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(あ、あなた、だ、誰⁉)  猿ぐつわを付けているので、声にはならない。ウーウー、と搾りだすような唸り声を出した。 「しいー、助けに来たよ」  陽芽は、その男性の声を薄暗い店内でよく聞いていたことを思い出した。客だった人だ。  彼には、かなり貢がせた。その割には、名前を憶えていない。 「もしかして、僕のこと、忘れていたなんて言わないよね」  冷や汗が出た。ここで忘れていたと正直に答えたら怒らせるのではないかと不安になって、必死に首を振る。 「二人の男がここに来ただろう。彼らは、君を助けるために僕が送り込んだんだ」  それを聞いて、少なくとも敵ではないようなので少し安心した。 (そうだったの! 彼らは今はどこに?)  周囲を見ても、あの二人は来ていない。 「ここには来ない。逃げやすいように、先回りしてくれている」  ようやく心から安心した陽芽は、全身の緊張が緩んだ。  あとは、この拘束から解き放してさえ貰えれば良い。それで逃げられるだろう。 「それにしても、こんな目に遭っていたなんて驚いたよ。苦しかっただろう。すぐ楽にしてあげるからね」  天橋律が懐からナイフを取り出した。それで縄を切ってくれるのだろうと期待して見ていると、彼はそのナイフを陽芽の胸にグサリと突き立てた。 (ギヤアー!)  悲鳴を上げたが、猿ぐつわで大きな声にならない。 (どうして……こんなことを……) 「ずっと君を心配して、毎日君の無事を祈っていたんだよ。どこに行ったのか、お金をたくさん使って色々調べた。そこで分かったことは、俄かに信じられなかった。こんなカルトに入れあげて、死んだ男と結婚するなどと妄信したなんて。ずっと信じられなくて、天喜の国についてたくさん調べたよ。教祖の花嫁になるためには、とんでもない献金が必要だそうだね。それを聞いて、君が病気の両親のための入院費が必要だとか、弟の学費が必要だとか言って、たくさんのお金を持って行ったことを思い返した。君の実家についても調べたんだよ。もしかして、実家に帰っているのかと見に行ったんだ。両親は元気そうだった。兄弟がいないことも分かった」 (ヒイイ! ストーカー⁉) 「あ、今、僕のことをストーカーって思ったよね。違うよ。僕は、熱烈な綾野陽芽の推し信者だよ」  天橋律は、驚く陽芽を見て、楽しそうにケラケラと笑った。それから、真顔になると、陽芽の髪を掴んで強く引っ張り上げた。陽芽の首がのけぞる。 「全部……、嘘だったんだね……」  重苦しく恐ろしい声と熱い息を、陽芽の顔に吹きかける。 (や、やめて! なんで⁉ 私、死んじゃう⁉)  こうしている間にも、傷口から大量の血が流れていく。 「さあーて、儀式を続けようか」 (今度は、何?) 「これは、君が受けなければならない罰もあるけど、君のためでもある。あの世で念願の教祖と結婚できるといいね」 (ヒェ!) 「でも、安心していい。逝くのは君だけじゃない。皆も一緒だ」  皆とは誰のことか。それを言う前に、天橋律は、陽芽の体をナイフで刺した。何度も何度も、繰り返した。 (ギャアアアア!)  どれかが致命傷となったようで、断末魔の悲鳴が上がり、陽芽は意識を失くした。  天橋律は、悲しさと切なさを合せた表情で、ぐったりして動かなくなった彼女の顔をしばらく見つめた。 「君の最期に手を下したのは、この僕だ。これで思い残すことはない」  絶命を見届けると、憎しみを込めて椅子ごと蹴り倒し、部屋から抜け出した。
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