ラノベの世界に入ったけど、勇者は腑抜けだったので私が魔王を倒します

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「死ね!」 「お前なんて見たくもねぇ! 消えろ!」 「もう学校くんな!」 「お前の顔ってこの原人にそっくりだな!」 「うわっ!ばい菌が移るぞ!みんな避けろ~!」 親の離婚で母親の実家がある他県に引っ越した私は、誰も知り合いがいない中学に入学。2か月後、修学旅行の翌日体調を崩して学校を1日休んだら、次の日からいじめが始まった。たった1日でまぁまぁ楽しかった学校生活は終わりを告げ、それに戸惑った。 しかし思い返せば、その前から同じ陸上部の男子から、顧問のお気に入りの私が朝練を休むと嫌味や嫌がらせを受けていたので、いじめの兆候はあったのだが、鈍感な私はあまり気にしないで過ごしていたのだ。 友達と交換日記や共同漫画の製作をしていたので、いじめが始まった頃に気にしないで話しかけたが、全員ガン無視……。 あっという間に、交換日記や共同漫画の製作から省かれた。 (あぁ、つまらないなぁ。友達いた方が学校は楽しいよな……) そう思った私は、今まであまり話しかけたことがない大人しいクラスメートに積極的に話しかける事にしたのだが、その子の友達が徹底ガード! 「あの子と口きくとハブられるよ!」 「あの子に近寄るといじめられるよ!」 (私の目の前で言いますか?)と正直思った。 そんな感じで、クラスメートは全滅したので、他のクラスの顔見知りに声をかける事にしたが、話しかけても「あなたなんて知らない」「話かけないで!」と言われてしまい、友達ゼロ人の学校生活が始まった。 学校に行けば、毎日悪口を言われ、教科書を隠されて、みんなで円を囲み笑いながらの原人コ―ルが鳴り響く。 ある日、帰宅途中に陸上部の同級生に雨水を掛けられ、笑われたのがきっかけになり、私は母親にいじめられている事を伝えた。 それまで「勉強しなさい!」と口うるさく言っていた母だったが、私の話を聞いて「もう無理して学校に行かなくていいよ! 学校側と話をするからね!」っと言ってくれて心底ほっとした。 しかし、学校側はいじめをもちろん否定、私が学校を休んで当番をやらなかったせいでクラスメートが不満を抱いたのだから、やられている事は全て自分のせいと言ってきた。 再三に渡る母の訴えにより、学校側はいじめを否定しながらも、渋々来学期から他校に転校する事を許可した。 私はこれでやっと普通の学校生活が送れると喜んだのだが、それもつかの間、いじめに遭った心的ストレスにより、母親以外の人に会うと吐き気と腹痛を感じる対人恐怖症になっていた。 (せっかく転校できたのに、来学期からどうやって学校に通えばいいの……)私は悲しくなった。 しかし、諦めたくない私は転校先の学校が始まるまでの1ヶ月間、近所の図書館に行く事にした。 (徐々に人に慣れていけば、きっとまた学校に通える) 私の計画は成功し、母親以外の人のいる空間でも吐き気や腹痛が徐々に起きなくなっていった。 こうして私は2学期から無事新しい学校に通えるようになった。 まだ少し対人恐怖症の症状は残っていたが、何とか日々を過ごせていた。 しかし、1年があと少しで終わるという時に、前の学校に従妹がいるというクラスメートが、私がいじめられていた事をクラスメートに話すと、あっという間にこの学校でもいじめられるようになる。 正直、2度目のいじめは前よりもつらいとは思わなかったが、対人恐怖症は悪化したので、春休みを機に登校拒否という手段を取ることにした。 母親は私を見て同情したのか「好きにしなさい」と言ってくれたので、私は好きな事だけをするようになった。 学校に行かなくなった私は勉強をする気にもなれず、もともとゲームや漫画が好きなので、そればかりして毎日を過ごすようになった。 異世界転生系の漫画にはまるうちに、原作のライトノベルにも手を出すようになり、面白さを知った私は、紙媒体に留まらずネットの小説投稿サイトも覗くようになった。 (こんな風にこの世界と別れして、別の世界に行けるなんて最高じゃん!) 私は主人公に憧れ、異世界に飛びたいと思うようになる。 (図書館に魔術の本ってないのかな?) 気になった私は久しぶりに図書館に行き、ダメもとで魔術の本が置いていないか探してみる事にした。 驚いたことに、魔術の本は存在していた。私はそれからと言うもの魔術の本を読み漁り、なんとかして異世界に飛ぼうと計画をたてるようになった。 魔術の本は意外にも種類が多く、どれに効き目があるのかよく分からなかった。しかも、持ちだし厳禁と記載があるので、多数の魔術の本をノートに写さなくてはならず、これが結構な労力だった。 とりえず効き目のありそうな、いかにも本物っぽい本から写し、もっとも魔力が高まると言われている満月の夜、自分の部屋のバルコニーに出て呪文を唱えた。 しかし、全く効果はなかった。異世界の扉は一向に開かれなかった。 「そりゃあそうだよね……」 異世界に飛ぶことに希望を見出していた私だったので、いくらやっても扉が開かない事に心底がっかりした。 かれこれ20冊の魔術の本を読み、10個の異世界に飛ぶ系の呪文を試した私は、もうすぐ3年生になろうとしていた。 「高校はどうするの?」 「行きたくないな……。お母さんも私が高校行かない方が金銭的に助かるんじゃない?」 「そんな事あるわけないでしょ! 行きたいなら行ってほしいしわよ。お金の事なんて子供が心配する事じゃないからね。お金のことは気にしないで決めなさい」 そう母親に言われたので、真剣に進路を考えてみた。異世界に逃げるつもりだったけど叶わなくなった今、私は独り立ち出来るようにしなくてはいけない。 (やはり高校は出ておいた方が良いよな……) そう考えた私は3年生が始まると、学校に行くようになった。 いきなりクラスに行くのはハードルが高かったので、まずは保健室登校から始めた。 私が学校に登校している噂はすぐに広まり、休み時間に興味本位で様子を見に来る生徒もいる。 この1年でいじめの対象は他に移ったようで、私はただ物珍しく見られるだけであった。 徐々に保健室登校にも慣れて、クラスにも顔を出せるようになった。 こうして私はクラスに通えるようになり、今更遅い受験勉強も開始した。 しかし、現実問題出席日数が足りな過ぎて、受け入れてくれる学校は中々見つけられない。 そんな中、1つの学校が受け入れると言ってくれたので、その学校に行く事に決め、試験の日を目指して勉強をする毎日になった。 母親は私の変わりように驚いていたが、嬉しそうだった。 そんな母親の顔を見ると私も嬉しくなった。 勉強の効果があったのか、無事合格した私は春から高校生になることが出来た。 (今度こそやっと充実した学生生活を送れる!) 私は入学を楽しみにしていた。 入学式が終わり、クラスに移動すると隣の席同士クラスメートが会話しているのが見えた。 (みんな話しかけるの早いな……。私も出遅れないようにしないとっ!) そう思って、急いで自分の席を目で探すと、私の席には違う子が既に座っており、他の事話をしていた。 (入りづらいなぁ……) 教室に入るのを止めて、私はトイレで時間を潰し、ホームルームが始まるのを待ちクラスに戻ることにした。 「よし、じゃぁこれから1年間お世話になる仲間なんだから、まずは軽く自己紹介でもしようか! じゃあ、出席番号順にどうぞ!」 担任がそう言うと、出席番号1番の人から出身中学、得意な事、趣味などを話し始めた。 出席番号は苗字の頭文字、あいうえお順だ。私の苗字は椿なので大体真ん中あたりで順番がやってくる。3年生の一年間は学校に通えていたが、まだ人前で自己紹介するのは苦手だった。 (楽しい学校生活にするためにも、失敗はしたくないな……) 何を話そうか考えていると、自分の順番はすぐに訪れた。 「は、はじめまして。椿 莉乃と言います。出身中学は南中です。趣味は本を読む事やゲームをする事です。得意な事は……ありません……」 (あぁ、なんかもっと明るく出来なかったのかな、得意な事も思いつかないし、自己紹介は失敗したな) そう思っていた私に、後ろの子が肩をツンツンしてきた。 「初めまして。莉乃ってかわいい名前だね!私高校入学前に引っ越してきて、まだ知り合いがいないの……良かったら友達になってよ!」 外見がとても可愛い女の子だった。明るそうで、気さくそうで、私にないものを持っている子に感じた。 こんな子が友達になってくれるなら、私の学校生活も今までとは違うものになるかも! そう期待して、私は東条 香澄と友達になった。 私はいじめられてから、グループに苦手意識を持つようになったので、香澄と2人組を期待していたのだが、香澄は誰とでもすぐに打ち解ける性格だったので、入学式の日に私の他にも次々と仲良しの子が出来ていき、淡い期待は一瞬で消えた。 とりあえず、ぼっちじゃないんだから良しとしようと思うようにした。 翌日の昼、香澄が一緒に昼ご飯を食べようと誘ってくれたので、喜んでOKした。香澄と席をくっつけると、他にも人がやってきた。 「香澄~、お昼一緒食べよう~」 「あれ? 香澄、横の子誰?」 「え~。この子は莉乃だよ。私の前の席に座ってるじゃん。クラスメートなんだから覚えようよ。」 「香澄が選ぶ友達にしては地味っこだね!」 そう言ったのは、香澄と特に仲が良い大鳥 光里だった。光里は私をいじめてきた女子と同じ匂いがするので私は苦手意識を持っていた。 (なんか悪意を感じる言い方だな……。光里ってどう見ても私の事嫌いだよね……) 俯いていると、香澄が口を開く。 「そう? 今は暗くて地味に見えると思うけど、私が思うに元は良いから、ちゃんと手を加えれば可愛くなれると思うんだよね~。だから私達がおしゃれを教えてあげようよ♪」 「香澄は優しいね」 「私は別に誰がいても構わないし、気にしないから」 「害もないしね! あはは」 (明らかに光里にも後の2人にも良く思われていない感じがする。でも、もう一人は嫌だ……) そう思った私は不安を持ちながらも香澄のグループに留まることにした。 香澄は放課後デパートやドラッグストアで服やコスメを見るのが日課のようで、毎日付き合わされた。 「あぁ! これ新色じゃん! ほっしー!」 「はぁ……。良いなぁ。光里は何でも買えて……」 「香澄? どうしたの?」 「うちの親お小遣いあんまくれないんだよね~。