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「……」
死神が喜予の手を払いのけて抱擁を拒絶した。
「俺の前では、羞恥心なんてかなぐり捨るんだ。全部、受け入れるから安心していいよ」
甘い言葉を口にしながらも、(そもそも、死神に羞恥心ってあるのかなあ)と考えた。
「俺は、君に出会ってから、死神に対するイメージがすっかり変わってしまったんだ。それほど、君との出会いは衝撃的だった」
一生懸命に口説いていくが、一切無反応で手ごたえがない。それどころか、死神は無言で小鎌の刃を喜予ののど元に突き付けてきた。
「ほらほら、そんなものは俺たちの間には不必要だよ。早く捨ててよ」
喜予が小鎌の持ち手を掴んで奪おうとすると、そのことに激昂したのか、死神が暴れ出した。
「サングルスちゃん、落ち着いて」
喜予は、必死に抑え込もうとしたが、実体のない死神は掴みどころがなく、するりと腕の中から抜け出して馬乗りになってきた。
「俺には分かる。サングルスちゃんは、根は優しい子なんだと」
いつか伝わるはず。喜予は、諦めずに歯の浮く台詞を吐き続けた。
「鈍感!」
喜予を叱るサングルスの声がした。
「あれ? サングルスちゃんの声が後ろから聴こえてきた?」
死神が振り向きざまに、誰もいない空を小鎌で斬った。ジャキーン!と、鋼と鋼の交わる音がして、死神が喜予から飛びのいた。
喜予の目には、死神が2体視えた。
「あれ⁉ どうなっているんだ?」
新たに現れたのは、壊れたドクロの一部だけが顔に掛かったサングルスであった。
「サングルスちゃんだ! あれ? じゃあ、こっちは?」
「そいつは偽物だ! よく見ろ! 小鎌が違う!」
サングルスと死神の小鎌では、全体の細工が微妙に違っていた。
「違う!」
「お前、あいつに命を取られるところだったぞ!」
「ヤバかった。すっかり騙されていた」
喜予は、助けに来てくれたことに感謝した。
「俺のこと、心配して助けに来てくれたんだね」
「勘違いするな。お前の寿命を、みすみす他の死神に渡したくないだけだ。お前の寿命は我が貰う」
「うんうん。俺の寿命はサングルスちゃんにあげる。他の死神に渡したりしないよ」
「だったら、もっと警戒することだ!」
敵の死神は、小鎌を放り投げると、マントの下から見覚えのある大鎌を取り出した。
「来るぞ! 離れていろ!」
それからのサングルスと死神は、お互いの鎌を駆使した空中戦を繰り広げた。
ガチン! ガチン!と、刃のぶつかる音が続けざまに聴こえてくる。
「加勢しなきゃ!」
喜予は、敵の死神の隙を狙ったが、両者の動きが尋常じゃないほど早くて、くんずほぐれつグルグル回っているから、下手すればサングルスに当たってしまう。そのことを恐れて、結局手出しが出来なかった。
勝負がついたのは、間もなくだった。またサングルスが敵の死神を撃退した。
ハァハァと、肩で息するサングルスに喜予が抱きついた。
「また勝った! これで2度目だ! いやあ、強いなあ、サングルスちゃんは!」
「耳元でうるさい!」
せっかく勝利を熱く祝っているのに、冷たくあしらわれた。
「それと、お前の行動、ずっと気色悪かった」
「最初から見ていたの?」
「途中からだが、あまりに気色悪かったので、出ていくタイミングを見失った」
「人が悪いなあ。いや、死神が悪いなあ」
喜予は、アッハッハッと高笑いで誤魔化した。
「めげない奴だな」
「それが俺のいいところかもな。こんな俺、どう?」
「フン」
鼻であしらわれる。
「それにしても、ここまで執拗に襲ってくるとは思わなかった。これからも、同じような目に遭うんだろうか」
「そうだ。死神は、契約のためならなんでもやる」
「このままでは、いつか殺されてしまうじゃないか」
「そのために、我と契約したのだろう?」
「そうだけど……」
サングルスがあの死神を倒せば、今度こそ喜一の寿命を全て持っていく。全面的に頼ることは出来ない。喜予は、今更ながら契約の重みに頭を抱えた。
「死神とは、やはり安易に契約するもんじゃないな」
サングルスが冷たい笑みを浮かべる。
「我を全面的に頼れないと気づいたか。フフ……」
「冷たいなあ。突き放さないでよ」
あの狡猾な死神を毎回追い払うことは、自分にはとても難しい。
「どうすればいいんだ!」
「方法は、もう一つある」
「え? 何それ! 教えてくれるの!」
親切な死神だと感激した。
「天喜教団との契約を終了させることだ。我々死神は、あくまで契約に基づいて行動しているだけだからな」
「そうか。死神と天喜教団の契約が解消されれば、もう襲ってくる理由がない。逆に言えば、それまでは襲ってくるってことか。しかも、正攻法ばかりじゃないし、今みたいに、こちらを騙して命を取りに来ることもある。ところで、どうやって契約を終了させればいいんだ? 向こうの契約内容が分からないから、終了要件があるのかすら分からない」
「契約者の一方が死ねば、契約は強制終了する」
それはつまり、教祖が死ぬということだ。
「そうか。そういうことか。でも、それしかないよな」
喜一の命か、教祖の命か。
「人間ってのは、本当にエゴの塊だよな。自分が助かるために誰かが死ぬしかないなら、自分を選ぶ」
家族の命も、自分の命と同等の価値がある。
「教祖の死を願うのだな」
「これは仕方のない事だ……」
喜予は、自分に言い聞かせるように呟いた。
みっともなく言い訳する人間、命乞いする人間。他人を陥れる人間。極限状態に陥った人の醜い姿は、誰であろうが何百年経とうが変わらないと、サングルスは苦悶する喜予を眺めて思った。悩むだけ、彼はまだ人の道を外れていないのだろう。
「それまでは、一層用心しなきゃ。ヨシタカにも教えてやろう。サングルスちゃん、いろいろ教えてくれてありがとう」
喜予が名前を呼んだ時には、サングルスの姿はすでになかった。
窓の外が白々している。
「喜予ー、勤行の時間だぞー」
部屋の外から喜一の声がした。
その安心できる声に、自分は愚かな選択をしたが、悔いはないと悟った。
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