18 かの思想家が語るには

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「あ、はい。こんなことに使われるかもしれないし、気をつけます」  風祭さんの心配はもっともだと思う。だから、俺は神妙に頷いた。 「あ、いや。そゆうんじゃなくて。  鈴がたっぷり愛情込めてあるから、なくさないであげてってこと」  はは。と、軽く笑って、風祭さんが言う。あんまり、軽いノリだったから、俺は拍子抜けしてしまった。 「呪われるなんて、普通はあることじゃないから、そんなに、心配しなくてもいいよ。  ただ、血は穢れだから、中性洗剤でよく洗って」 『けがれ』を俺の頭は『穢れ』と、変換したけど、間違っていただろうか。 「中性洗剤? ですか」  それは多分、『汚れ』を落とす方のやつだろう。こういうのはそういう科学的なやつではなくて、もっと、何というかスピリチュアルなアレとかじゃないと駄目な気がする。 「そんなもんだよ?  だから、気にしない」  けれど、風祭さんが本当にいつも通りの様子だから、それでいいことにする。  そもそも、こういうことについて、俺は全く知識がない。怪談話を聞いているとなんとなく知った気になるけれど、実際のところ本当のことなんて何にもわかっていないんだ。何故とは聞かないで。と、言外の圧を感じるから敢えて聞こうとは思わないけれど、こういうことにも詳しいようだし、何より、風祭さんは鈴が信頼している人だ。  だから、俺も信じようと思う。 「あの……最後に一ついいですか?」  でも、もう一つどうしても気になっていることを、俺は聞かずにはいられなかった。 「なに?」  風祭さんが問い返す。 「あの呪いの子はどうなったんですか」  俺の問いに先に答えようとしたのは、鈴だった。けれど、風祭さんが片手をあげて、それを止めた。 「池井君。こんな言葉知ってる? 『深淵を覗くものは、ひとしく深淵から覗かれる』  それを覗きこんだのは彼女の意志だ。だから、その責任は彼女自身のものだよ?」  それは、聞き覚えのある言葉だった。ドイツの思想家の言葉だ。  風祭さんが言いたいことは、俺にもわかった。それは、彼女になんらかの『よくないこと』が起こったことを意味していた。  そして、風祭さんが俺を気遣ってくれているのがわかっていても、何も思わずにはいられない自分がいた。 「でも……」  そう言った瞬間だった。  からん。からん。  と、音を立てて、ドアが開く。 「おう」  ドアを開けたのは川和さんだった。 「あん? まだいたのか? もう、7時半過ぎてるぞ?」  店内の時計に目をやってから、驚いた様子で川和さんが言う。どうやら、彼も、俺たちが出かけるのだと知っていたようだ。 「本当だ。池井さん。そろそろ行かないと」  鈴が、俺の背に手を置いて言った。その顔が少しほっとしたように見えた。そして、言いかけた問いを遮られたことに、俺も、少しだけほっとしていた。  この深淵は、俺が覗くには深すぎる。  けれど、いつか。  それがいつかは、分からないけれど、それを、覗かなければいけない日が来る。  そんな気持ちを引きずって、俺は促されるままに緑風堂を出たのだった。
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