だから今月はもうお金なくてさ、洋服もコスメも見るしか出来ない……。高校生なんだから、中学生の時とは出費が違うってのにさ!」 香澄はイライラしながら、爪を噛む。その様子を見ていると、香澄と目が合ってしまった。 「そういえばさ、莉乃の家はどうなの? 莉乃が物買っているところあまり見ないけど……」 「うちは片親で、お母さんしかいないから、お小遣いくれなんてなかなか言えないんだよね」 「えーー! マジ!?」 「莉乃、大変なんだね……」 「何か欲しい物ない? 買ってあげるよ?」 いきなり周りから同情の目を向けられ居心地が悪かったので、何とか話題を変えようとした。 「え? 良いよ。そのうちバイトしたいと思ってるから、今だけの我慢だと思うし」 「バイトするの? そっか、バイトいいね! 私もしようかな?」 「ねぇ、莉乃。どうせなら同じバイトとかどう?」 「え? それはどうかな……香澄が受かって私が受からないってありそうだし……」 「ほらぁ、またまた悲観的~」 「私が莉乃でも出来るの探しておくから、見つかったら教えるね!」 不安を感じたが、香澄は私が止められる相手ではない……。嫌な職種なら後から断ればいいし、先に自分が見つけてしまえば諦めるかと思い、とりあえず放置した。 数日後、スマホで求人を探していると、香澄が笑顔で近寄ってくる。 「り~の~!」 「香澄、どうしたの?」 「莉乃またバイト探してるの? いいバイト見つかった?」 「ん~。今のところファストフード店のレジ打ちが良いかなって思うんだけど……。」 「ふーん。見せて! ここかぁ、ここ制服可愛いよねぇ。えっ! 時給900円!? ひっくっ!!」 「これはないよ~。こんな安いところで働くなんて絶対ヤダ!」 「そう? 私は900円で充分かと思うし、とりあえず受けてみようと思う」 「莉乃? 自分を安売りしたらダメだよ?」 真剣に香澄は言ってくる……。 「でも、なんの経験もないから、これくらいが妥当じゃないかな?」 「また悲観的~。その性格どうにかしたら?」 「ご、ごめん」 「謝らなくて良いから、一緒に働けるところ探そうよ! 私が良いの見つけてくるから、それまで受けちゃだめだよ? わかった?」 「う、うん……」 争いを起こしたくない私は、香澄の言うとおりにして、面接は受けないで待つことにした。 そして数日後の放課後、モールの化粧室でメイクしていた時、グループの1人雪乃が香澄に話しかけた。 「香澄、それティオールのリップ?」 「えっ? そ、そうだよ!」 「ちょっと待って、それ新作の色じゃない?」 「まぁね、割のいいバイト見つかってさ。ご褒美に買ってみたの~」 「へぇ、良いね! 私にも割の良いバイト紹介してよ!」 「う~ん。光里の家裕福じゃん! バイトする必要あるの?」 「それがさぁ、聞いてよ! ここ最近浪費してるって怒られてさ、ファミリーカード取り上げられたの!! だから、親の金にはもう頼れないのよ……。マジ最悪!」 「そうだったんだ~。光里も大変だったんだね! わかった、光里にもこのバイト紹介してあげる!」 「さっすが香澄! やっぱ頼りになるわ!」 香澄は私にバイトの面接を受けるなと止めたくせに、勝手にバイトを見つけているようだった。それにイラつきはあったが、私はいじめられてからと言うもの自分の感情を話すのも会話に入るのも苦手で、結局何も聞けずに、ただ香澄と光里のやりとりを見ていた。 そしてさらに数日が過ぎたある日の放課後。 「ねぇ、莉乃~。これ似合うかな?」 「うん、とっても素敵だと思うよ」 「本当? じゃあ、これにしよ!」 「光里は決めたの?」 「う~ん。私はこれとこれで迷ってるんだよね~」 「どっちも買えば良くない? どうせまたすぐにお金入るし!」 「まぁ、それもそうだね! じゃ、日頃のご褒美に奮発しちゃおう!」 イキイキ会話をしている2人を見て、思わず口から言葉が出る。 「何か、最近2人とも沢山買い物するね。香澄バイト始めたの?」 「あ、そうそう。そろそろ軌道に乗ったから、莉乃にも紹介しようと思ってさ! 黙っててごめんね♪」 「そうなんだ。別に気にしてないよ。それでどんなバイト?」 「まぁ、それはすぐにわかる。めっちゃ高時給で内容は超簡単! 楽して金儲けって感じだよ♪」 「そ、そうなんだ。そんな仕事あるんだね」 私は嫌な予感しかしなかった。 「明日の夜って暇?」 「う、うん」 「じゃあ、8時に渋谷駅で待ち合わせね!可愛い服着て来てね♪」 「わかった」 私と香澄のやり取りを聞いて、光里が慌てた様子で香澄の手を引き連れて行く。 「ちょっと、香澄! 莉乃なんかに教えて大丈夫? あの子、この手の事は全く経験無さそうだし、もしトラブルになって、うちらの事も先生にチクったりしたら……」 「大丈夫大丈夫。チクるなんて、莉乃にそんな勇気ないから。莉乃は大人しいから、土壇場で抵抗も出来ないだろうし、それにあの初心者のウブさがまた味を出すのよ♪ 私のお客さんにいるんだよね。莉乃をタイプって人が……。たとえ莉乃でも、1回でもやれば共犯だからね、チクるなんて無理でしょ♪」 「うわぁ、香澄って結構考えてるんだね」 「まぁね♪」 こうして私は怪しげなバイトと知りながら、ハブにされるのが怖くて誘いに乗ってしまった。 そして、約束の夜8時。 「あ、莉乃~♪ こっち、こっち♪」 「あ、香澄……」 (あれ、横に知らないおじさんがいる、香澄のお父さんかな?) 「莉乃、よく来たね。ドタキャンされるかと思ってた」 「こらこら、ドタキャンはおじさんが困るよ~」 (自分の事をおじさんと呼んでいるってことは、お父さんではないのか……。バイト先の上司? でも新人の面接のためにわざわざ駅まで迎えに来るかな……) 「莉乃~。なに固まってるの? この人は仕事相手の相沢部長!」 「香澄ちゃん、肩書で呼ぶのはやめて欲しいなぁ。」 「あ、ごめんなさい。相沢 清二さん♪」 「は、初めまして。椿 莉乃と言います。今日は宜しくお願いします」 「う~んっ!いいねぇ、このかしこまった感じ! 初々しさが沸き出してるね♪ こういう子タイプだわ♪」 「でしょ~?良かった~。相沢さんの好みって思ったんだよね♪」 「ちょっと、香澄? どういう仕事なの?」 「莉乃ちゃん。まぁまぁ、落ち着いて。とりあえず、近くのレストランにでも行こうか?」 「え、でも……」 「莉乃、大丈夫だって♪ 私も初回は同伴するんだから♪」 私は臆病者だ、何かおかしな事に巻き込まれていると分かっていても、逃げ出す勇気もない。 「莉乃ちゃん、好きな物頼んで良いから、おじさんとお話しようか♪ 高校は楽しいのかな?」 「は、はい。香澄がいてくれるので、楽しく過ごせています」 香澄を見ると、香澄はスマホをいじって下を向いていた。 「あ、相沢さんごめん! 私は約束があったの忘れてて! あとは二人で楽しんでね♪ 莉乃、明日話聞くからね~♪ バイバ~イ」 「え、ちょっと! 香澄!? 待ってよ!!」焦って呼び止めたが香澄はこちらを見向きもせず行ってしまった。 (ど、どうしよう……)おじさんの方を見ると、ニコニコして見てきた。 「莉乃ちゃん、おじさんは悪い人じゃないから、心配しなくても大丈夫だよ。ただ、おじさんと楽しくお喋りして欲しいだけなんだ。そしたらお小遣いをあげるよ」 「本当にそれだけですか……?」 「もちろん君が望めば、お話以上の事もしたいし、その分報酬も弾むよ♪ でも、君が嫌がるなら、何もしない。」 おじさんの笑顔が私に恐怖をもたらし、我慢の限界を超えてしまった。 「ごめんなさい! 私にはやっぱり出来ません。さようなら……」席を立ちあがり急いでレストランのドアを開けて逃げた。 レストランを出る時に、おじさんの罵声に近い怒鳴り声が聞こえたが、振り向かずに前だけを見て全速力で駅まで向かい、改札を抜けて駅のホームまで行った。後ろを恐る恐る見たが、相沢という人は追いかけては来なかった。 ほっと一息つく、久しぶりに全速力で走ったので、息はかなり上がり、動悸も酷かった。 息を整えていると、電車が来たので、私は家に帰ることにした。 (どうしよう香澄に明日怒られるかも、でもあんな事で私はお金を稼ぎたいとは思わない。きっと香澄は光里にも同じバイトを紹介して、光里は何とも思わないで出来てるんだ…。光里はもともと私を良く思ってないから、今日の出来事が発端でハブられるのかも……) 電車の中で、明日の学校の不安が頭に沢山浮かんできた。 香澄から電話やメッセージが届くかと思ったが、朝になっても何も連絡はなかった。 (怒ってないのかな? それかあの相沢って人が香澄に話さないでいて、知らないのかも……) そんな期待は学校に着くと一瞬でなくなった。 「あ、来た、来た。莉乃ちょっと来てくれる?」 人気のない、階段の踊り場に着くと、香澄は深いため息をついて話し始めた。 「莉乃さ~、昨日自分が何したか分かってる?」 「か、香澄。ごめん……。私知らない人と話すの苦手で、どうしてもあの場に居続けられなかったの……」 「莉乃? 莉乃の気持なんてどうでも良いの。相沢さんは私のお得意様なんだよ? あの人は私に上客を紹介してくれる約束してたんだよ? それなのに昨日のせいで、もう紹介されないんだよ? どうしてくれんの!?」 「か、香澄。本当にごめん……。そんな大事な事だって知らなくて……」 「知ってたって、どうせ逃げるでしょ!? 本当莉乃にはがっかり! 何の利用価値もないのに一緒にいる意味ないんだけど?」 「香澄~? 大丈夫?」 「あ、光里! 本当最低なんだけど。」 「だから言ったじゃん。この子には無理だって」 「そうだね、光里が正しかったわ。」 「もうこんな使い物にならないやつなんて、うちらのグループに入れておく必要ないでしょ?」 「そうだね、見るだけでもイライラするし」 「ってことで、さよなら役立たずさん♪」 「あはは、マジ言えてる~」 香澄と光里はグループ内の他の2人にも、私が香澄や光里の陰口を言い、パパ活に誘ってくるなど嘘を言って、仲良くしないように指示を出した。 グループ内で力があった香澄、光里の言う事だから、2人とも信じてしまい、私はまた1人になった。1人になった私を見て、みんな私が香澄達に何かしたのではないかと思う様になり、厄介ごとに巻き込まれたくないクラスメートは私に話しかける事もせず、あっという間にクラスで孤立した。 