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4.ふたりのひびを
私とシェリヤールの、ふたりきりの生活が始まった。
シェリヤールがお城に魔法をかけてくれたから、食べるものも飲むものも手に入った。彼は時たま出かけていって、着るものとか本とか人形とか、そういうものを持ってきてくれた。
「これ、どうしたの?」
私が訊くと、シェリヤールは謎めいた笑みを浮かべる。
「お金はちゃんと払っているよ」
それがどういう方法で手に入れたお金なのか、シェリヤールは絶対に言わなかった。
シェリヤールの方は、大抵は植物や動物から食事をとっているみたいだった。ごく稀に私に触れて、しばらく怠くなることもあったけれど、そういう時はいつも申しわけなさそうに謝っていた。
「ごめんね、ティーデ」
「私、大丈夫だよ、シェリヤール」
「……僕がヒトだったらよかったのにね」
「そんなことないよ。シェリヤールが人だったら、私いまここにいられなかったよ」
シェリヤールがいなかったら、私はお母様やお父様を喪った悲しみも、おうちが燃えてしまった苦しみも、乗り越えられなかったに違いない。シェリヤールの優しさと、あたたかさが、私をいつも包んでくれた。だから私は、時とともにお母様やお父様のいない人生を受け入れるようになっていった。
月日が流れた。
涙で塞がっていた私の胸に、何か違うものが、少しずつ忍び込んでくる。
私が15歳になったある日、シェリヤールが言った。
「ティーデ、お使いに行ってきてくれない?」
「お使い?」
そんなことを頼まれたのは初めてだ。変だなと思いながら、私はバスケットを手に持った。
「いいけど、何をすればいいの?」
するとシェリヤールは答える。
「花の種を買ってきて。それと、君が自分で着る服を」
ますます変なお使いだった。服はわかる。けれどこのお城には好き勝手にたくさんのお花が咲いていて、シェリヤールも私も特にそれを気にしていなかったから。
シェリヤールは私を抱いて飛び、人気のない林に降ろした。
「僕はここで待っているから、行っておいで」
街はすぐそこだった。知らない街だ。私は戸惑い、痛いくらいにどきどきしながら、街に入っていった。人の街なんて久しぶり。この5年ずっとシェリヤールとだけいたから、他の人から見て変じゃないかが気になって仕方がない。
街には市場が立っていて、行き交う人々が賑やかだった。
「お花屋さん……」
きょときょとと見回してみたけれど、人が多すぎてお花屋さんがどちらにあるのかもわからない。
「どうしたの、お嬢さん。何か探しもの?」
後ろから声を掛けられて、振り返ると健康的に日焼けした男の人がにっこりしていた。たぶん私よりほんの少し年上で、すごく感じのいい人。
シェリヤールとは全然違うと、私は思った。
「あの、お使いを頼まれて。お花の種を探しているの」
私が言うと、
「花屋はこっちだよ。案内しようか?」
「いえ、いいの、ありがとう」
悪いからと断るつもりが、その人は手を差し出してきた。
「エスコートさせてくれると、嬉しいんだけどな。君、名前はなんていうの」
「ええと……」
よさそうな人ではある。素敵な人だなとは思う。
でも、私が思い出すのはシェリヤールのことだった。私は魔族ではないけれど、知らない人に名前を名乗るのは抵抗があった。信頼できる人にしか、名前を預けたくはなかった。
「ごめんなさい、私、急いでいるの」
「そうか……。残念だな」
彼は本当に残念そうに私を見つめた。その視線に何が込められているのか、何となくわかるような気はしたけれど、わかりたくなかった。
私はぱたぱたと教えてもらった方に走り、シェリヤールがくれた金貨を払って種を買った。何の種類かはろくに見もしなかった。
そして林まで戻ったら、シェリヤールはちゃんとそこで待っていた。
「お花の種、買えたよ」
ほっとして言うと、シェリヤールは目を細めた。
「服は忘れたね?」
「あ……」
「いいよ。また、街に来ればいい」
また? また、お使いがあるの?
私はなぜだか不安になった。
2週間くらい経って、またお使いを頼まれた。それが10日ごとになり、1週間に1回と、何度も街へ出されるようになって、しかもそのお使いの内容が次第にあやふやになっていった。
お花の種。お野菜。果物。お菓子。どれもこれも、必要のないもの。
服。靴。髪飾り。次の時には、それを着けていくんだよと言われて。
お化粧道具。こんなもの、何の意味があるの?
「遊んでおいで」
ある時にそう言われて、やっと、私も理解した。
シェリヤールは、私を人の街に戻そうとしているんだ。
私は5歳から15歳になった。背が伸びた。どうしようもない癖っ毛だった髪もまとまって、ゆるい波が残る程度になった。ちっちゃくてぷくぷくだったおてては、するんとした大人の手に変わりつつあった。
私は大人になる。歳を取る。でもシェリヤールは、ずっと出会った頃のまま何も変わらない姿で、いまも最初の時と同じようにとてもきれいな若い男の人に見えた。
彼が人ではないんだということを、そうして私は思い知らされる。
私が一番つらかった時に、守ってくれたシェリヤール。
いつでも一緒にいてくれて、何でもしてくれるシェリヤール。
私は時々あの日の口づけを思い出して、きゅうっと胸が締めつけられるような切ない気持ちを味わう。あれが、彼にとってはたぶん、力を回復するための食事の一環だったんだろうなということを思って、心が痛くなる。
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