菱文を纏う

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 命じられて、慌てて着席する。三人で卓を囲むと、健斗が最初にみそ汁に口をつけた。倣って楓もみそ汁を口にする。今日は正真正銘、楓が作っていることが健斗に知られているが、健斗はなにも文句を言わずに食を進めた。美味しいとも不味いとも評さず、健斗は味わうような、何かを考えているような顔つきで食べていく。 (仕方ないわ。だって、華族令嬢なのに食事を作れるなんて、きっとおかしなことだもの……)  だから、料理の味について指摘があるかどうかよりも、食事を作れたという事実で、楓が嘘を吐いていることを知られることの方が怖かった。でも、そんな気持ちとは裏腹に、心中は落胆の色に染まっている。 (もしかしたらって、思っていたのかしら……。旦那さまから何かを希望されるなんて、なかったことだから……)  おいしかったと、言われたかったのだろうか。堀下の人たちのように楓を虐げたりしない健斗が、もしかした、ら楓のしたことを褒めてくれるとでも思っていたのだろうか。 (そんなこと、ありっこないのに……)  味のしない白米をかみしめる。そのまま静かな食事は終わり、食べ終わった健斗は食堂から出て行こうとした、その時。 「うまかった。これからも引き続き、作ってくれ」  向こうを向いたまま、静かだが、はっきりとそう言って、健斗は扉の向こうに消えた。しんとした食堂で健斗が消えた扉をぽかんと眺めている楓に、静子が声を掛けてきた。 「ようございましたね、楓さま」  静子の言葉に健、斗の言葉がじわじわと、カラカラに干からびていた心の奥底に染みわたって行く。ひび割れていた大地は甘い水に潤わされ、地中に内包していた種が発芽する。 「わたし……」  呟いた言葉が震えている。口を両手で覆いながら、言葉を継いだ。 「旦那さまのお役に立てたのですね……」  それは初めて知る、確かな喜びだった。    一方の健斗は、早川の運転する迎えの車に乗り込み、とある書類を読んでいた。手にしているのは、堀下家の令嬢に関する調査報告書だ。報告書には、堀下茂三には娘は一人しかいないこと、その娘の名は琴子と言い、彼女はわがまま放題の浪費家であること、また女学校での成績でも、家事や裁縫の成績は最低だったという事が記されていた。
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