クラスにいると、誰かに陰口を言われているような気がして落ち着かない私は、学校の図書室に通うようになった。 図書室は人気がないから、いつ行っても人は1人か2人しかいない。それが私には心地いい空間だった。 図書室に通う様になって一週間が経った頃、いつも行かない本のコーナーから視線というか圧力を感じた。最初は誰か私の陰口でも言っているのではないかと思って、気にしないようにしていた。唯一の安らげる場所だったから失いたくなくて、そうするしかなかった。 日に日に圧力は増していき、無視できなくなってきた。近づきたくなかったが、無視も出来ない私は圧力の方向へと向かうことにした。 そこには料理本コーナーがあり、1冊だけ見覚えのある背表紙の本があった。 私が近所の図書館に通っているとき、1冊だけ見るからに力がありそうな魔術の本があった、その本が学校の図書室にもあったのだ。 私はその本を無断で持ち去り、家で見る事にした。 見てみて分かったのは、この本は言わば原本で、図書館で昔借りたのは大衆向けに書かれたコピー版だったのだ。 コピー版といっても大衆向けなので、本当に呪文がかからないように呪文に必要な材料は変更が加えられているようだった。 「なるほど、だから私が何度も試しても扉が開かなかったのか!」私は喜びで震えた。 (高校に入ってもまた一人になってしまった。もう私がこの世界にいる意味はない!)そう思った私は、満月を待ち呪文を試すことにした。 学校では相変わらず透明人間扱い、誰も私を気に掛ける人はいない。 私の唯一の気がかりは1人、母親だった。 (異世界に飛んだらお母さんはどうするんだろう……。行方不明として捜索願が出たりするのかな……。酷く落ち込むだろうな。でも私がいなくなればお金は節約になるんだよな…。気にしなくていいっていつも言われるけど、お母さんには私の事ばかりの人生にはなって欲しくないもんな。やっぱり異世界に行くのが一番誰にでも良い選択な気がするな) そしてついに満月の夜。書かれていない材料は、呪文をかける本人の血だったので、私は魔法陣の上にナイフで掌を浅く切り血を垂らした。浅いけど意外と痛いし、ジンジンする。 (血が垂れた後、呪文を唱えれば私は異世界に飛べるはず! よし!) 私は気合を入れて、何語かも分からない呪文を頑張って暗記して唱えた。唱え終わると、魔法陣が光り出し、白い光が眩し過ぎて思わず両手で目を覆ってしまった。 気が付くと私はどこかの路地裏に倒れていた。見覚えの無い景色に私は異世界に来たことを確信する。 「やったー!! 成功した!!」私は今までの人生で一番大喜びした。 喜んだ瞬間はっと我に返った。 (まずい、ここは異界のはず、私の言葉や服装がこの国のものと違うのなら、追剥に遭うかも……。それか、どこかの国の暗殺者と間違わられて、投獄もありえる……。それか研究者が珍しがって解剖や実験するかも……。とにかくここは目立つ行動は避けて、溶け込まないとダメだわ) 本来なら落ち着けない状況だが、自分の命が懸かっているので、頑張って落ち着いた。 とりあえず、物陰に隠れてあたりの様子を探った。どんな国かはまだ分からないが、西洋風の衣装が一般的なようだ。 私は術を行う前に、身を清めた、つまりお風呂だ。なので、パジャマを着て呪文を唱えたので、今はパジャマ姿で異世界に来ている。 (どう考えても浮く服だな……。何か手っ取り早く馴染める服無いかな……。お金がないから買うわけにもいかないし……) 服装に悩んでいるとき、1人の男が衣服っぽい布を路地に投げ捨てているのが見えた、誰もいないのを確認してその場所に移動し、さっき捨てられた布を拾った。 「え? これってマント?」手に取ったのは、フード付きの赤茶のマントだった。 (これなら顔も隠せるし、服も隠しやすい。とりあえずこれを着て移動しながら情報収集をしよう。) 町中をうつむきながら歩く。 (どこに向かえば良いのかな……。そもそもお金ないし、明日からどうしよう。生きていくために何かしなきゃ……) そう思った私は、この世界がどんな世界かはまだ分からないものの、ゲームでは定番のギルドを探すことにした。 不思議と看板を見れば文字が読めるし、この国の言葉もなぜか理解できるようだった。 ギルドと書いてあるものは探したところ見つからず、第2の候補酒場に向かうことにした。 (この世界では高校生でも飲酒できるのかな……?)ドキドキしながら酒場の門を開けると、男たちが大声で騒ぎながら酒を飲んでいた。 (苦手な雰囲気だな……) そう思ったが、情報収集して何かお金を得る方法を早くゲットしないといけないので、耐える事にした。店に入りキョロキョロしていると「あら? お嬢ちゃんどうしたの?」凄い美人なお姉さんに 声をかけられた。 「あ、あの……」 「飲みに来たって顔じゃないわね……。ちょっと端の席に行って待ってて」 「は、はい」 私はとりあえず、美人なお姉さんの言うとおりに端の人気のない席に座って待つことにした。 「ふ~。やっと一息つけた……。お姉さんが良い人だといいけど……。言うとおりにして大丈夫かな……」 不安が口から洩れる。 「ごめんね! お待たせ! さて、何しにここに来たの?」 「えっと、親と離れ離れになってしまって……。仕事を探しているんです。生きるために……」 「そうだったの……。それってやっぱ魔王のせいよね……」 (魔王? 魔王がいる世界なのか……) 驚いたが、とりあえず話を合わせる。 「え、、えぇまあそうです……」 「やっぱり、そうだと思った。同じような子を沢山見てきたから、一目でわかったわ……。ここで働かせてあげられたら良いんだけど、人手は足りてるし……」 「そうなんですね……。分かりました……。」 ウェイトレスの女性は私を気の毒そうに見つめる。 「ん~何か私でも役にたてることないかしら……。あ! そういえば、ここからすぐ近くの【Rest in Peace】って宿屋で受付が必要って前に聞いたわ。ダメもとで寄ってみたら?」 「そうですか! 分かりました、今から行ってみます」 「もし雇われないようなら、何か他の方法を見つけるからまた此処に戻っておいで!」 「ありがとうございます。お姉さん!」 「いいのよ! それとお姉さんじゃなくて、リリアよ♪」 「リリアさん、私は莉乃です。よろしくお願いします」 「リノね! 幸運を祈ってるわよ!」 こうして私はリリアさんの言われた宿屋に向かった。 (Rest in Peaceって死者に安らかに眠れって使う言葉だよね……。なんか変な名前の宿屋だな。大丈夫かな。それにさっきのリリアさんの話だと、私みたいな子が魔王のせいで酷い目に遭っているってことだよね……。思ったよりも異世界で生き抜くのって大変なのかも……) 不安を抱えながら宿屋の戸を開けた。 「へい、らっしゃい。泊か?」 ドアを開けた先には大男が不愛想に座っていた。怖いと思ったが、怯んだら負けだと思い、話しかけた。 「あ、あの受付を募集していると聞きまして……」 「あ? 受付~?」 「はい。もしまだ決まっていないのでしたら、私を雇っていただけませんか?」 「ふ~ん? 受付ね……。なんか根性が無さそうな女だな。受付って言ってもただ受付すれば良いってもんじゃねぇぞ? 部屋の掃除やらシャワー室の掃除やらやることはいっぱいだぞ? ここには剣闘士や魔法使いもいるが、普通の観光客も来る。どの客にもしっかりとしたおもてなしが必要なんだが、力と根性がねぇと持たねぇ。女を雇ってもすぐ辞めちまう。男はそもそも働きたがらねぇ……そんな職場だ。これを聞いてもまだやりたいと言うか?」 (剣闘士に魔法使い? それなら勇者も来るかもしれないし、魔王の話とかこの世界で生き抜くための情報を収集できるかも! ここで働くしかない!) そう思った私は、何が何でもこの仕事をつかみ取ろうと必死になった。 「働かせていただけるのなら、どんな努力も致します!」 「どんな努力も?」 「はい! 根性も筋肉も付けます!! 何でもお望みの物を付けます!」 我ながら何を言ってんのかなって思えてきたその時……。 「がはははは! こいつは面白れぇ! 試しに雇ってみてもいいかもな。俺もこの面のせいで客が泊まらなくなっちまって困ってたんだ。」 (面だけかな? がさつさのせいもあると思うけど……)と思ったが言わないでおき、にっこり笑う。 「その笑顔いいね! いかにも商売っぽい! よし、じゃあ、今日から頼む! あ、そういや名前聞いてなかったな! 俺はこの宿屋のオーナーのガルシュだ。」 「わ、私は莉乃と言います」 「リノか。俺はしばらく店を空けるから、夜になる前に部屋を整えておけ! いいな?」 「え? でもまだ何もやり方とか教わってませんけど…」 「え? 雇われる為なら何でもすんだろ?」 「はい……。分かりました! ガルシュさんいってらっしゃいませ……」 大男のガルシュはいそいそ外へ出て行った。私は初めての職場で何も教わっていないのに、いきなり店番させられてしまった。 (どうしよう……)と焦りはあるものの、やるしかないので腹をくくって、とりあえず1号室から見て回ることにした。 どおやらこの宿屋の客室は15部屋あり、その他に従業員の住み込み用として2部屋、オーナー(ガルシュの部屋)の部屋が1部屋あった。 部屋を整えておけと言われたけど、最近はあまり客がいないからか、どの部屋も綺麗に整えられている。私は受け付けに戻り、店番に徹した。 5、6時間経ってやっと大男が帰ってきた。 「おう! 誰も来なかったか?」 「はい。あの、全室確認しましたが、部屋は整っていたので、ここでお客様が来るのを待つことにし、ほとんどの時間ここにいました……」 ちょっと申し訳なさそうに言うと、男は「なるほど。部屋を確認したんだな。状況判断もちゃんと出来たようだな。よしよし」っと言って満足そうな表情を見せた。 どうやら一種の採用試験のようで、私は合格したらしい。 「とりあえず、下手な行動はしないやつだとは分かった。これは最低条件だからな~。まぁ、いいだろう。正式に採用してやる」 「あ、ありがとうございます!」 「喜ぶのはまだ早い、もし下手なことするようなら、すぐに追い出すぞ!」 「はい! 頑張って働きます!!」 「もう見て回ったのなら、分かると思うが、お前の部屋は1階の右端のRと書いてあるところになる。受付に近いから、常に客が来たら出迎えられる部屋だ。もし客を1人でも逃せば……分かってるな?」 