1 名前のない同級生

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1 名前のない同級生

 俺の住んでいる街で最も有名なB級グルメの自称元祖の定食屋兼飲み屋は、大いに盛り上がっていた。店内はそれほど広くはない。20人ほどが入るといっぱいになってしまうような店だ。けれど、安くて、美味くて、気取りがないいい店だと俺は思う。図書館からも、歩いて数分。最高の立地条件だ。  正月も過ぎて、何もないこんな時期に何故かは知らないが、今日、この店では俺たちの中学時代の同級会が行われている。とはいっても、それほど大げさなものではなくて、15・6人程度の集まれるメンバーだけで集まるただの飲み会だ。言い出したのが誰なのかは知らないけれど、地元に残った仲間に声をかけて、数年ぶりに会おうという話が盛り上がったらしい。まあ、コンセプトはともかくとして、俺にとっても楽しい買いであったことは間違いない。普段は会えない仲間と会うと、随分と時間が経っているはずなのに、再会した途端に中学時代に戻ったみたいに馬鹿な話で盛り上がる。酒は強くないのに、少し飲み過ぎてしまったのはそのせいだ。 「池井君。それどうしたの?」  隣に座っているのは、池田という元気のいい女性だ。介護系の仕事をしているとかで、はきはきとした話し方が気持ちがいい。俺みたいな文系陰キャは女子と話す機会なんて、中学時代はそんなにあるわけじゃなかった。実際、初恋の人とは中学時代を通しても挨拶以外は数回会話した程度だ。けれど、彼女は中学時代は名簿順でよく隣に座っていたから、自然と話す機会が多かった女子だ。 「ああ。これ? 今日職場で利用者さんとぶつかってファイルの角で切った」  彼女が指摘したのは、手の甲の大きな絆創膏だ。仕事中、書架の間から飛び出してきた女性とぶつかって相手の持っていたファイルの角で切ってしまったものだ。大した傷でもないのに相手にすごく心配されて、ハンカチで傷を拭ってもらった上に、そののち、小柏さんに無駄にデカい絆創膏を貼られて、恥ずかしいくらいだった。 「ちょっと切れたくらいで、職場の人が大袈裟でさ」  ふうん。と、言いながら彼女は目の前のグラスに入ったハイボール(酎ハイではない)に口をつけた。 「彼女? の間違いじゃない?」  グラスで指さされて、俺はその手を避ける。小柏さんが彼女なら…と想像してぞっとした。いや、彼女は綺麗な女性だが、あんな人と付き合ったら、きっと一瞬たりとも心が落ち着かないことだろう。 「残念ながら、そ、いうのいません」  代わりに思い浮かんだのは鈴の顔だ。もちろん彼女じゃない。彼氏でもない。でも、そういう人ができるなら鈴がいいと思ってしまってから、そんなことを思う自分が恥ずかしくて、俺はあまり強くないのにライチサワーをぐい。っと、飲み干した。 「おう? それは、いませんって顔じゃなくない?」  店員を呼び止めて、同じもの。と、俺の分まで勝手に酒をオーダーして、彼女は顔を覗き込んできた。酔わせてどうする気だ? と、身構えてしまう。 「池井君さ。中学の時。そういうの興味なさそうだったから、気になる」  別に興味がなかったわけじゃない。ただ、ガキだったから、からかわれたりするのが恥ずかしかっただけだ。だから、好きだった人のことも誰にも言わなかった。 「や。別に本当に彼女とかいねえし」  今は。と、考える。余計に言えない。  まさか、年下の大学生で、超のつく美形の、しかも、同性に恋してます。なんて、言えるわけがない。 「ふうん。ま、いいや。そのうち図書館に覗きに行こう」  図書館に来られてもやましいことはない。俺はほっと、胸をなでおろす。それどころか、利用者さんが増えるのは喜ばしいことだ。後は、小柏さんが余計なことを言ってあらぬ誤解を受けなければいいな。と思う。
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