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2.てをつないで
その時まで知らなかったけれど、お母様は私を生む前は魔法使いだったそうだ。とある国の王様にお仕えしていたんだって。
シェリヤールを見て怖い顔をしたのは、魔族だということがひと目でわかったから。
後から聞いて私もすごく驚いた。だってお話の中で聞いた魔族っていうのは、人を襲って怪我をさせたり、血を啜ったり、食べちゃったりするものばかりだったから。
お母様とお父様と、私とシェリヤールとで、長い話をした。
私が人さらいにさらわれてからのこと。暗い不潔な小屋で過ごしたこと。お母様とお父様が私を必死で探してくれたこと。
シェリヤールが、私を助けてくれたこと。
「売られるところだったのだろうなあ」
お父様が言った。
「危ないところを助けてくれたのね」
お母様が言った。
私はシェリヤールの袖を握り、お母様とお父様を睨みつけていた。もちろん、ふたりとも大好きだ。でも、ふたりがシェリヤールを怒ったり、追い払ったりするんじゃないかと思って、気が気じゃなかったんだ。
お母様はそんな私とシェリヤールを見比べて、
「そうね。娘を助けてくれてありがとう。あなたは人を食べたり傷つけたりする魔族じゃないみたいだし、この子に名前を預けたのだから、覚悟はあるのでしょう?」
シェリヤールは答えなかった。けれど、静かに落ち着いていた。
「この子、あなたと離れたくないみたいよ。どう? あなた、ここに住まない?」
お母様のこの提案に、私は顔を輝かせた。
びっくりしたのはお父様。
「ここに住むだって?」
お母様は首を縦に振った。
「ええ。だって、私たちもこの子を二度と離したくないでしょう? だったらそうするしかないのではなくて?」
「シェリヤール、おうちにすむの? ずっといっしょにいられる?」
これは私。
「ティーデがここにいてと言うのなら、僕は従わないわけにはいかないね」
シェリヤールはそんな言い方をして、その日から家族の一員になった。
お母様よりも、お父様よりも、ばあやよりも、シェリヤールと過ごす時間が増えた。私はシェリヤールをお庭に誘って、本を読んでとせがんで、お喋りをして、お歌を教えてあげたり、手遊びを教えてあげたり、たくさんのことをした。
自分の部屋ができて、シェリヤールがお布団を愛するようになったのもこの頃だ。
「ねえ、まぞくっていいまぞくとわるいまぞくがいるの?」
私が訊くと、シェリヤールは首を傾げた。
「どういうのをいいって言って、どういうのを悪いって言うのかな。いろいろいるよ、魔族にも。たくさんのヒトを助けたのもいれば、たくさんのヒトを殺したのもいる。お母様が詳しく知っていると思うよ」
シェリヤールは私の頭に手を置いて続ける。
「魔族っていうのはね、魔力でできた生き物の総称なんだよ。僕はたまたまヒトに近い恰好だけれど、動物だったり、何だかよくわからないぐにゃぐにゃしたものだったり、姿は同じじゃないんだ」
「まりょくでできたってなあに?」
「そうだなあ……。君たちは血とか肉とかでできているでしょう。魔族の身体は魔力で形作られているんだ。こうして触れることもできるし、苦痛も快楽もあるけれど、それはヒトのものとは根本が違うんだよ」
「むつかしいよお」
私が眉を寄せると、シェリヤールはふふっと笑った。
「見てて」
そう言って、自分の腕に果物ナイフを走らせる。
「きゃあ!」
私は悲鳴を上げた。シェリヤールの腕がすぱっと切れた。けれど、そこからは血は流れず、代わりに煙のような靄のようなものが立ち上った。
「ね? わかる?」
それから、シェリヤールは真面目な顔を作った。
「でも、ティーデは真似しちゃだめだからね。痛いし血が出るんだから。魔族は、ヒトよりずっと壊れにくいんだよ」
お母様が言っていた、名前を預けるということの意味は、魔族は人に名を知られると相手に縛られるということらしい。ただしこれは、最初のひとりだけ有効なのだそうだ。
「契約みたいなものだね」
と、シェリヤールは言う。
「どうしてわたしになまえをおしえてくれたの?」
「さあ、どうしてかな。僕にもよくわからない。あの夜、僕は食事を済ませたところだった。ゆっくり休むつもりだったのに、どこかから泣き声が聞こえてきて、吸い寄せられるように君のところに行った」
シェリヤールは私と目を合わせる。
「君が、僕を呼んだのではないの」
「わたし、しらないよ」
「そう? 僕は、君に呼ばれたような気がするよ」
私にはわからなかったけれど、とりあえずそれは置いておくことにした。シェリヤールについて、知りたいことはまだまだたくさんあった。
「ねえ、シェリヤールはなにをたべるの。ひとも、たべちゃうの」
これには、彼は穏やかに笑った。
「僕がヒトを食べる魔族だったら、いまごろ君はもう食べられてるよ。姿が様々なように、魔族の食事も様々なんだ。ヒトや獣の肉を食べたり、血を吸うのもいるけれど、かたちのないものを食べるのもいる。僕が食べるのは、例えばこういうもの」
シェリヤールは私の首にてのひらを当てて、虹の瞳で覗き込んだ。すうっと首から何かが抜けていく感じがして、ちょっとくらくらした。
「ごめんね。少し休めばすぐ治るから」
「……シェリヤールは、げんきをたべるの?」
「元気? そうだね、そういうようなものだよ」
シェリヤールはふっと息を吐いた。
お庭で日向ぼっこをしていると、シェリヤールの髪の銀色がぼうっと光っていた。
「シェリヤール、たいようでとけちゃったりしない?」
尋ねた私に、彼は笑って答える。
「溶けたりしないよ。僕が死ぬのは、心臓を貫かれた時と……」
シェリヤールはその先は言わず、穏やかに微笑んでいた。
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