番外編2

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番外編2

小さい頃から私の世界はお姉ちゃんとお母さんとお父さん、つまり1番最小単位のコミュニティが全てだった。 その中でもお姉ちゃんは特別だ。 あれは小学校に上がってすぐくらいのときのこと、入院中に同い年の女の子と仲良くなった。 小児病棟には入れ替わり立ち替わり、子供たちがやってきてその度に私は仲良くなって一緒に折り紙などをしたものだ。 「ねえねえ、マナちゃん。タケルくんってかっこいいと思わない?」 「タケルくん?」 タケルくんはちょっと前にやってきた男の子だ。 「かっこいいって?」 「えー、マナちゃんタケルくんかっこいいって思わないの?」 「うーん、どういうところが?」 全然そういうことに興味がなかった私は、その子に詳しく話を聞いてみたのだ。 「この間、小さい子たちの間に入って喧嘩止めたりしてたんだよ」 「ふーん」 「私タケルくんのこと好きかも」 「好き?」 私だってタケルくんのことは別に嫌いではない。 「好きってなに?」 「んー、かっこいいなとか、ちょっといいなって思う感じ」 「へえ、すごいね!」 好き、というものはまだ感じたことがないけれど、なんだかいいなって思った。 「マナちゃんは誰かにそういうの感じたりしないの?」 「うーん」 かっこいいとか、いいなって感じ、私はしばらく考えて答える。 「お姉ちゃんかな」 「お姉ちゃん?それは変だよ」 「変?」 「普通は女の子に対して好きなんて思わないよ、しかもお姉ちゃんだなんて」 「そうなんだ……」 じゃあお姉ちゃんに対して思うこの気持ちは、これは、この子のいう好きではないんだ。 私はその場はそうして納得した。 さらに大きくなって、漫画を読んだり本を読んだりして、私はなんとなく好きが何かわかってきた。 漫画や物語に出てくる登場人物たちは、恋する相手のことをいつも思ったり、大切にしたいと思ったり、ずっと一緒にいたいと思って、胸が苦しくなるよう思いをしているようだ。 たしかに私はお姉ちゃんのことを考えるし、大事に思うけど、別に胸は苦しくならない、やっぱりお姉ちゃんへの好きは恋の意味での好きではないんだ、私はそう思った。 相変わらずお姉ちゃんは私に優しくて、お見舞いに来てくれるたびに私は病院での出来事を話した。その時間は今思うと大切な時間だったと思うし、きっとすでにお姉ちゃんのことを特別に思っていたと思う。 ある日、お姉ちゃんがお見舞いに来た。 多分、中学校に上がってすぐくらいだったと思う。 その日も私は最近の出来事をたくさん話した。 そして話が一旦切れた時に、お姉ちゃんは通知表を出した。 「実はオール5で、美術でも賞を取ったんだ。今年度はリレーにも選ばれたし、結構頑張ったかも」 お姉ちゃんはそう言った。 そして最近学校ではどんなことをしているか話し始めたのだ。 お姉ちゃんの学校での話は久しぶりに聞いた。特に中学に上がってからの話は初めてだった。 聞いているうちに、私の知らないお姉ちゃんの存在が怖くなってきた。 オール5で美術でも賞を取り、リレー選手に選ばれるなんて、きっといろんな人に褒められたり、賛美の目を向けられただろう。 その中にはきっとお姉ちゃんのことを好きだと思う男の子もいるはずだ。 そしてお姉ちゃんはそのうちの1人と付き合うかもしれない。 もしかしたらすでに付き合っているかもしれない。そんなの、 「……ずるいよ」 私の口からはつい言葉が漏れてしまっていた。 「お姉ちゃんは外を歩けるし、運動だって、授業だって、当たり前のように出れるじゃん!そんなのずるいよ!」 ずるい、それは外でのお姉ちゃんを知る全てに対してだった。 