「分かっています……」 こうして私は異世界に飛んで1日目で、なんとか職を見つける事に成功した。これで飢え死に、凍死などの悲運は避けられるだろう。 「あ、あのガルシュさん。実はここの求人酒場のリリアさんに紹介していただいたので、結果を伝えに行きたいんですが……」 「リリア? 世話焼きな奴だな……。よし、なら俺も今から酒場で飲むとするか! 今日は店じまいだ!」 そう言って、ガルシュは店を閉めて一緒に酒場に行く事になった。 酒場に着くと、リリアさんがガルシュに気付き、私の方を見てウィンクした。どうやら私が仕事を手に入れたことは伝わったようだ。 しばらくして、リリアさんが私たちの席にやってきた。 「ガルシュさん。今日はお連れ様も一緒?」 「白々しいな、リリア! 話はこのリノから聞いてるぞ? お前が紹介したんだって? この世話焼き嬢ちゃんが!」 「なーんだ。リノちゃんったら話してたのね~。ガルシュさんならこの子雇ってくれると思ってたわ」 「リリアさん、本当にありがとうございます。これで何とかこの世界で生きていけます」 「嬢ちゃん、まだ喜ぶのは早えぞ? まだ本当に働いてねぇしな!」 「もう、ガルシュさん! あまり厳しくすると有能な子でも逃げていくわよ?」 「その点は大丈夫だ! このリノは面接で根性も筋肉も付けると言ったからな! な?」 (覚えてたか……)「そ、そうです。どんな努力もします」 「リリアが思っているよりも根性ありそうだぞ! ガハハハッ!」 「ねぇ、リノちゃん。もし酷い目に遭うことがあれば遠慮なく言ってね」 呆れた顔をしたリリアはそっと莉乃に耳打ちした。 「ありがとうございます。リリアさん」莉乃は笑顔で答えた。 「よし! じゃあ、今日はリノちゃんの就職祝いってことで、店のおごり!」 「そうこなきゃな! ガハハハッ!」 どおやらガルシュさんはこれを狙ってたらしい……。 ガルシュさんは絵にかいたように文字通り、浴びるほど酒を飲み酔いつぶれた。 (まさか、これを宿屋まで運ぶの? 無理だよ……。自分の巨体を考えて飲んで欲しいわ……) 私が困っていると、リリアさんがやってきて、ガルシュさんの様子を見て「誰か、この人宿屋まで運んでくれない? 可愛い宿屋の受付嬢が困っているわよ~」と周りに聞く。 「何?可愛い宿屋の受付嬢?リリアが言うってことは、相当だろうな! 見てみるか。どれどれ……」 酒場にいた連中はリリアの声を聞いて、興味を持ちこちらにやってきた。 (可愛いって……リリアさん。なんてこと言うの……。絶対がっかりされちゃうよ) 不安に押しつぶされそうになっていると周りは騒ぎ始めた。 「おー! これはまた可愛い嬢ちゃんじゃねぇか! 宿屋なんてやめてうちの踊り子になりぁもっと稼げるのにな! どおだ?」 「いやいや、うちのレストランで看板娘になった方が堅実だし、安全だし、なによりうまい飯が食えるぞ?」 「あ、あの。どなたかオーナーのガルシュさんを宿屋まで運ぶの手伝ってくださいませんか?」 「こんな可愛い子の頼みを断ったら男が廃るってもんだ! よし、俺たちで運んでやるから、お前さんはガルシュの荷物持ってきてくれ!」 「は、はい!」 2人の男性は私の頼みをあっさり承諾して、ガルシュさんを連れて宿屋に向かう。予想外の出来事に、私は驚いた。 (もしかして私ってこの世界では可愛いって事かな……。異世界にきて人生初めて外見で得した! 魔王は怖いけど、異世界って良いかも) 私はウキウキしながら、ガルシュさん達の後を付いて行った。 2人の男性はガルシュをベッドに横にする。 「ふぅ~。ガルシュめ。巨体なんだから飲み方くらい調整しろや!」 「嬢ちゃんも大変だったな! いつもはここまで潰れねぇんだが、今日は何かあったのか?」 「そういや、自己紹介が遅れたな、俺は酒場の向かいの店【踊り子の館】の主人、ジョルジュだ」 「こっちは、町一番の味と人気のレストラン【幸せの味】の主人、ゲイルだ」 「宜しくお願いします。ジョルジュさんにゲイルさん。私は今日からこちらで働かせてもらう莉乃と言います。お金が貯まったらお店に伺いますね」 私が今できる最大限の笑顔を見せたからか、2人は上機嫌で宿屋を後にした。 (ふぅ、何とか1日目は無事に過ごせた。後はここで上手く働いて、異世界の人生を楽しく生きよう。とりあえず今日はもう寝ておこう) この世界は電子機器の類はない、布団に入ってから何かに気を取られることがないので、私はアッと言う間に深い眠りについた。 翌朝、鶏の鳴き声が道に響く。一部を除き町の住民のほとんどはその声で自然と起きるらしい。 私も慣れない鶏の鳴き声に驚いて、起きる事ができた。 「おはようございます。ガルシュさん」 「おう、はよぅ。そのなんだ……昨日は飲み過ぎて悪かったな……」 「ゲイルさんとジョルジュさんがガルシュさんをここまで運んでくださいました」 「そうか、そうか。あの2人がね。後で礼に行かねぇとな」 朝食は各々作る事になったので、私はとりあえず身近な卵を使って目玉焼きを作って食べた。 目玉焼きはこの世界でも家庭料理の1種のようで、作っても驚かれなかった。 「よし、朝食も済んだことだし。俺はちょっとゲイルとジョルジュのところに行ってくるわ。今後の飯の材料も買っておきたいしな。何か食いてえもんあるか?」 「あ、牛乳とパンがあればお願いしたいのですが……。あとベーコンにお米……」 「ベーコン、パンは買えるが、米か、米は高級品だからな、お前さん米が食いてぇなんて、東の国の出か?」 「あ、そういう訳ではないんですが、東出身の子に聞いてから、米を食べてみたくて……」 「そうか。で、牛乳か? 牛乳は保存効かねぇからな……。明日の朝、卵と一緒に宅配してもらうか!」 「ありがとうございます」 どうやら、東の国は前の世界でいう日本や中国のようなアジアに近いのか米が主食のようだ。しかし、私が今いる国ではパンが主食で米は高価な穀物として扱われているらしい。 私は前の世界では米が好きで、朝食・夕飯は米というタイプだった。 (……仕方がない。これからは三食パンで生活する事にするか) ここ数日間で私が聞いた話によりと、Rest in Peaceは、だいぶ前にガルシュさんのやり方に付き合いきれなくなった受付の女性は辞めてしまい、それから何人か後任が現れたけど、やはりガルシュさんと揉めて皆数日で宿屋を去ってしまった。それからはガルシュが1人で切り盛りしていたけど、ガルシュさんはガサツな性格で適当な人だから、客足はどんどん遠のいたらしい。 店の危機にガルシュさんはベッドメイクや料理を独学で学んで、今では全て一人で完璧にこなせる様になったけど、すでにここRest in Peaceに泊まりたいと思うお客さんはいなくなってしまい、ガルシュさんの努力は誰も知らないものとなってしまった。 リリアさんの話によると、ガルシュさんは受付に可愛い子でも来てくれたら、また盛り返せるのにと思っていたらしい。そこに私がたまたまリリアさん酒場に現れて、リリアさんはガルシュさんを助けたくて私に仕事を紹介したらしい。 私は自己肯定感が低いからか、いじめのせいか、自分の外見に自信はこれっぽちもない。だから、受付嬢をしたところで、お店に良い効果をもたらせるなんて思えない。 でも、ガルシュさんは私を見てから雇ったし、リリアさんに『可愛い子』と紹介されて私の事を見に来たジョルジュさんにゲイルさんも、批判するどころか他の仕事を紹介しようとしてくれた。 私は自分が思っているよりも、外見が良いのかもしれない。もう少し自信を持ってみても良いのかな……? 昼過ぎになると、ガルシュさんが帰宅。 2人で昼食をとっていると、ドアベルが鳴る。 私は急いで受付に戻った。 「お待たせしました。お泊まりですか?」 「うわぁ、本当に可愛い子が受付してる!」どうやらゲイルやジョルジュから私の話を聞いて来たお客さんらしい。 「あ、あの。お泊りでしょうか?」 「あ、はい!じゃあ、3泊しようかな!」 「かしこまりました。ではこちら1号室になります。食事はどうされますか?」 「食事は夕飯だけお願いするよ。昼間は魔王倒すために冒険に行くからさ!」 「かしこまりました。では、夕飯のみご用意させていただきますね」 剣士と思われる青年は私が話し終わった後もしばらく立っていた。 「あ、あの、どうかされました?」 「あ、失礼。噂通りの美しい方だなと思い、つい見とれてしまいました」 「あはは。ありがとうございます」免疫のない直球の褒め言葉に笑顔が引きつってしまった。 この男性を皮切りに、私の噂は口コミで広がり、あっという間に15室あった客室は満室となった。 お客さんが増えた事で、私の仕事も忙しくなった。朝はベッドメイクを始めとした部屋の清掃、食事を必要とするお客さんには食事も振舞わなくてはいけない。 料理が嫌いではないし不得意でもないけど、この国の料理に疎いし、下手な事をして異世界から来たとバレたくない私はガルシュさんにダメもとで料理をお願いしてみた。 ガルシュさんは私に去られたくないのか、意外とあっさり引き受けてくれた。 私は、徐々に接客にも慣れ、ベッドメイクなどの仕事も簡単にこなせるようになった。自然な笑顔が出せるようになり、お客さんと話も出来るようになって、口コミが口コミを呼びあっという間にRest in Peaceは人気宿となった。 宿が繁盛し忙しくなる事で、私も前の世界にいた頃よりテキパキ動けるようになって、活力が出てきたし、町のみんなが私を可愛いといつも言ってくれるから、自分にも自信を持てるようになってきて、昔の様に言いたい事が言えないという状況も減っている。 私がこの世界にやってきて1ヶ月が経過、この世界にも慣れてきて、違和感もなく生活ができ始めた頃、1人の青年が宿を訪れた。 宿にやってきた青年は、青い服に白いマント、瞳は澄んだ青色で、髪の毛は白に近い金髪、顔は今までこの世界で会った中で一番の美男子であった。 「こんにちは。Rest in Peaceへようこそ。お泊りですか?」  前まで、美男子なんて見たらドキドキして俯いて、声もかけられなかったのに、美男子の来客に緊張はすれど、卒なく接客を出来ている自分に成長を感じた。 「ど、どうも。何日かは決まっていないのだが、それでも良いかな?」 「かしこまりました。でしたらこちらに名前をお書きください。それと前金で50G 頂きます」 「50G!? 1週間宿泊出来る値段じゃないか?」 