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健斗は仕事のあと、指定された時間に堀下家に来ていた。門構えは重厚なものであったが、邸内に手入れの行き届いていない様子を見て、この家はここまで落ちぶれているのか、と内心毒づく。
「ようこそおいでくださいました」
にこにこと上機嫌を隠さない茂三に良子を前に、苛立ちを覚えながらも、努めて冷静を保つ。
「貴殿の申し入れの件だが」
「はい。是非良い返事を頂きたい」
もみ手をしかねない茂三に、しかし健斗は冷たく言い放った。
「断る。だいたい、月々千円もの金を必要とする家が正常であると判断する方がおかしかろう」
「し、しかし、私とて会社の経営者です。社の立て直しが効くまで婚家として援助してくださってもよさそうなもの」
悲哀を滲ませ茂三が訴えるが、その金の行きつくところも既に調査済みだ。
「その会社の立て直しに黒い金を使っているのは知っている。申し入れの金はその借金の返済の為ではないのか」
「ぐ……っ」
まさかそのようなことを健斗が知らないとでも思ったのだろうか。本来ならこのようなことが議会に知れたら爵位返上も免れない。返答に困窮する茂三は、絞り出すような声で、では、と切り出した。
「では、楓を返して頂きたい。あの娘には身分相応の仕事がある。貴殿の妻は、琴子が務めさせて頂く。これは楓の意志でもあり、琴子の意志でもある」
楓の気持ちをこの男に代弁されるなど、胸糞悪いことこの上ない。いらだちが募り、低く唸るような声が出た。
「ふざけたことを言うな」
その時、襖があいて、琴子が入室して来た。
「あら、ふざけてなんかおりませんわ」
すっと健斗の隣に座った琴子は、健斗に対してしなを作り、猫撫で声で語った。
「あの娘が話しましたの。社交の場で自分を守ってくれなかった健斗さまについていく自信がないと。あの娘は健斗さまを裏切り、森内さまのもとへ行ったのですわ。あの娘とわたくしは血縁ですし、似ていないこともございませんでしょう? 私の存在はあの娘の存在を補ってあまりありますわ」
自信満々に言う琴子に、健斗は冷たく言い放った。
「お前は私のこの傷を見ても、そのようなことが言えるのか」
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