ずるい、ずるい、私だってお姉ちゃんの横を一緒に歩きたい、当たり前のように隣を歩いて自慢したい。ずるい。 悔しくて涙が出た。そして同時に自分がこんなにも醜い嫉妬を抱く生き物なのだと怖くなった。 それ以降、私はお姉ちゃんのことを考えると胸が苦しくなった。 自覚していなかっただけで、私はしっかりとお姉ちゃんが好きだった。 でも、お姉ちゃんはこの一件以降全然お見舞いに来てくれなくなってしまった。 傷つけてしまったんだな、私は思い出すたびにため息をついた。 しばらくして、高校生になって、私の体はかなり回復した。 あるとき、退院して家に帰ったときのこと。 久しぶりに会ったお姉ちゃんはどこか遠かった。 それは、拒絶ではなく無関心に近かった。 ああ、もうお姉ちゃんの視界にも入ってないんだな、そう思うと悲しかった。 だから、少しでも視界に入りたくて、あの日部屋に入った。 「何それ、アロマ?」 お姉ちゃんの部屋は男の部屋とは思えないくらいいい匂いがした。 ああ、女の香り、そう思うとまたむくむくと真っ黒い嫉妬心が込み上げてきた。 「手作り?アロマなんて作れんの?てか誰にもらったの?彼氏?」 高校生なのだ、彼氏の1人いてもおかしくない。 その男とは何をしたんだろう? 「いいなー、これ欲しい」 妹にあげた、そう言ったらその男はどんな顔をするだろうか? 瓶を手にもつと、すごい勢いでお姉ちゃんの手が飛んできた。 「何?そんなにそれが大事?なんなわけ?」 ムカつく、ムカつく、私にいつでも優しいお姉ちゃんが手をあげるのはよっぽどのことだ。 その男はそれほど姉に愛されている? 気づけば私の手は姉の手を叩いていた。 落ちていく小瓶、そして割れる音。 あ、やってしまった、そう思ったときにはすでにお姉ちゃんは外に飛び出していた。 傷つけてばかりだな、甘い香りのする部屋で私は立ち尽くした。 もし私がもう少し健康だったら、もし私がお姉ちゃんと姉妹ではない形で会えていたら、もしもを考えることはいつだってあった。 どうやったら人を傷つけずに生きていけるんだろう。 その後、お姉ちゃんは通ってる病院に泊まって帰ってきた。 お姉ちゃんが病院に通っていることは初めて知った。 しかも愛情値が低いとは。 もしかして私は、姉に向くべきだった愛情を奪っていたのだろうか? 「マナ、ごめん」 そう言うお姉ちゃんの顔はどこか涼しげで、そして私のことなんか眼中にないような表情だった。 「ごめん……」 小さいけれど、私は今までのこと全てに謝るつもりで言った。 ああ、こういうとき、もっと素直になれたらいいのに。 「マナちゃん久しぶりね」 久しぶりに学校に顔を出すと先生たちが声をかけてくれた。 「お久しぶりです」 「今日はマナちゃん以外にも1人来てるよ」 「へえ、誰ですか?」 私はざっとクラスメイトの名前を思い浮かべる。チャット上では関わったことがある人がほとんどのはずだ。 「川村くんよ」 川村くん、たしか1番真面目に課題も提出している子だ。 「教室にいると思うから声かけてみて」 はーい、と返事をしつつ教室へ向かう。 私の通うクラスは通信制だけれど、ここは定時制の生徒もいるため教室などの設備はかなり整っている。 久しぶりだな、と私は自分のクラスの教室を勢いよく開ける。 「キャッ」 キャ? 教室の中では男女が1組、そして女子は胸を揉まれていた。 女子は慌てて教室から出て行く。 「チッ」 男は思いっきり舌打ちをする。いや、学校の白昼の教室で変なことしている方が悪いでしょ、と私は睨みつける。 「お前さ、人付き合い苦手だろ?」 「は?」 突然の言葉に私は低い声を出す。 「こういうとき、なんか普通言うじゃん?