「何日か決まってないお客様には前金で50G受け取る決まりになっておりまして……」 「……そうか、わかった。じゃあ、3泊ならいくらになるかな?」 「3泊ですと、食事代3食付きで30Gになります」 「……」 「どうかなさいましたか?」 「……30Gも払えないんだ……。前に来たときはもっと安かったと思うけど……」 「そうですか。実はここ1ヶ月でここは人気宿になりまして、それに伴い価格も改定したんです」 「そうだったのか……。どうしようかな」 「……お客様、食事を含まないプランでしたら、21Gでご提供できますが、いかがですか?」 「お! それなら、払える。じゃあ、それで3泊お願いするよ。ありがとう」 「承知致しました。では、こちらのノートに記名をお願いします。こちらがルームキーでございます。滞在をお楽しみください」 青年は私ににっこり笑って、上の階の部屋に向かった。 (あの格好に容姿、私が読んでいたラノベの勇者にそっくりだったな……。あ、そうだ! さっき名前書いてもらったよね、どれどれ……あっ!) 先ほど書いてもらった名簿に目を通すと、そこにはセフィード・ライトベルと書かれていた。 「セフィード・ライトベル……。やっぱり、あの小説の勇者に間違いない」 この宿は剣士や武闘家もよく訪れてくれるけど、小娘が旅の情報やら冒険の話を聞こうもんなら一気に口を噤み何も教えてくれなかった。そんな訳でこの1ヶ月、私は宿泊客からはあまり情報は得られず、魔王もこの地には災いをもたらさなかった為、私は自分がどんな世界に来たのか分からないまま過ごしていた。 ここに来て、やっと自分が昔読んでいたラノベの中に入った事を知れたけど、まさかあれとは……。 私が入ってしまったラノベは【冷酷無慈悲、暗黒城の魔王とヘタレ勇者】という題名のラノベで小説投稿サイトにあったものだ。 このラノベは、ラストに勇者セフィードは大して強くないのに魔王と対峙、魔王に殺されてしまい、この世界の光と闇の均衡は崩れ、魔物が優位になった世界で人間は奴隷や食料とされ世の中は荒廃していくというバッドエンドなのだ。 何でこんな酷い話を読んだのか不思議に思うかもしれないけど、これを読んでいた時、私は初めていじめられた頃だった。その為、とにかく暗い話を好みこんな酷いラノベも読んでいた。 このまま、私が何もせずにいれば、いずれこの国は魔王の支配下に置かれ、人々は酷い目に遭う。もちろんこの世界に身を置く私も例外ではない。 「こうなったら、私が何とかして魔王を倒すしかない!」 そう思った私は、この日を境にまず基礎体力向上のためランニング、筋トレを始めた。この世界に存在しないはずの私ならスーパーパワーもあるかもしれないし、例外的な強さを期待した。勇者セフィードもその姿を見て感化されたのか、私と同じように鍛え始めた。 (ヘタレってタイトルだったけど、やる気はあるのかな? セフィードが強くなって、勝手に魔王を倒せば私の出る幕はないし、世界は平和になるってことだよね。それはそれでありだな)  セフィードは予定通り3日泊まると、また冒険に行ったのか、しばらく会うことが無かった。数週間ぶりにまたやってき1週間泊り、またどこかへ行く。 (ん~。やっぱ冒険だよね。ヘタレとは言え勇者だし) セフィードは最初の宿泊の時のやりとりで私に恩を感じているのか、好意的に見えたので、情報の為にセフィードと仲良くなる事にした。私の思惑は成功し、セフィードからは沢山の情報を得る事が出来た。 しばらくして、いつも黙って冒険に行っているセフィードが、初めて私に行く前に教えてくれた。私はチャンスと思い、ダメもとで同行を希望したら、セフィードには「君は勇者じゃないだろ?」と断られてしまった。 そう、この世界は生まれた時にそれぞれ役割が与えられており、その役割は首の後ろのマークで決まっているのだ。勇者は勇者としてしか生きられないし、一般キャラは町で生涯を終え冒険なんて出来ない決まり。  私は16歳で異世界からこの世界にやってきたいわばレアケース。この世界が何の世界か知らなかったし、セフィードと会ってから今までその設定をすっかり忘れていたけど、私は何なんだろう……。  もちろん、宿屋で働いている時にセフィードと出会った訳だから、当然セフィードは私を一般キャラと認識しているし、旅やら冒険なんて行かせるわけない。そもそも行けないと思うし……。  現実を知るのが少し怖いけど、私はセフィードに首の後ろのマークが何か教えてもらうことにした。 「首の後ろ? 生まれた時から変更はないはずだよ?」 「でも、もしかしたら例外もあるかもしれないからさ! お願い!」 「仕方ないな、そこまで言うなら」 セフィードはやれやれと言った具合に私の首の後ろを覗く。 「――え!?」 「何? どうしたの?」 「首にマークがないよ?」 私はこの世界で生まれた訳ではないから、役割は与えられていなかったようだ。 「リノ、どういう事?」 「うーん。私にも分からないけど、きっと神様がマークを押し忘れたんじゃないかな? まぁ、それは良い事だと私は思う、だって私は勇者にも剣士にもなれる可能性があるって事だから」 「君って本当に明るいな。君といると気持ちが明るくなるよ」 「じゃ、試しに防具屋に行っても良い?」 「うん、君が望むなら。僕もマークがないって人は初めて見るから、何が起こるか気になるし。付き合うよ!」 「ありがとう」 この世界は与えられた役割に必要が無いものは身に着けられない決まりがある。一般キャラに不必要な防具を持てば、防具に拒否されて身に着ける事すら出来ない。セフィードはそれが分かっているから、冷静なのかもしれない。私が拒否されればそれで諦めると思っているのだろう。 他愛もない話をしているうちに、防具屋に着いた。 「いらっしゃい! お! これは、これはセフィードさん! 今日はお連れ様も一緒で?」 「やぁ、久しぶりだね。彼女が防具を欲しいって言うんだが、彼女にも扱える盾はあるかな?」 「お、良く見たら宿屋のリノちゃんじゃないか! リノちゃんには防具なんて必要ないだろ。そもそも持てないと思うよ?」 「セフィードと話して1回試してみたいと思ったんです。ダメですか?」 この世界にきて私が手に入れた甘える演技で防具屋は「持つくらいなら」と了承した。 ドキドキしながら渡してきた盾を持つ。何の反応もない。受け入れられたら光り輝くとかありそうだよなと思っていると「あれ? 弾かれないね……」セフィードが不思議そうに見てくる。 「ほんとだな……これはおったまげたな。こんな事があるなんてな、リノちゃん、君は面白い子だな!」 「え? これで受け入れてくれたってことですか?何か盾が光ったりするんじゃ……」 「しないよ~。拒否される時は弾かれるからわかりやすいんだけどね。何も起きないってことは、リノは盾を持っても良いってことだよ」 「じゃあ、リノ、僕の事を目を凝らして見てみて?」 セフィードの方を向き、グッと目に力を入れて見ると「え? ――あ!」 「何か見えるでしょ?」 「うん、セフィードの顔の横辺りに数字が見える!」 「武器が持てて、この数字が見えるって事は、リノは冒険者の1人って事で間違いなさそうだね。この数字、上がHP、つまり体力。下はMPといって魔法関連の体力みたいなものなんだ。」 (つまり、セフィードはHP120、MP50……。う~ん。他の戦闘系の人見た時にこの能力がなかったから、これじゃセフィードが強いかどうか分からないな……。でも確か物語の中では、最弱の勇者、鍛えもせず冒険も進まないって設定だったはず。あまり期待はしない方が良さそうだな)  気持ちとは裏腹に、私はセフィードに笑顔を向けてセフィードを褒める。まんざらでもなさそうに照れるセフィードを可愛いと思った。 「じゃあ、これで私も冒険に行けるってことだよね?」 「うん、まぁそうだね。僕が一緒ならまぁ大丈夫だと思うし、次は剣を選ぼうか」 「やった!」 私は防具屋を出た後すぐに武器屋にも行き、無事に剣を入手、セフィードの助言を受けてHP回復薬など旅に必要な物をアイテムショップで手に入れて、準備を整えた。出発は明日の朝、ガルシュさんには帰宅してすぐに今日の出来事を話したら、最初は驚いて反対してたけど、またここに帰ってくると言ったら受け入れてくれた。 (ついに明日勇者として旅に出る……)私は緊張して中々眠りに着けなかった。   翌朝、初めて鶏が鳴くよりも早く起きる。セフィードと宿屋の前で待ち合わせをしていたので、待っていると少ししてセフィードがやってきた。 「よし! じゃあ、今日から冒険のパートナーとして宜しくね」手を伸ばしてくるセフィードの笑顔が眩しい!  セフィードの話によれば、ギルドショップに行かないと、冒険の道は開かれないらしい。初めてここに来たとき、お金が欲しくてギルドショップを探したけど、私には見つけられなかった。どうやら、剣士、勇者、魔法使いと言った冒険者でないとHPやMP同様に見えないようになっているらしい。 「ここがギルドショップ?」 「うん。初めて入るのは緊張するだろ?」 「うん。凄いドキドキしてる」 セフィードがギルドショップの扉を開ける。 「お! これは久しぶりだな~。勇者様じゃないか!」 1人の男がセフィードを見ると嫌な言い方をして、突っかかってきた。見た目からして荒くれ者、ガタイが良いのを武器にハンマーやこん棒で殴る事しか知らない単純格闘タイプに見えた。 私を見て近寄ってくる。 「おや? 良く見たら、今日はお連れ様もご一緒ですか? 嬢ちゃん、悪い事は言わねぇ、こいつといたらあっという間におっ死んじまうぜ。命を無駄にするようなもんだ! 何せそいつは世界最弱の勇者だからな! ガハハハハッ!」 この男の発言を聞いて、周りにいた戦士と思われる奴らもニヤニヤ笑って見てくる。 (どこの世界も結局こういう奴がいるんだな……。大きな口叩くんだからそれなりのHPだよね) そう思ってガサツな男の方を見て目を凝らすが、いくらやっても何も見えなかった。 溜息をつくとセフィードが心配したのか、私の顔を覗き込んできた。 「大丈夫? ……僕の話を聞いて一緒に旅するのが嫌になった?」 「ううん。セフィードが悪く言われて悲しくなっただけだよ」 「俺の事を気にしてくれたの……? ありがとう。本当にリノは優しいね」 「おやまぁ、女に心配されるとは、本当に勇者かよ?」 「女とつるむ時間があるなら、さっさと魔王を倒してこの国を平和にしろ!」  