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 綾野陽芽(ひめ)は、絶望の淵から生還できると安堵すると深く嘆息した。 (はー。助かりそうで良かったー)  彼らが何者なのかまだよく理解できていないが、助けに来てくれたことは間違いない。 (一体どうして、こんなことになってしまったんだろう)  どこで選択を誤ったのか、さっぱり分からない。  ただ真面目に生きてきただけなのに、こんな目に遭うなんて理不尽である。  思えば、生まれ落ちた瞬間から理不尽な人生であった。  綾野陽芽は、貧しい両親の元に生まれた。衣類は古着で食べ物は値引き品ばかりだった。  家庭の主な収入源はゴミ拾いで、文字通り、地を這って生きてきた。  ゴミ拾いと言えば聞こえはいいが、ゴミ捨て場から拾うから、それは盗みである。  そんなことをしているから、近所の人からは、ゴミ盗人一家として鼻つまみ者扱いをされてきた。  幼少時代の思い出は、どこでもゴミを拾う両親の姿しかない。  深夜になると、陽芽の手を引いては、近所のゴミ捨て場を巡回するのが日課だった。  売れそうなものを拾ってきては、どこかで売りさばく。それが当たり前だと思って成長した。  両親が陽芽を連れていた理由は、通行人や警察に不審がられる確率が低くなるから。それだけであった。  ゴミ拾い姿を、近所の人だけでなく同級生たちにもたびたび目撃されていて、それが原因で苛めの対象となった。 『ゴミ臭せえ!』『ゴミ泥棒!』『ほらほら、ゴミだぞ、持って帰れや!』  浴びせられた罵声と投げつけられたゴミの数々。そこで、ようやく両親のしていることが普通ではないと思い知った。  担任からも、『ゴミで生活している子』と言う目で(さげす)まれ、無視された。  物事が分かる年齢になるにつれ、惨めさと恥ずかしさに襲われて、ゴミ拾いの同行を拒否するようになった。両親は、そんな陽芽の気持ちなど考えたこともなかっただろう。  思春期を迎えると、現実に耐え切れず、一時不登校になった。暇だったので、街をふらついては、声を掛けてきたおじさんからお小遣いを貰っていた。  そんな時に出会ったのが、天喜教団であった。  両親の存在が心に影を落とし、拭い去ることが出来ずに苦しんでいた彼女の心の支えとなったのが、そこで知った初代教祖霊峰輝羅(きら)の存在であった。  教団の信者から何気なく手渡された一枚のカード。そこに霊峰輝羅の肖像画がカラーで載っていた。  それを見た瞬間、陽芽は、雷に打たれたような衝撃を受けた。その美しさに一目惚れだった。  それからは、両親の目を盗んでは、天喜教団の集会にこっそり通った。  そこで聞かされた、輝羅が起こした奇跡の数々に魅了されていき、もっと近づきたい、常に一緒に居たいと願うようになった。  しかし、実家にいる限り入信は許されない。それというのも、両親が『宗教は金の無駄!』と口癖のように言っていたからだ。  実際に、毎月会費を払うことは自分に出来ないと分かっていたので、入信はしないで講話だけ聞きに通っていた。教団も、未成年の彼女に入信を強いることはなかった。  早く大人になって独立し、どっぷり天喜教団に、いや、霊峰輝羅に(つか)りたかった。全てを捧げたかった。  家にお金がなかったので、高校に進学しないで就職を選んだ。初めての就職先はパン屋さんだった。  しかし、朝から晩まで働いても、中卒で稼げるお金などわずかなもの。しかも、両親に給料のほとんどを取り上げられた。  耐えられなくなったある日、とうとう家出同然で上京した。  無一文で無学な自分にも出来ることを、一生懸命に考えた。その結果、夜の世界を選んだ。思い切って、目についた風俗店に飛び込んで働き出した。すると、こんな自分でも人気が出て大金を稼げるようになった。  一人暮らしを始めて、念願だった天喜教団にも入信した。そして、心ゆくまで霊峰輝羅の肖像画を(あが)めた。  稼ぎが増えて、店の寮から高級マンションに引っ越すことが出来た。  ようやくまともな暮らしを手に入れられたと喜んだのも束の間、成功した噂を聞いた両親が、今までの養育費を払えと(たか)ってくるようになった。  言われるままに渡していくうちに、要求額がエスカレートして、稼いでも稼いでもお金が無くなった。それが悩みの種となった。  苦しい時の支えは、勿論霊峰輝羅だ。このころ、現実逃避のために朝昼晩と時間を作っては、肖像画に祈りを捧げていた。夢は、輝羅様に嫁ぐことになった。  そんな陽芽の信仰姿に感服した教団幹部から、天喜の国行きを勧められた。 『あなたを霊峰輝羅様の花嫁に推薦しましょう。あなたなら、きっと素晴らしい花嫁になれますよ』  天喜の国に行けば、24時間365日、輝羅様に全てを捧げられる。  夢が叶って、天にも昇る気持ちになった。生まれて初めて、生きていて良かったと思った。 『あ、ありがとうございます! ウワアアアアア!』  喜びのあまり号泣した陽芽に、幹部が驚き慌てた。 『まだ、決まったわけじゃありませんよ。花嫁になるには、いくつもの試練が待っているでしょう』 『頑張ります!』  多額の献金が必要だと説かれて、必死になってお金をかき集めた。  それこそ、家族の病気をでっち上げ、いもしない兄弟を創作して、同情を集めてお金を集めた。  借りられるところは全て借りた。  悪い事をしている意識はなかった。これらは全て信仰のためだからだ。  輝羅様の花嫁になれば、全ての負債は消え去ると信じていた。  目標額が貯まるまで、ただただ必死だった。多額の献金を納めた時の達成感と優越感は、何物にも代えがたい至福の喜びとなった。  それがどうしてこうなったのか。やっぱり分からない。  悪いのは、輝羅様の名を利用した頼陀ではないかと、今では思っている。  ガタン、と音がして、見張りの女性幹部が入ってきたので寝たふりをした。  女性幹部は、異状がないことを一通り確認すると出て行った。  陽芽は、目を開けた。 (もうすぐね……)  あとのことは、あの二人に任せようと、二人が来るのをひたすら待った。  最初は、興奮から頭が冴えていたが、いつの間にか寝落ちした。  肩を揺すられて、目を覚ます。 (あら、寝ていた?)  目の前に居たのは、先ほどの二人ではなかった。スーツを着た信者ではない男性だ。 (今度は、誰⁉)  目が合うと、男性はニコッと笑ったが、目の奥が狂気じみていて恐ろしくなった。
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