2/17
前へ
/55ページ
次へ
◇  洗濯部所属の陣屋ますみ(29歳)は、天喜の国での洗濯を一手に任されていた。  新入りの信者たちは、当初外から持ち込んだ私服を着ているが、やがてそれらは毎日の重労働でボロボロになってしまう。そうなると、支給された信者服を着る。その信者服を洗濯するのが、ますみの仕事である。  ほぼ全員の服を毎日洗濯する他、リネン類も洗濯するので、一日中洗濯機を回し、洗濯ロープに干して、取り込んでいかなければならない。かなりの重労働である。  何枚もの洗濯物が干されると、ロープが重さで(たわ)んでしまうので、そうならないように重心を両端に持ってこようとするのだが、どうしても真ん中が重くなって衣類が寄ってしまう。そもそも、全部干し切れない。  数着をハンガーで物干しスタンドに引っ掛けた。 「ふうー」  丸まった腰を伸ばして背伸びする。空は美しい。  昨日の夕方に洗濯した服がまだ干されている。それらを取り込めば空くので、次の洗濯物が干せる。  乾いていることを確認していると、女性幹部がやってきて名前を呼ばれた。 「陣屋ますみ!」 「は、はい!」  突然呼ばれたますみは、中断して急いで駆け寄った。  ここでは、名前を呼ばれたら何をしていても中断して駆け足で行かなくてはならない。そうしないと、長時間お説教されて、さらに折檻までされる。最悪の場合は、食事抜きとなる。  救いを求めて入信したが、その実態は、学校より窮屈で、刑務所より恐怖に支配された地獄のような場所であった。  しかし、そのような不満を抱くのも最初の内。やがて、支配されることに喜びを感じるまで洗脳される。  不満を口にすれば、信仰心が足りないと折檻される。だから、どんなに不満でも、表に出さずに笑顔を作る。それが優秀な信者の条件でもある。さらに、大事な昇格の条件となる。  ここでは、出世すればするほど、生活が楽になる。食べ物も良くなり、身なりも良くなり、与えられる部屋も良くなる。競争社会の縮図になっている。  例えば、洗濯部ならその中で、平からリーダーになり、グループ長になる。教団幹部がゴールで、そこまでいくためには与えられたお役目を全うしなければいけない。  そこで、上層部に媚びて取り入るものは多い。  ますみは、不器用で、心にもないことは言えないし、尊敬しているのは初代教祖のみなので、二代目に媚びることも出来ない。  こんな感じだから、ここにきて2年になるのに、一番の下っ端のままである。誰からも小ばかにされていて、名前も呼び捨てされている。  幹部は、教祖の衣装を恭しく手にしていた。 「本日は、特別に教祖様のお召し物をお(すす)ぎするお役目を授けることになった」 「はい!」  お濯ぎとは、洗濯の意味である。  教祖の身の回りの世話は、奉仕部が担当している。  この日は、奉仕部の一人が体調を崩して寝込んでいると、朝の伝達事項として聞いていた。それで、洗濯役がますみに回ってきたのだろう。  教祖関連で粗相をすれば、恐ろしい罰が待っている。  専任の洗濯担当は、案外、粗相をして、折檻で倒れているか、拘束されているのかもしれない  逆に言えば、これはチャンスである。うまくやれば、一番下から抜け出すことが出来るかもしれない。 「教祖様のお召し物は、絹製でとてもデリケートであるから、全てぬるま湯で優しく手洗いすること。お(きよ)めされた教祖様専用の物干し場を使うこと。今回だけ、特別に入場と使用を許可する」  お清めとは、教祖の摩訶不思議なパワーで穢れを払うことである。教祖の使用するものは、全てお清めされていて、一般信者が使用するものとは区別されている。 「はい。承知いたしました」  ますみは、緊張しながら教祖服を受け取った。  幹部から言われた通り、たらいで手洗いすると、軽く絞って、教祖用の物干し場まで持っていった。  そこは、一般用の物干し場から離れたところにある。  初めて入ったますみは、洗濯スタンドから洗濯ばさみ、何から何までメーカーの新品ばかりで驚いた。一般用の洗濯場は、廃材を使った信者たち素人の手作りで汚らしく、全然違った。 「やっぱり、教祖様用は全然違うのね」  新品のネットが張られた物干し台があったので、その上に型崩れしないよう慎重に広げて干した。
/55ページ

最初のコメントを投稿しよう!

43人が本棚に入れています
本棚に追加