私の存在がセフィードに対しての嫌悪感を更に上げてしまったらしく、罵声は酷くなった。ここにいても何の解決もしないと思った私は、セフィードに冒険の手続きを済ませるように促す。 「勇者セフィード様、本日は妖魔の森行でよろしいですね?」 「あぁ、宜しく頼む」  セフィードがお金を渡すと、受付の女性がクリスタルで出来た緑のマガタマを手渡した。 この世界で魔物を倒すのに冒険に行く方法は2つ。1つは、町の外に出て魔物が住むと言われている地域に歩きで行く方法。これだと体力を無駄に消耗してしまうデメリットがある。2つ目は、魔法使いによってワープの魔法をマガタマに込めた石を使い、目的地に瞬時にワープする方法。これだと、体力は戦いの直前まで温存できるので、最近はこちらの方が一般的なようだ。しかし、デメリットもある、石を使う対価として50G支払わないといけない。 目的地を聞いてまたあの男が嫌味を言う。 「マジか!? あんな弱いやつしかいないところで女に良いところを見せようってのか? 勇者のくせに小ずるい男だな! アハハハハッ!!」 どうやらセフィードが選んだ地域は、初心者の私でも戦いやすいところらしく、それによりさらに誤解を招いてしまったのだが、セフィードは何も言い返さないので、私も黙っておいた。 セフィードがギルドを出ると、私に嫌な思いをさせてごめんと謝ってきた。私は実際のところ先ほどの一件で昔の事が蘇り、気分が悪くなっていたけど、セフィードの為そして初めての冒険の為に笑顔で隠す。 「よし、じゃあ行ってみようか!」 「うん!」 セフィードが受付で貰った、マガタマを地面に投げると、そこから緑色の渦が地面に広がる。 「こ、これに飛び込むの!?」 「うん!初めては怖いと思うけど、大丈夫! 僕を信じて!」  そう言うと、セフィードは私の手を強く握り、渦に向かって飛び込んだ。  ――ドサッ! 「イタタタタ……。セフィード?」 「ふぅ……。リノって軽くて柔らかいね……」 その言葉に我に返る。私はセフィードの上に乗っかっていて、セフィードは私を守るようにそっと抱きしめていた。 「キャッ!」 セフィードから急いで降りるが、初めて異性に抱きしめられて、心臓のドキドキはなかなか治まらなかった。 「アハハハハ。リノ、顔真っ赤だね」 「えっ! セフィード、言わないでよ!! 余計に恥ずかしくなったじゃない!」 「フフフ、ごめん、ごめん。あまりにも可愛いからさ、つい言いたくなちゃった」  無邪気に笑うセフィードに、あまり悪い気はしない。しかし、この小説は異世界恋愛物ではない。魔王を討伐するまでは平和が訪れる事はない、恋愛をしている場合ではないのだ。それにこのまま話通りに進むのなら、セフィードはそのうち魔王に殺されるはず。物語の結末を考えると、セフィードが死ぬのは避けた方が良い気がした。セフィードを強くして物語とは違う道を歩ませ、魔王を倒させるか、私がセフィードの代わりに魔王と対峙するか……どちらにしても私達は強くならなくてはいけない。 「セフィード! これからどこに向かえば良いの?」 「まずは……。西から行こうか! ここそこまで強い魔物は出てこないから、僕でも余裕だし、リノのような初心者にも向いているんだ」 「そうなんだね」 少し進むと、スライムのような敵が数体現れた。HP20、MP30と書いてあった。冒険に出ると能力が見やすくなるのか、目に力を込めなくても自然と見える。 しかし、自分の能力値が気になって、見てみたが表示されなかった。 (何でだろ? 首のマークがないからかな……?) 目の前のスライム目掛けて、それっぽく剣を振る。何と! 一撃でスライムを倒せた。 「リノ! 凄いじゃないか! 初冒険で躊躇なく剣を振れるのは凄いよ! しかも一撃で倒すなんて、驚いたよ!」  セフィードもさすがにこれくらいのレベルの相手なら、2匹まとめて倒すことも出来て余裕のようだった。 「リノ、倒したらどんどんレベルが上がるから、敵も倒しやすくなるよ!」 「そうなんだ」 しかし何引き倒しても、レベルアップの効果音(するのか知らないけど)もないし、表示もされない。不思議だなと考え込んでいるとセフィードが話しかけてきた。 「どうしたの? 疲れたの? 少し休む?」 「ううん、自分の能力値を見たいのに、見れないから何でかなって思って」 「見えないの? どれどれ……」 「うーん。確かに見えないね」 「さっき僕に嫌味言ってきた奴なんだけど、あいつは敵に知られたくないから、能力を隠す魔法をかけているんだ。もしかしたら、リノも無意識に魔法で能力を隠してるのかもしれないね。マークがない人間は初めてだから、僕も分からないけど……」 (なるほど、だからさっき見ようとしたのに何も見えなかったのか。って事は、私は知らない内に自分に魔法をかけたの? それとも他の誰かが魔法をかけたの……?) 「ねぇ、この能力値を隠す魔法って本人以外でもかけられるの?」 「誰でも魔法を使えるわけではないから、人に頼んでかけてもらう場合もあるよ。さっき話した奴は、まさに自分のチーム内の魔法使いに頼んだはずだよ」 「そっか。で、その場合かけた人にしか解けないってこと?」 「うーん。そうだね、基本的には出来ないはず」 「え、じゃあ、私の能力値を隠したのが知らない誰かだったら、一生数値が分からないままって事?」 「うん。そうなるね。魔法使いはフリーの魔法使いと仲間といる魔法使いの2タイプに分けられる。仲間といる魔法使いは、自分の仲間以外には魔法は使わない事が多いから、リノはフリーの魔法使いに会う必要があると思うんだ。で、フリーの魔法使いは町で占いの館を営む人、どこかの村で集落を作っている人に分けられる。リノの場合は冒険の途中で集落を探して会うのが一番良いかと思う。で、ここからは噂レベルの話なんだけど、魔法使いは金に目が無いらしい……。魔法をかける対価として結構な額を要求してくるらしいから、まずはお金を稼がないとダメだと思うんだ」 「なるほど……。って事は自分の能力値を知りたければ、とにかく冒険してお金を稼ぐしかないのか」 「そうだね! あと、説明して無かったけど、能力値にはHP、MPの他にそれぞれの属性も分かるんだ。属性を知るのは冒険するうえで大事な事だから、早く能力値は知った方が良いよ」 「属性?」 「うん。分かっているだけで、この世界には光、闇、雷、火、水、土、無の7種類の属性がある事が分かっているんだ。僕は光属性で、これは勇者と光の魔法使いに多い属性なんだ。僕の属性は闇に強いけど、闇に弱いという弱点もある。だからなるべく闇属性とは戦うのを避けているんだ。リノもどの属性に弱いか知る事は、自分の命を守るうえで大事な事だから、早めに知っておいた方がいい」 (すっかり忘れてたけど、そうだった。魔王は無属性でどんな相手にも強い設定で、セフィードは瞬殺されてしまったんだった……) 「そっか……。よし! じゃあ、セフィードには悪いけど、しばらく私に付き合ってもらってもいい?」 「もちろんだよ! 僕は最初からリノのレベルアップに付き合うつもりだったんだから、遠慮しないで。それに自分のレベルが分からないと持てる武器や防具も適当なもので最適なものに出来ないから、不便な事もある。旅のパートナーとしては、知っておいてもらった方が何かと良いんだよ。だから僕にも意味がある事なんだ」 「そっか。ありがとう」  それから数日、私たちは妖魔の森を攻略する事に奮闘した。セフィードは思ったよりかは、やる気もあるし、ラノベの話よりも強いとは思えた。  ある日、妖魔の森のボス『ビッグスライム』が現れた。セフィードは私を守ろうと先頭に立って戦ってくれた。何度も剣を刺すがビッグスライムの弾力のある体は無傷に見える。逆にセフィードは体力が落ちているように見えた。 (あの頑丈そうな体を切り裂くには、最強系の漫画で見たような一撃必殺みたいな技じゃないとダメなのかも……。どうしたら良いのかな……) その時、セフィードはビッグスライムの攻撃をくらい、地面に倒れた。血が沢山出て倒れたセフィードを見て、不安や心配よりも先に体が動く。私が思い切り剣を振ると、私の剣から稲妻が放たれて、ビッグスライムは真っ二つになり死んだ。 「うっ……リ、リノ……?」 「セフィード!! 大丈夫?」 「あ、あぁ。僕は大丈夫。それより今のは……?」 「私も分からないの。セフィードを助けなきゃって思ったら体が勝手に動いて、気づいたらこの状況だったの」 「そうか。ちゃんと見てなかったけど、この威力はたぶん魔法だね。リノは魔法の才能があるんだね」 「そうなのかな」 「リノが倒したから、賞金はリノが貰うと良いよ。ほら、ビッグスライムの目玉」  そう言って、セフィードは私にビッグスライムの目玉を投げてよこした。 「うわっ! 何これ!!」 「スライム系は戦って分かっていると思うけど、死んだら体は水になって消えちゃうんだ。でも目玉は残るからそれをギルドに倒した証拠として渡すといいよ」 「そうなんだ。証拠っているんだね」  ボスを倒した私たちは、久しぶりに町に戻った。ギルドに行き目玉を渡すと1000Gが渡され、一気に結構なお金を手に入れる事が出来た。そして心配していたセフィードのケガは、見た目よりも酷くなく、半日回復センターにいたら全快したので、明日また違う冒険に行く事になった。  翌朝、セフィードと私はまたギルドに向かう。ドアを開けるとまたあの男がいた。 「おい、お前! ビッグスライム倒したそうじゃねぇか? この嬢ちゃんが倒したとは思えねぇから、お前のまぐれか?」 「ま、まぐれじゃない! 僕が倒したんだ!」 (えーー? セフィード、何言ってるの? 私が倒したの知っているのに……)  驚いたけど、セフィードの事が気の毒に思えたので何も言わないでおいた。 「ふーん。あのビッグをね……。何か、今までのお前じゃ信じられねぇ話だが、倒したのは事実だからな、信じてやるか」 「で、そんなセフィードさんは、次はどこの冒険に行かれるのです?」 皮肉っぽく他のやつも絡んできた。 「えっと……。そうだな、次もリノと一緒だからあまり強い敵が出ないところを選ぶよ。そうだな、ゴブリンの谷ならちょうど良いかもな」 「へぇ、ゴブリンか……。聞いた話によれば、最近魔王から力を授かってかなり強くなっているらしいぞ。特にゴブリンの親玉は今までの比でないくらい強いそうだ。沢山の剣士が返り討ちにあっているっていうぞ?」 