最終話

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「サングルスちゃん、愛してるー!」  喜予は、大声で愛を叫ぶとカウンターにつっぷした。  一瞬、他の客の注目を浴びたが、問題ないと判断すると、彼らはすぐに自分たちの会話に戻っていく。  新宿は、良くも悪くも無関心の街である。誰かが奇抜な恰好をしていても、奇妙な行動を取っていても、ほとんど関心を示さない。個人の自由の範疇にある限り、立ち入ることはない。  誰かが愛を叫んでも、このように生暖かく見守ってくれる。彼らは、サングルスが男なのか女なのか、本名なのか源氏名なのか、日本人なのか外国人なのか、何も知らないし、知ろうともしない。  お互いに程よい距離間を保ってくれるから、ヨシタカはこの街を好きでいられる。  ふと、サングルスを見ると、哀しげな表情を浮かべていた。 (え?)  見間違えたかと、二度三度瞬きする間に姿を消した。 (今の、何だったんだろう?)  喜予に何か感じていたように見えた。死神は、決して自分の感情を外に出さないと思っていた。  喜予は、何も知らずに酔いつぶれて寝ている。起きる気配がなく、このままにはしておけないだろう。  マスターからも、(起こして帰って貰え)と、無言のプレッシャーを掛けられている。 「起きてください。ここで寝られると困ります」  肩を揺すって無理やり起こした。喜予は、「ああ?」と、半分目を開けたが、完全に寝ぼけている。 「もう帰った方がいいですよ」と、声を掛けると、「ウィー」と立ち上がる。もうまともな会話は期待出来そうにない。  判断力を失う前に、何とか会計を済ませた。  帰ると思っていたが、トイレに向かって歩いて行くので、「そっちはトイレですよ」と、引き留めると、体の向きを出入り口に合わせた。すると、面白いようにそのまま進んでいった。  体はフラフラ、おぼつかない足元。外は夜の新宿。  心配になったヨシタカは、一緒に外へ出ると、代わりにタクシーを拾った。  喜予の体を後部座席に押し込むと、ドライバーにお寺の住所を伝えて出発させた。 「これで、寺までは無事に戻れるな」  一安心する。  走り去るタクシーのリアウィンドウに、喜予の後頭部が見えている。それが小さくなっていく。  それが彼の生きている最後の姿となってしまうとは、この時のヨシタカは思う由もなかった。
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