」  移動する車窓から見慣れない岩山の景色を眺めてそう呟くと、侍女の一人が訊いてきた。  赤髪のまだ若い彼女は、気立てがよく、色々なことによく気が付く子だ。  この馬車での移動の最中も、私が不自由しないように気をつかってくれる。  しかし、この旅に参加することが、彼女の初仕事らしい。  ポーツマス大神官の姪だという話だったけれど、今一つ、距離感が掴めずにいた。 「ああ、なんでもない。ありがとう、リーレ」 「そうですか。裏切者、と聞こえたものですから」 「……いい耳ね。忘れなさい」 「はい、マルゴット様」  余計なことを言ったと彼女の顔が曇ってしまう。  しかりつける気はなかったのに、そんな顔をさせてしまった自分を少し恥じた。 「あなたが悪いわけではないわ。こんな近い距離なら、聞こえて当然だものね」 「いえ、勝手を申しました」  リーレはそう言い、俯いてしまう。  残念なことに、頭から被っているベールのせいで、その横顔をうかがい知ることはできなかった。  王国の貴族の女性や、その付き人になる女性の多くは、旅行をするときには顔を隠す習慣がある。それは、ベールでもいいし、スカーフを被る女性もいる。  中には丸い鍔の広がった帽子を被り顔を隠す女性もいるけれど、この習慣を好きだと思ったことはあまりない。  とにかく夏場が暑いし、理由が不明瞭だからだ。  歴史と伝統という学者もいれば、王都は女神様のおひざ元だけれど、遠くに行けば行くほどその恩恵から身を離してしまうから、顔を隠して魔から身を潜めるのだと叫ぶ神官もいる。  どちらにしても、太陽のもとに素顔を晒せないようなこの行為は、逆に女神を避けるようにしているのでは? と私は思うのだけれど。 「そんなこと、言ったら絶対に神学者が黙っていないわね」 「聖女様、また」 「あー……。あなたも聞かなくてもいいのに」 「いえ、大神官様からあまり目を離すなと、申し付けられておりますから」  私は監視が必要な猛獣か犯罪者か、なにかかな?  王都に戻ったら、必ずポーツマスに一言、文句を言ってやろうと心に決める。  それから、やっぱりこの子も、あの婚約破棄宣言の揉め事を耳にしているのね、と心でため息をつく。  あのクソ王太子殿下、私に婚約破棄をされたことで、国王陛下から王位継承権をはく奪されたのだとか。  王位継承権を持つ者が王族であって、忌々しいあの男は自分のミスで王族から追放されたことになる。  今では公爵位に格下げされ、王宮の離宮で幽閉生活を一生送るようになったのだ、と数日おきにやってくる連絡係から受け取った大神官の手紙には、そう書いてあった。  とはいえ、私の発言を撤回するつもりはないらしく、それは神殿の運営に携わる司祭たちを交えた会議でも支持を受けたと書いてあったから、国王陛下は今頃、生きた心地はしていないはず。  その割に私はまだ呼び戻されない。  さて、これはどういうことなのか。  例の新興貴族と王弟殿下の策略が王都では渦巻いている予感がするものの、国王陛下がもし追いかけてきて、平身低頭、謝罪したとしても受け入れるつもりはなかった。  聖女不在、さらに、神殿とは縁を切られた王族がどうなろうが、私が知ったことではないのだ。  でも、どことなく民を見捨てたような発言になってしまった気もしないでもない。 「……ねえ」 「は? あっ、はい!」  私は、まだ俯いたまま顔を上げないリーレに声をかけた。  彼女は私なんかより、余程、民に近しい。  あの一件から少しして王都を逃げるように抜け出したものの、それでも幾人かとこの話題で盛り上がったかもしれないし‥‥‥民は私の言葉になにを感じたのだろうと、知りたい欲求に駆られてつい、声をかけてしまった。 「あなたも聞いているわよね、私と殿下の間になにがあったかを」 「いっ、いえ。何も耳にいたしておりません。なにも‥‥‥」  と、一旦顔をあげた彼女は私の質問に顔を青くして、また俯こうとする。  そんな反応はいらないのだけれど。  やっぱり、大神官がこの話題に触れるなと命じているのかもしれない。  そうだとしたら、聖女の権威を振りかざして無理やり聞き出すのも、どうかと思ってしまう。 「そう‥‥‥」  と、自分の行いがなんだか虚しくなって外に目をやろうとしたら、いきなりリーレは小さくしゃべり出した。 「みんなは、その‥‥‥みんなっていうのは、神殿の女官とか巫女たちですけれど。みんなは聖女様がお可哀想だと、そう申しております。わたしも、そう‥‥‥で、ございます」 「可哀想、なんだ。そっか、そうねー‥‥‥婚約破棄された情けない女だもの」 「いえ、そんなことは!」  リーレはちょっと語尾を強めて否定した。  その頬が、赤く染まって見える。  彼女も勇気を出して答えてくれたのかな、と思うとちょっと嬉しくなった。 「そんなことは?」 「あり、ませ‥‥‥ん。叔父も申しておりました。あのようなことになったのは、お側近くにおりながら殿下の心変わりに気づけなかった自分たちにも、問題がある、と‥‥‥すいません、どうかお忘れください」 「……忘れるわ。ついでにポーツマスに文句を言おうと思っていたけれど」 「ひっ、それはーっ」 「しないわよ。もう忘れた。殿下も陛下もいまはどうでもいいの。みんなに迷惑をかけて後始末をさせているのに、私だけここにいるのが、とても申し訳ない。ただ、それだけよ」 「聖女様‥‥‥」  侍女はそのようなことでお心を痛めないでください、なんて一言をくれた。  でも、やっぱり気になるのです。  王都は王都で。  辺境は辺境で。  それぞれ、いろいろと思惑が動いている中、私もその駒の一つにされているのだなあ、なんて思うと。  あと二日ほどで着く、グレイスター辺境伯の城、アロンゾ城では果たして歓迎されるのか、それとも冷遇されるのか。  車窓から見える北の空が曇り出したように、なんとも、心が重くなるのでした。
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