第一章 やかましい同居人 春の良き日

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第一章 やかましい同居人 春の良き日

「シンカンセンってやつ、初めて乗ったぜ」    千紘が俺の元へやってきたのは、桜が一番綺麗な季節だった。死んだ姉の夫の親戚の子供を引き取った。理由は単純だ。もしも姉さんが生きていれば、きっと同じことをしただろうから。    着の身着のまま遠路遥々連れてこられた子供は、初めて乗った新幹線にいまだ興奮しっぱなしで、自動車の助手席に押し込んで大人しくさせるのにも苦労した。   「すっげーはえーのなァ、シンカンセン。アンタの車も同じくらいはえー?」 「はえーじゃなくて、速い、だ。車はあんなにスピード出せない」 「出せねーってどーいうことだ?」 「そのままの意味だ。新幹線は速く走れるように作られてる。車はそうじゃない」 「へェ~?」    見た目は十代の少年だが、言動が異様に幼い。手のかかるガキだ。せっかく締めてやったシートベルトを、邪魔がって外そうとする。   「やめろ。危ないだろ」 「なんでェ? なんか首絞まってやだぜ」 「嫌でも締めとけ。安全のためだ」 「シンカンセンはこんなモンなかったぜ」 「新幹線より車の方が事故が多いんだ。シートベルトしてないと最悪死ぬぞ」 「……マジ?」 「大マジだ。フロントガラス……前の窓から、外に投げ出されたりするぞ」 「マジかよ~。オレまだ死にたくねェ」 「分かったら勝手に外すなよ」 「へーへー」    手はかかるが、素直なところもあるのかもしれない。   「お前、名前は?」 「チヒロ」 「歳は」 「じゅーご? たぶん」    ハンドルを握る手が汗ばむ。   「中三か」 「ちゅー?」 「中学校何年生だ」 「ガッコーかァ、そーいや行ってねーな」    手汗で滑って、ハンドルを切り損ねるところだった。   「アンタ、ガッコー行ってた? 今何年?」 「学校は行ってたけどもう卒業した。それと、俺の名前は瀬川颯希だ。で、お前の名前は瀬川千紘。今すぐ覚えろ」 「はァ? セガワ……? って何だよ」 「俺とお前の名字だ。今日から一緒に住むから、そのための名前だ」 「フーン……? よくわかんねーけど、オレとアンタ、一緒に住むのか」 「お前の歳は十五。誕生日は今日だ」 「フーン……はァ!? たんじょーび、ってことは、オレ今日生まれたのォ!?」 「書類上そうなるってだけだ。でも、これから大事になるからな。覚えておけよ」 「へェ~……」    事前に聞いていた話では、千紘の母親は付き合っていた彼氏を殺して自らも命を絶ったそうで、千紘は現場にふらりと現れたところを保護されたらしい。小さいが新聞記事にもなっている。   「な~、腹減ったァ」 「食いたいものあるか」 「えっ、え~、う~ん……ラーメン?」 「ラーメンなら何でもいいのか」 「お~、何でも食うぜ」    コインパーキングに車を停めた。千紘がなかなか降りないから何かと思えば、シートベルトの外し方が分からないようで、どうにか潜り抜けようと四苦八苦している。   「この赤いところ押せば外れる」 「へァ? あ、ほんとだ。へへ」    くたびれた赤い暖簾をくぐって店内に入った。手書きのメニューが壁に貼られている、典型的な昔ながらの町中華だ。床は若干油っぽいが、味は確かだ。    醤油ラーメンを二杯注文した。油の浮いた透明なスープにストレートの細麺、具材はチャーシューに煮卵、メンマとネギと青物という、かなりベーシックで間違いのない組み合わせだ。    千紘は腹をぐうぐう鳴らしながら、顔と同じ大きさの丼ぶりを両手で抱えて、顔が埋まりそうなほどに凝視した。   「こッ、コレは……」 「食わないのか。伸びるぞ」 「置いとくと増えるし……じゃなくてよ~、コレ、オレの知ってるラーメンとちげーぜ。なんかすげーでけーし、いろいろのってるし、すっげーイイにおいすんぜ。んだこれェ」    千紘は目を輝かせ、涎を垂らして舌なめずりをする。行儀が悪いからやめろ、と俺は一応窘める。   「これが普通のラーメンなんだ。お前が今まで食ってたのは、インスタントのラーメンだ。たぶん」 「はァ? オレぁ今まで、ニセモノ食ってたんか?! ニセモノでもうまかったぜ!」 「いや、インスタントが偽物とかじゃなくてだな……」 「いんすなんちゃらって何だよ!」    千紘は、テーブルと椅子をガタガタ揺らしてぎゃいぎゃい騒ぐ。店員の視線が冷たい。   「いいから、とりあえず食え。伸びるとまずくなる」 「ヤダ! 置いとくと増えるんだ!」 「増えるけどまずくなるんだ。分からねぇやつだな。足りなかったら替え玉させてやるから」 「んだそれ」 「麺のおかわり」 「おかわり?! マジ!?」 「マジだ。だから大人しく食え」 「へっへへ! やーったァ!」    千紘は威勢よくレンゲを掴んだ。が、そこでまた動きが止まる。   「今度はどうした」 「これェ、オレがいつも使ってるやつとちげー。こんじゃメンが取れねー」 「……フォークがほしいのか」 「そーそ! それ!」    店員に頼んで、子供用のフォークをもらった。持ち手にクマのイラストが描かれている。   「ヨシ! んじゃ、食うぜ」    千紘は、小さい子供のようにフォークを鷲掴みにし、汁を飛ばしながら勢いよく麺を啜った。   「ゥ……ンめ~~ッ!!」    一口目をほとんど噛まずに飲み込んで、次々と麺を掻き込んでいく。麺を掻き込むなんておかしな話だが、事実そうなのだ。スープがあちこち飛び散るのも顔面がドロドロに汚れるのも全く気にする素振りはなく、千紘はラーメンを貪り食った。   「すげェ、これェ……うンまい! うッま! なんかァ、なんかメンがすげーちゅるちゅるでェ、汁がすげーしょっぱくてアブラっこくてェ、すっげうめェ! この、コレ、これ肉? コレがチャーシューってやつなんかァ? すンげーやっこくてしょっぱうめーッ!」 「もう少し静かに食えないのか」 「食えるかよォ! こんなモン知っちまってェ、オレぁもう前みたいにゃあ戻れねー! 毎日コレ食う!」 「毎日は無理だ。たまに連れてきてやる」 「マジでェ!? アンタ、すげーイイ人だな!」    ラーメン一杯で感謝されても困るし、境遇を思うと不憫になった。替え玉に加えて餃子を一皿頼んだら、「よくわかんねーけどうめェ!」と千紘はまた騒いでいた。
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