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婚約破棄のおまけ
「私は運命の相手……リリーと出会ったんだ。だから君との婚約はなかったことにして欲しい」
学園の講堂に呼び出され、シェリーが告げられたのは婚約破棄の言葉だった。
婚約者のダニエルの隣には、可愛らしい少女が隠れるように立っていた。彼のいう運命の相手リリーだ。特待生として入学した彼女は、ダニエルを含む複数の男子と噂されていたはずだが……状況的にダニエルを選んだということなのだろう。
「はあ、婚約破棄は構いませんが……両家の説得はダニエル様がしてくださいね。あと、こちらの落ち度ではありませんので、慰謝料をお願い致しますわ」
公爵令息のダニエルとの婚約は家同士の決めた政略的なものだ。自分の都合で勝手に破棄できるものではないため、婚約破棄を申し出るのであれば、両家に話を通してもらわなければ困る。
しかし、婚約破棄を言い渡す場所は選んでほしかった。なぜ学園の講堂という人目を集める場所を選んだのだろう。おかげでシェリーは「婚約破棄された令嬢」として皆に認識されてしまった。貴族はとにかく噂が大好きだ。特に人の不幸は喜んで話題にする。ここに居ない学生たちにも、明日には知れ渡っていることだろう。
ダニエルに対しては将来の伴侶として良き関係を築きたいと思っていた。
恋愛感情はなかったが、公爵家に嫁ぐ身として恥ずかしくないようにと、礼儀作法や勉学に勤しんだ日々。ダニエルとの婚約を妬む令嬢たちからの嫌がらせにも耐えてきた。リリーがダニエルと親しくしているのも知っていたが、婚約と恋愛は別物だ。彼にも恋愛をする自由はあっても良いだろうと目を瞑っていた。
シェリーに落ち度はない。
だったら婚約破棄の代償として慰謝料を貰っても良いはずである。
「ふむ、慰謝料か……そうだな」
ダニエルも自分の身勝手だと自覚しているのか、シェリーの要求に頷き思案する様子を見せた。
「そんな、慰謝料だなんて。運命の相手に出会う前に婚約をしてしまったから、それを破棄するだけですよ。だからダニエル様に落ち度はありません。慰謝料なんて払う必要ないです」
そう言い切ったのはダニエルの隣で成り行きを見守っていたリリーだった。可憐な少女だと思っていたが、言っていることは常識の欠片もない。
「そうか。そう……だな。私たちが結ばれるためには婚約破棄は必要なことだからな」
リリーに流されるダニエルもどうかしている。洗脳でもされているのか。リリーを見つめる目は、見ているこちらが胸焼けするくらい甘い。
「そうです、これは必要なことなんです。愛してますわ、ダニエル様」
「私も愛してるよリリー」
胸焼けを通り越して砂糖を吐きそうだ。どうしてこの場面で愛の告白を始めたのか意味不明である。
「しかし……」
二人の世界を作り始めたダニエルとリリーだが、シェリーとしては全く納得がいかない。言葉を挟もうとすると、リリーにキッと鋭い目付きで睨まれた。
「しつこいですね。だったら慰謝料の代わりに、この石をあげるわ」
そういって、ポケットから取り出した小石を要らないもののようにシェリーに投げて寄越した。シェリーは反射的に両手で小石を受けとった。どうみてもその辺にある小石に見える。
「珍しい宝石の原石よ。それで良いでしょう? さあ、行きましょうダニエル様」
一方的に言い放ち、リリーはダニエルの腕を引っ張り講堂から出ていった。
「そんな珍しいものをあげて良かったのかい」
「良いんです。実は、ただ枕元に落ちていた小石なので」
逃げるように去っていく二人の会話が聞こえてきた。
枕元に小石? とツッコミを入れたいところだが、これ以上二人に関わるのは面倒になったシェリーは黙っておくことにした。
成り行きを見守っていた野次馬たちも、二人が講堂から出ていったため解散していった。
「はあ……面倒臭いことになりましたわ」
残されたシェリーはため息を吐く。あの様子では両家の説得にもリリーが介入してきて、一波乱ありそうな予感がした。
両親に説明するのが面倒だなと愁うシェリーに人影が近づいてきた。
「なになに、シェリー婚約破棄されたの?」
「相変わらず失礼ですね、殿下」
婚約破棄された令嬢に対する配慮の欠片もない軽口で話しかけてきたのは、この国の王太子リドルだった。
「で、あの女に何貰ったの?」
リドルは笑顔でシェリーに尋ねる。あの女という部分に険を感じたのは、多分気のせいではないだろう。リドルはつい最近までリリーと親しくしていた男子の一人だ。
「あ、リリーさんがダニエルを選んだからイラついているのですね」
「いやいや、付きまとわれて困ってたの間違いだから。ダニエルを選んでくれて助かったくらいだから!」
すごい勢いで訂正された。
リドルもリリーと親密な男子の一人だと思っていたが、この様子を見るとシェリーの勘違いだったようだ。
「へー、そうでしたか」