「そ、そうなんだ……」 「おい、おい、まさか、今の話で怖気づいて止めるなんて言わねぇよな?」 「アハハハハ……そんな事ある訳ないよ」 「だよな。勇者ともあろうお方が、敵の強さで相手を選ぶなんて事はないよな! ビッグスライムを倒したんだ、ついでにゴブリンの親玉も倒して、もう2度とこの世に現れないようにしてくれよ!そしたら、お前を勇者として少しは認めてやるよ」 「わ、わかった。約束だぞ?」  こうして、不安を抱えながら次の冒険の幕は開けた。ゴブリンの谷に着いてそうそうセフィードはさっきの話を謝ってきた 「ごめん……。君に心配かけたくなくて今まで言わなかったんだけど、あいつが前に言っていたことは本当の事なんだ。俺は世界最弱の勇者。……強くはないし、レベルも上がらないし、魔力も対してない……。子供の頃から弱いのに勇者ってだけで、散々笑いものにされてきたんだ。だからあいつらを見返したくてつい……」  勇者で美形、普通なら勝ち組と思えるはずの設定だけど、セフィードの場合は弱い事が原因で、周りから笑いものにされていたなんて……。私はセフィードに同情しまぐれで出た技の手柄だしと思い、セフィードに訂正する事を求めなかった。  ゴブリンの谷にいる魔物は妖魔の森のモンスターよりも強さが上のようだが、妖魔の森はスライムの他にもいろいろな種類のモンスターが出てくるのに対して、ここはゴブリンの集落のようなもので、ゴブリンばかり出てくる。なので、1回ゴブリンに遭遇すれば、仲間を呼ばれて休みなく次から次へと戦う必要がある。つまり持久力が試される冒険だった。  案の定、私とセフィードの声を聞いたゴブリンが知らぬ間に接近、すぐに戦闘開始となった。最初のゴブリンは言わば歩兵。セフィードでも私でも難なく倒せたが、人数が多くなるといくら雑魚相手でも、こちらの体力も消耗し始めた。歩兵を倒すのに必死になっていると、中級クラスと思われるゴブリンがぞろぞろやってきた。こいつらは歩兵よりも強いし技も多く、苦戦を強いられる中、続々とゴブリンは集まってくる。このまま数に圧倒されて終わるわけにはいかないと思った瞬間、また剣が光り出した、今度は緑だ。 (もしかして、またあの光る刃になるのかな……) そう思った私は、力いっぱい剣を振る。すると、緑の竜巻が突如として私の目の前に現れて付近にいたゴブリンは一掃された。 「リ、リノ!? 凄いな! 今度は風か! ゴブリンが土属性だからぴったりだったね。偶然にしては凄いな!」 「う、うん。なんでこんなにうまくいくのか、私怖くなってきた……」 「大丈夫、僕が側にいるし。ここのボスを倒せば、ある程度のお金が手に入るから、魔法使いに会って君の能力値に魔法をかけた人が誰なのか教えて貰えるはず。そうすればこの不思議な現象も分かるかもしれないよ。とにかく今は、親玉を倒すことに集中しよう!」 「う、うん。」  私たちは休まずにゴブリンの親玉がいると思われる、洞窟を目指した。洞窟には親玉を守るために兵隊が何人もおり、なるべく体力を消耗しないように配慮しながら倒していった。そしてついに親玉がいる王の間に足を踏み入れた。  岩で出来た重厚な扉を開けると、玉座と思われる岩でできた椅子に巨体なゴブリンがこん棒を握って座っていた。ギルドであの嫌な奴に言われた通り、かなり強そうな姿に私たちは唾を飲み込んだ。 「ここまでよく来たな」 地響きのような声が洞窟に響く。 「お前がボスだな! 私は勇者セフィード・ライトベル! 貴様を倒しに来た」 「ハハハハハッ! お前がかの有名な勇者か! 魔王様に選ばれたわしの強さをたっぷりとその体に叩きこんでやる」 「クッ!」 目を凝らして能力値を見るとゴブリンの親玉はHP10000、MP500だった。セフィードは妖魔の森とここで沢山敵を倒してきたが、そこまで強くない敵ばかりだったから、最初に見た時とさほどデータは変わっていない。そしてセフィードは、ゴブリンと距離を取り過ぎて攻撃は一切当たっておらず、素振り状態。このままだと私もセフィードもそのうち死んでしまう。緊張と焦りが押し寄せてくる、するとまた持っていた剣が光を放った。  3度目だから慣れてきた私は、とにかく剣を親分目掛けて振り下ろす。すると、剣から突風のような2つの光線が飛び、ゴブリンの親玉は頭と体が切り離された。 「え……?」  セフィードは驚きのあまり言葉を失って気絶した。 「勇者のくせに気絶!?」  今回の冒険で分かったのは、ラノベ通りセフィードは大して強くない。気が弱いからなるべく勝てる見込みのある弱い敵を狙って攻撃するし、そのせいでレベルアップも非常に遅い。そもそも強くなろうとしているように思えない……なんでこの人が勇者に選ばれたのか不思議なほどに、勇者に向いていなかった。  私はセフィードを引きずり移動し寝かせ、ゴブリンの親玉の頭もそこに運び、帰還用のマガタマを投げて扉を開きそれぞれを穴に突き落とし、自分も飛び込んだ。  戻ってきたのはギルドショップの前、気絶したセフィードとゴブリンの親玉の頭をみて周りが騒いでいた。当然後から来た私がそこまで強そうに見えないので、親玉を倒したのはセフィードという事になった。あの嫌味な男も約束通りセフィードを勇者として少しは認めた態度になり、周りもセフィードに期待するようになった。セフィードは周りの態度の変化にいい気持になって否定も訂正もせずだった。 「手柄を横取りしたのは悪かったけど、君も無意識の事だし、偶然なんだからあまり根に持たないでよ。それに俺に恩恵があれば君にもそれなりの得があるんだからいいじゃん」 2度目にもなると、セフィードは私に謝るどころかむしろ開き直りを見せてきた。その様子を見て腹が立ったが、事実、今私に注目が集まるのは避けたいところ。どうせ今までの冒険でのセフィードの活躍を見る限り、魔王は私が何とかして倒すことになるだろう。だから、魔王の不意をつくためにも私はあくまで影の存在に徹するしかない。 「……。セフィード、私は全然気にしてないよ。それより、早く魔法使いに会いたいな」 「そうだね。それがこの冒険の目標だったもんね! じゃあ、確実に会えるところに行こうか!」 「うん」  ゴブリンとの戦闘で、私とセフィードの防具や剣はだいぶ痛んでいた。修理屋に行くと3日ほどかかると言われ、私たちはRest in Peaceに立ち寄りそこで3日ほど休息を取ることにした。ガルシュさんは私の姿をみて喜び、豪華な手料理でもてなしてくれた。 修理も終わり、いよいよ魔法使いに会う日だ。セフィードの話によると魔法使いが確実にいるのは和みの草原とよばれる地域で、あまり強い敵はいないがそこに住む魔法使いと敵対した場合は、かなり危険な状態になる可能性もあるらしい。 セフィードの性格や強さが頼りなく感じ始め不安が残る中、自分の能力値を知りたい私はギルドに行きマガタマを貰う。 「セフィード、準備は良い?」 「もちろん!」  セフィードと私はマガタマが作り出した渦の中心目掛けて飛び込み、目を開くと辺り一面草原だった。 「ここが和みの草原?」 「うん。僕もだいぶ前に来て以来だけど、……ここは何も変わっていないな」 「魔法使いはどこにいるの?」 「もう周りにいるよ」 「え?」 次の瞬間、私とセフィードの周りにはマントのフードを目深にかぶった、いかにも魔法使いという格好をした人が次々と現れた。その中で一番威厳のありそうな老人が口を開いた。 「勇者セフィード、久方ぶりだな。本日は何用で参られた?」 「実は旅のパートナーに協力して欲しいんだ」 「ほう? では、まずはこちらに来られよ」  老人の案内で魔法使いが住んでいると思われる集落にたどり着いた。魔法使いは私から何か感じ取れるのか、会う人会う人まじまじと見てきて視線が痛い。 老人の家だと思われる建物前に着くと、セフィードは外で待つように言われ、私は中に通され部屋に案内された。椅子に座らせられ、誰もいない事を確認し、老人はフードを取る。すると先ほど見えていた鼻から下の顔や声からは想像できない美男子が目の前に現れた。 彼の瞳は燃える炎のように赤く、髪は赤みがかった黒……。この容貌、まさか……。 「魔王……」 「良く分かったな、驚かれたかな?」 咄嗟に逃げようと椅子から立つと、魔法だろうか身動きが取れなくなり、椅子に座らせられた。 「……どういうこと!? あなたがこの村の長老なの? 目的は何? 私とセフィードを殺す気?」 「まぁまぁ、落ち着きたまえ。君に危害を加えるつもりはない。もちろん弱い勇者にも」 「じゃあ、何で?」 「君と話をしたかったんだ。君は異世界から来たんだろう?」 「何の話?」 「とぼけても無駄だよ。君がこの世界にやってきた時、俺は君に会っている。そもそも君の能力値をシールドで隠しているのも俺がやったことだ」 「え?」 「ある日、突然強い力が俺の城内に発現した。気になってその場に行くと、君がいたんだ。見たこともない格好をして眠っていた。それで俺は確信した、君は異世界から来た娘だと。君ならきっと俺に希望を与えてくれると思ったんだ。これは賭けだったが、君がいずれ冒険に出ると思った。その時に能力値が隠れていれば魔法使いに会いにくるだろう? まわりくどいと感じるだろうが、君とゆっくり話をするにはこの策しか思いつかなかった」 「その話、おかしいわ! だって私は気がついたら町中にいたのよ?」 「俺がテレポートで連れて行った」  どういう事? これは信じていいの? 戸惑っていると、魔王はクスクス笑ってきた。 「な、なにがおかしいのよ?」 「いや、無理もないと思うが、疑い深い娘だなと思って」 「だって、いきなり大ボスのあなたが現れて、あーだこーだ言われても、急な話過ぎて信じれるわけがないわよ」 「それもそうだな。じゃあ、まずは俺の身の上を話すか。そうすればお前の気持も変わるかもしれない」 「身の上?」 「俺は勇者セフィードの双子の兄だ」 「え?」 「俺は強い力を持って生まれた。しかし片割れのセフィードは弱かった……。本来なら力の強い方が重宝されるはずだが、俺の属性は無属性……セフィードは光、そしてセフィードは勇者のマークが刻まれていた。俺にはなぜか生まれ持ってのマークが無かった。両親は伝説にしか記されていない無属性、そして通常ならマークがあるのにない事を恐れ、知識人として知られるこの村の長老に助言を求めた。……長老は俺の潜在的な力を知ると恐怖し、そして長老が出した答えは魔族が住む森に捨て、存在を消すことだった」 「そんな……。