お前普通じゃないなって」 普通じゃない、そう言われて不覚にもドキリとした。 私は当たり前のように普通ができない。でもそれは 「私のせいじゃない!」 「あ?」 「ずっと入院してたから私は普通じゃないの」 長く入院していて、人と話すのも、人に合わせるのも苦手。 異性と関わる機会が少なかったからお姉ちゃんのことを好きになってしまった。 「ふーん、言い訳にされる病気が可哀想だな」 そう言って男は教室を出て行った。 「ムカつく!何あれ!」 と私は閉められた扉に向かって叫ぶが内心かなり動揺していた。 言い訳、そう、これは全部言い訳、そして今のは八つ当たり。 昼休み、私は屋上で外を眺めながらお弁当を食べていた。 学校にきたときはいつもここで食べていた。 私は今朝のことを振り返る。好きだから場所も構わずああいうことをしていたのだろうか。 好きだと、周りが見えなくなるのだろうか。 よく、わからないな、私は目の前のお弁当に意識を戻した。 「お、今朝のやつ」 振り向くと今朝の男が立っていた。 「あんた川村くん?」 「お、知っててくれてるんだ、お前は?」 「瀬名」 「よろしくね、瀬名ちゃん」 今朝の一件は忘れたかのように、川村くんは隣にどかりと腰掛けた。 「……彼女はいいの?」 「彼女?」 「ほら、今朝の」 「あー、あの子別に彼女じゃないから」 「違うの!?」 私はびっくりして、箸からトマトを落としてしまった。 「瀬名ちゃん、ウブだね〜、あっそか、入院生活長かったんだっけ?」 はははっと川村くんは笑った。やっぱりムカつく。 「彼女じゃなくても、その、そういうことってするもん?」 「んー、時と場合による。でも別に好きじゃなくてもできる」 「好きじゃなくても?」 「そ、そこに何もなくても余裕」 ますます分からない、と私は困惑した顔をしていたのだろう、川村くんはさらに笑う。 「そういうもんでしょ、所詮戯言なんて一過性だし、相手も満足するならそれでいいじゃん」 「川村くんはさ、本気で人を好きになったことある?」 「本気ってまず定義がむずくない?結局恋愛なんて曖昧だし」 「じゃあさ、今私にキスってできる?」 すると川村くんは驚いたように目を丸くした。私の発言が意外だったのだろう。 「なんでそんなこと聞くわけ?」 「私、多分好きな人がいるんだけど、絶対好きになっちゃいけない人なんだよね」 「ふーん、それで?」 「試しに、その人以外の人と恋人っぽいことしたら忘れられるかなって」 川村くんは一際大きな声で笑う。 「びっくりするくらい最低な動機だけど、そういうの嫌いじゃないよ」 そう言って彼は私の顎を持ち上げてキスをした。 「卵焼き」 「食べてるから」 そうして2人で笑い合った。 「それで、何か変わった?」 「ううん、正直キスってこんなもんかって思った」 「正直だな」 「キス1つじゃ何も変わらない」 「やっぱりお前普通じゃないな」 「その普通じゃないって言われるのムカつく」 「いや、今朝はたしかに嫌味で言ったけどさ」 部が悪そうに川村くんは頭をかく。 「俺、普通じゃないやつの方が好きみたいだ」 別に川村くんに好かれてもな、私はエビフライをフォークで突きながら空を見上げる。 いつか、お姉ちゃんと普通の姉妹みたいに話したい。 今はお姉ちゃんの視界には一ミリも写っていないけれど、せめて妹という特別なポジションで隣に立ちたい。 「私は普通になりたいよ」 この先、この気持ちが普通の感情になりますように。 私は今日もこの想いを誰にも打ち明けずに。 お姉ちゃんのことを普通に、姉妹として好きだと思える日が来ますように。
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