「すごい、どうでもよさそうな返事だな」
シェリーの返事に傷ついた表情を見せるリドルに、「リリーさんから貰ったものですが」と話を切り替えた。
「これなんですけど」
シェリーは手のひらに乗せた小石をリドルに見せる。
「これは」
小石を見たリドルは言い澱んだ。
「これって……聖獣の卵ですよね」
リリーから受け取った直後は、その辺に落ちている灰色っぽい小石のだった。それが、今では白銀色に変化していた。心なしか発光しているようにも見える。
「聖獣の卵だな」
「ですよね」
慰謝料として貰うには荷が重すぎるものだった。聖獣は吉兆の証だ。聖獣が孵化し、その聖獣の主として認識されれば国王と等しい権限を手に入れたも同然なのだ。
「リリーさんの枕元に落ちていたらしいので、返した方が良いのでは?」
「いやいや、あの女が持っていた時はただの小石みたいだっただろ。シェリーが持ってから変化したんだ。聖獣は予知能力があるっていうし、きっとこうなることを予見したんだろ」
「……」
確かに卵の変化はシェリーが手にとってからだった。
「殿下が持っていてください」
「いやだ。もし孵化したらどうするんだ」
リドルは心底嫌そうな顔をした。
「聖獣の主になれば良いじゃないですか」
「王太子の仕事だけでも大変だというのに、聖獣の主になったらもっと忙しくなるじゃないか。それに、シェリーの手で変化したんだから、すでにお前に主が決まったも同然だろう」
リドルの言うことももっともだった。
「じゃあ……聖獣が孵化したら、私は王宮入りするってことですよね」
「そうだな」
国王と同等の権限を持つ聖獣の主となった場合、余計な権力争いに巻き込まれないために王宮に入るのが通例だった。
「つまり、殿下の……」
「そう、俺の嫁になる」
リドルはニヤリと嬉しそうに笑った。
「なんで、そんなに嬉しそうなんですか」
「そりゃ、嬉しいからな。どうやってシェリーとダニエルの婚約を取り消してやろうかと思っていたが、自分の手を汚さずに手に入れられるんだ。喜ばないわけないだろ!」
つまり、手を汚してでもシェリーを嫁にしたかったと聞こえる。
「殿下って、私のことをそんなに想っていたんですか?」
「お前、俺が何度も何度も何度も愛の告白してるのに信じてなかったのか」
リドルに恨みがましく睨まれ、シェリーは目を逸らす。会うたびに告白じみた台詞を投げ掛けられていたが、ただの冗談だと思っていた……そう思うようにしていた。
「まったく。まあ、俺の嫁に確定したことだし、いいか」
「まだ、聖獣が孵化するとは限りませんよ」
手にしているのが聖獣の卵であることは間違いないが、無事に孵化する保証はない。もしかしたら、孵化しないままかもしれない。実際、過去にも孵化しなかった聖獣の卵もあると聞いたことがある。
「いいや、絶対孵化する。お前が聖獣の主になったら、正式に真面目なプロポーズするから待ってろよ。おっと、そうと決まれば早く父上や母上にも話しておかないとな。じゃあ、またな」
宣戦布告のように言い放ち、リドルは去っていった。
婚約破棄宣言されたと思ったら、聖獣の卵を手に入れ、且つ王太子に告白されるという怒濤の展開だ。
屋敷に帰ったシェリーは事の顛末を両親に話した。案の定、屋敷は大騒ぎになった。もっとも、婚約破棄の件ではなく聖獣の卵を手にいれた件についてが騒ぎの大半だったが。
面倒になると思っていたダニエルとの婚約破棄も、以外とすんなりとことが進んだのは、リドルが裏で手を回したからだと知ったのは、随分あとのことだった。
数日後、無事に聖獣は孵化した。
ちょうど国王に聖獣の卵を見せるために登城していた時だった。
「まるで、俺たちを祝福してくれてるみたいだな」と、一緒に国王の間に付いてきたリドルが、自分の都合が良いように解釈していたが、その心底嬉しそうな表情に、シェリーまでそんな気がしてきたのは内緒だ。
そのあと、リドルは宣言通りに『正式に真面目なプロポーズ』をしてきたため、シェリーは嬉しさと恥ずかしさで赤面することになった。
それからしばらくして、シェリーに投げ渡した小石が聖獣の卵だったことを知ったリリーが「それは私のものだったんだから、返してよ! 王太子の婚約者の座も私のものよ!!」と鬼の形相で詰めよってきたが、聖獣により追い払われたのは言うまでもない。リリーは聖獣の卵と知らなかったとはいえ、要らないもののよう捨てたのだ。そんなリリーを聖獣が嫌うのは頷ける。
その後も「横取り女!」とシェリーのことを目の敵にしたリリーが王宮まで乗り込んで来ることが度々続いた。ついには刃物を持ち込む騒ぎが起き、聖獣の主に危害を加えようとしたという理由で、巻き込まれたダニエル共々国外追放されたらしい。
聖獣の加護を受けたシェリーは、国民と、なによりリドルに愛され、騒がしいけれど幸せな日々を送ったという。
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