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 兼高かつらは、高級ラウンジで働いている。  天橋律は、このような店とは今まで縁がなかった。場違いな雰囲気に委縮して、借りてきた猫のように縮こまってボックス席に座っていた。隣には、ホステスなのに威圧感たっぷりの兼高かつらが座っている。 (思っていたのと違う……)  彼女は、想像していたホステスらしさがなかった。店内なのに大きなサングラスを掛けて、ふてぶてしく足を組み、ずっとタバコをふかしている。  格式高いラウンジの中でも、彼女は異彩を放っていて、まるで女スパイのようだった。  それがまた、天橋律の緊張に輪を掛けていた。  直視するのも恐ろしく、チラチラと盗み見した。見れば見るほど、この人のいるべき場所はここではないだろうと思った。  かつらは、隣で黙りこくっている天橋律に注文を聞いた。 「何を飲む?」 「ああ、うう……」  緊張しすぎで口が渇き、まともに口が回らなくなっている。いっそ酔ってしまった方が楽かもしれない。 「水割り」 「ボトル入れる? 何がいい? あそこに並んでいる中から選んでよ」  天橋律は、促されてバーカウンターの後ろに並んだボトルのラベルを眺めた。  たまたま目に留まったラベルを何気なく口にした。 「えーと……、タリスカー……」 「10年と18年があるけど」 「18年……」 「タリスカー18!」  まだ決めたつもりはなかったのに、黒服が恭しく白手袋で持ってきてしまったので言い出す機会を失う。 「こちらになります。ご確認をお願いいたします」  本当は何も目に入ってこなかったが、形だけラベルを確認した。 「これでお願いします」  これはきっと高価なのだろう。そう思ったが、見栄を張ったこともあって、そのまま受け入れた。  かつらが黒服からボトルを預かると、手慣れた感じで開封して、グラスに注ぐ。もう断れない。トクトクトクと心地よい音がして、かつらが手際よく水割りを作り、両手を添えて手渡した。 「どうぞ」 「ありがとう」  それを一気に飲み干した。  スモーキーな香りと黒コショウのような刺激が特徴のタリスカー。液体が心地よく、喉から食道まで焼け付くように流れていく。  一気に飲み干して、空になったグラスをドンとテーブルに置いた。 「お代わり!」  かつらは、驚きつつすぐに2杯目を出した。それも頑張って飲んだ。 「ピッチが速いんじゃない?」  優しい言葉を掛けてきたので驚いた。逆にもっと飲ませられるかと思っていた。アヤちゃんの店ではそうだった。たくさん飲むほど喜ばれた。ここでは違うようだ。 「私もドリンクを頂いていい?」 「どうぞ」 「タリスカー18は高価だから、他のにするね」 「え? いいのに。どうせ飲み切れないから」 「いいの。余計なお金を使う必要ない」  かつらが安いドリンクを注文するのを見て、なんて気遣いの出来るいい子じゃないかと見る目が変わった。見た目で判断して、必要以上に恐れていた自分が間違っていた。 「あの、今日来たのは、君に聞きたいことがある」 「アヤちゃんのことでしょ?」 「え? なんで?」 「……」  かつらは、タバコを深く吸うとフーと煙を吹き出した。 (何だろう。とてもミステリアスだ)  ただ者ではないことだけは分かった。 「私が知っていることなら、教えられる」 「そんなに簡単に教えてくれるのか?」 「フフ」  驚く天橋律に、かつらが軽く微笑んだ。その笑顔に天橋律はドキリとした。 「これをエサに、あなたからお金を引っ張ろうとしているとでも思った?」 「うん、まあ。逆にそうしないのかなと」 「真剣に捜しているんでしょ。そういう人には、こちらも真面目に応じてあげるのがマナーってものだから」  物分かりが良くて誠実な態度に、先ほどまでの警戒心はどこへやら、天橋律の心はガッチリ彼女に掴まれた。  かつらが新しいタバコに火を点ける。  客より吸うホステスだけど、今はそれすら魅力的に思える。 「正直に教えてあげるけど、アヤちゃんに幻滅しないでほしいの。それだけは約束して」 「わ、分かった! 大丈夫だ。僕はアヤちゃんを信じている」  幻滅すると前置きされたことで、天橋律の頭の中では、いろんな想いが駆け巡った。 (アヤちゃんは、人を騙すような子ではない。だけど、この人が言うのなら、それは本当なのかもしれない。そうだとしても、嫌いになることはない!)  心の支えはアヤちゃんしかいないのだ。   「僕は何も知らない。彼女の本名も、どこに住んでいるのかも。彼女自身を好きだから、今まで聞いてこなかった。でもそれじゃダメなんだと分かった。彼女に関することは、何でも教えて欲しい。本当に男がいたとしても、僕は受け入れる。それについて、どうこう言うつもりはない」 「男らしくて素敵」  天橋律は、その一言にズンと胸を射抜かれた。  そんな言葉で褒められたのは、生まれて初めてだった。
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