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女将が部屋から去った後、手持ち無沙汰になった二人は旅荷の中からトコワの地図を取り出した。顔を突き合わせながらこれまで歩いてきた道筋をそっとなぞる。
「ミヤの町の、こごみとタケノコの天ぷらは美味しかったねえ」
「ナナミの町の山菜汁も良かったねえ」
「あとは、……ロクトの町の季節限定ヨモギ麺」
「お茶屋さんで出してくれた草餅も美味しかったなあ」
「桃とサクランボも、味が濃くてすごく美味しかった」
「ね、美味しかったよねえ」
きらきらとした目で旅の思い出を語り合うと、リラが雨の降りやまない外の景色に目を向けた。
咲き残っていた花も、この三日間で散ってしまっただろう。みな予感している。春竜がトコワの空を去ったのだ。
二百年ぶりの、夏竜のいない夏が始まる。
「晴れてるうちに、ここまで来れて良かったねえ」
「あとは竜の原まで行くだけだからねえ」
孵化の旅には三つの定めごとがあった。
托卵の巫子・巫女が自らの足でもってトコワの国を歩くこと。
どの道を征くか、どの町に寄るかは巫子・巫女自身で決めること。
そうして満天の星降る夜に竜の原を訪れ、竜の卵を孵すこと。
二人が滞在するココヨの町は、竜の原まで半日もかからない距離にある。孵化の旅に出た者たちが最後の最後に寄る町だった。
「……雨、止むといいねえ」
「大丈夫だよ、リラ」
ぽつりと呟いたリラに、リリはおっとりと卵を撫でながら言った。
「どんな雨もいつか止む。星降る夜は絶対に来てくれるから」
卵は動かなかった。
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