酷い……」 「幸いな事に、俺は生まれつき最強と言われるほどに強い力を保持していた。俺を喰って力を上げようとする奴らが大勢いたが、赤子の俺は無意識に身を守り、返り討ちにしてやった。そんな事をしているうちに、魔族、妖魔たちが俺を称えるようになり、気が付けば魔王と呼ばれていた」 「今まで、俺を討伐しようと数多くの戦士がやってきたが、俺に指一本触れる事叶わず、みんな死ぬだけだった。俺はこのままだと一生魔王としてしか生きられない。強すぎるが故、倒されることもなく、ただこの世界の悪の象徴、標的として生き続けなければいけない。こんな人生俺はもう嫌なんだ!」 魔王の話に同情し、何ていえば分からず黙っていると魔王は私に聞いてきた。 「死にたいのなら、戦わなければ良いと思うか?」 「そ、そんな事は思わないけど……。ゴブリンに力を与えたって聞いたから……。何で悪いやつに力を貸すのかなって思って」 「ゴブリン? あぁ、あれは一種のアクシデントだ。ある日、剣士が俺の城にやってきた……俺は上の空でそいつの気配に気付けなかったところ、不意をつかれて傷を負ったんだ。その時垂れた血をゴブリンが舐めたんだろう。俺の血には強力な魔力があるから、少量の血を舐めるだけでもかなりのパワーを手に入れられるはずだからな。誓ってもいいが、俺は自ら進んで人間を攻撃したことは無いし、魔物達に力を与えた事もない。だから俺は死ねない。俺が死んでその死肉を魔族が食べたら、俺の力が引き継がれてしまうからな」 「そうだったの……」 「ところで、なぜ俺が上の空だったか聞かないのか?」 「あ、うん。別に私には関係ないだろうし……」 「フハハハハ」 「何がおかしいのよ?」 「俺には興味はないんだな……」  不意をついた少し悲しい顔に私の心臓はドキッとした。 (ダ、ダメよ。あれは悪名高き魔王。外見はすっごくタイプだけど、絶対に心を許してはダメ。しっかりするのよリノ)  自分に言い聞かせていると魔王がぽつりと言った。 「お前だよ……」 「え?」 「あの日、お前の気配がしたんだ。それでお前の気配を探っている時に狙われたって訳だよ」 「そ、それって私に責任があるとでも言いたいわけ?」 「そんな事はない。でも、俺が噂のような完全な悪人ではないと分かっただろう?」 「あなたの話によればね! でも、それが実話だと信じる方法は? 魔王であるあなたの話をただ聞いただけで信じるのは無理よ」 「それもそうだ。よし、ならこいつの話を聞けば信じるか?」 そう言って魔王は部屋から出ていき、身ぐるみはがされた老人を連れて戻ってきた。 「こいつが、俺を捨てるように指示した長老だ。ハハハッ! 万が一の為に生かしておいて正解だったな」 「ぐ、ぐふぇふぇっ」 扱いが雑なようで、老人が床に這いつくばってむせる。見て見ぬふりが出来ない私は駆け寄る。 「お優しいお嬢さんだ……。こやつは冷酷無慈悲な魔王である、絶対にこやつの言う事は信じてはなりません!!」 「ふん! 見苦しいじじいだな。お前が喋らなくても記憶に聞けば100%だろうが」  そう言うと魔王は老人の額を掴み、老人の額から青い水晶のようなものが出てきた。 「な、やめろ~!!」 長老の抵抗は無駄に終わり、魔王は長老から記憶の玉と思われる物を取り出し、衝撃で長老は気絶。魔王が玉に手をかざすと、映像が壁に映し出され、それは魔王の言うとおりの事だった。 「……あなたが言っている事は真実なようね。それで一体私に何を望むの?」 「お前の世界に私を連れて行け」 「え? 私はあの世界から逃げ出したのに、その私に戻れって言うの?」 「お前の事情は知らん。俺は人生を楽しみたいんだ。この世界じゃなければ俺は魔王以外になれるはず。俺の首にはマークがないから、きっと他の世界のも行けるはずだ。それに戻るのが嫌なら、お前はこの世界に残れば良いだろう?」 「そんなうまく行くかしら……。私も戻ってしまう可能性もあるのに協力したくないわ!」 「ふむ。なら仕方ない、セフィードを殺すか。そうすれば少しは楽しいかもしれん」 セフィードが死んだら、魔王が支配する気なくても、妖魔や魔族が村人を襲いやすくなるかもしれない。いくら私が強くても、1人で戦い続けるのはキツイし、別に私は戦いたくてここに来た訳じゃない。人生を楽しむために来たんだ……。自分の言葉で魔王の気持が分かった。彼と私の状況は違うが同じ気持ちで自分の生まれた世界から逃げたいのだ。 「仕方ないわね……分かったわ。協力する」 「よし! では、手始めに何をすれば良い?」 「私は満月の日に呪文を唱えたの。この世界の次の満月はいつ?」 「そうだな、だいたい1週間後といったところかな」 「1週間後ね。特別何かが必要な訳ではないから、待っているだけで大丈夫。だからその間に誰にも危害を加えないでね! この村で大人しくしていましょう」 「分かった。でも、俺以外の魔物はそうはいかないぞ」 「ん~。町を襲う気配って分かるものなの?」 「そうだな。大体は把握している。その証拠に、この1か月お前が住む町に魔物は寄り付かなかっただろう?」 「え? って事は、あなたがそうさせていたって事?」 「あぁ。俺と会う前にお前が死んだら困るからな」 「はいはい。どうせ目的の為よね! ふーーっ! 何でもいいわ! もし人が住むところに魔物の類が近寄ったら私に教えて! 分かった?」 「分かった。約束しよう」 そう言うと魔王はまた長老の姿になり、長老はどこかへ連れ去られた。外に出るとセフィードが待っていた。 「リノ! ずいぶん時間がかかったね! 長老はなんて? あれ? 数値が見えないよ?」 「あ、実は複雑な魔法でかけられているから、時間が必要だと言われたの」 「そうだったんだ。どうする? 他の魔法使いに会いに行く?」 「う、ううん。大丈夫。1週間もあれば解けると言われたから待つわ」 「分かった。リノがそう言うなら僕もここにいる事にするよ」  本来、閉鎖的で部外者に長居をさせたがらない魔法使いの村だが、長老(魔王)が(嘘の)事情を説明し、村人も私たちの滞在を快く受け入れてくれた。こうして私たちは1週間をこの村で過ごす事になった。 村に来て2日目の夜、眠れなくて散歩に出ると、長老の姿の魔王がいた。彼はまだ私に気付いてないないようで、空に浮かぶ月を見つめていた。その目は泣きそうにも見え、長老の姿なのに私の胸は鼓動が高鳴り、目が離せなかった。 パキッ!枝を踏んでしまい、焦って前を見るとそこにはもう長老はいなかった。 「俺を探しているのか?」 耳元で囁かれ振り返ると、魔王の姿の彼がいた。 「ご、ごめんなさい。隠れて見ているつもりはなかったの……。ただ出て行ける雰囲気じゃなくて」 「フフフ……。気配でお前がどこにいるかなんて気づいていたさ」 優しい顔で私に微笑み、私の髪をそっと触る彼。私は彼を直視出来ず目を逸らした。 「場所を移るか……」 彼の息が私の前髪を揺らす。動悸が酷くてパニック状態になっていると、気がつけば森の中に移動していた。 「あ、あと数日でこの世界とさよならだね。嬉しい?」 「まぁな、お前の世界がどんなかは分からないが、どんな世界でもここよりはマシだと俺は信じている」 「そうなんだ……。まぁ、確かにその美貌なら私の世界では優遇されるだろうから、幸せな生活が待っているかもね」 「ハハハ。お前のいた世界では外見が大事なのか?」 「そう、でも、それだけじゃないわ。外見が劣っていれば人から笑われ、目立てば嫉妬され妬まれ、逆に大人しく目立たなくすれば良い様に利用される……そんな世界よ。楽しい思いを出来るのは、可愛くて明るくて、周りに影響力を持つような一部の子だけ。後はただのモブキャラよ」 「その話を聞く限り、お前は美しい顔をしているのだから、楽しい思いをしてきたのではないのか?」 「この世界に来て……みんなが私の外見を褒めてくれて、私もそれに慣れてしまったけど、前の世界では私の外見は褒められる事はなかった……。唯一褒めてくれた子も友達だと思ったのに、利用するだけで……」 しばらく忘れていた気持ちを思い出して、涙が出てきた……。 「お前も辛い経験をしていたんだな……。お前の気持を考えずにお前の世界に連れ行けなどと言って悪かった……」 「いいの。もしかしたらこの世界に残れるし……。この前聞き忘れたけど、もしあなたがこの世界から消えたら、魔物が一斉に人里を襲ったり、悪さをしてこないかしら?」 「実際にやったことが無いから分からないが、俺がいなくなる事で、今ある力のバランスが崩れセフィードが生きている限りは魔物の力は弱まると思う。もう俺の血を狙うやつもいなくなるし、魔物が簡単にパワーアップなんて事も出来なくなるだろう」 「そうか……」 「聞き忘れていたが、この世界に残りたい理由はなんだ? セフィードか?」 「ち、違うわよ! 前の世界が嫌だったから、戻りたくないの。私にはこの世界の方が楽なのよ」 「そうか。てっきりお前は勇者が好きなのかと思っていた」 「確かに最初は良いなって思った時もあったし、優しいところに救われているところはあるけど、私の手柄を横取りするし、努力もしないし、悪い面も沢山見てきて全然恋愛対象には見れなかったわ」 「ハハハッ! 勇者でも女に振られるんだな」 「振られるって、彼も私の事は何とも思ってないわよ?」 「それはどうかな?……もう夜も遅い、早く休め」  そう彼が言うと、いつの間にか私は自分のベッドに横になっていた。彼の瞳、笑顔、声どれを思い出しても胸が高鳴り、結局眠れなかった。 「リノ、おはよう! なんだか疲れた顔しているね! 大丈夫?」 「うん。心配してくれてありがとう」 「僕はリノには元気でいて欲しいからね……ところで、リ、リノは好きな人いる?」 「え?」 急に変な事を聞かれたから魔王の顔が頭に浮かんだ。 「ど、どうしたの急に?」 「僕はリノが好きだよ」  セフィードの素直な笑顔に照れる。 「そうなの? ありがとう」  セフィードの告白は嬉しいけど、魔王と話した時のような緊張感やドキドキが感じられない事に私は気付く。魔王の顔が頭から離れず困っているとセフィードは何かを感じ取ったのか、焦った様子で話をしてくる。 「リ、リノは僕じゃ嫌? ぼ、僕たち旅の相性もばっちりだしさ、きっと恋愛もうまく行くと思うんだ。どうだろう最強カップルを目指すのは」 (最強カップル!? 私ばかり強くて、どうせ雑魚しか倒さないくせに? 自分より強い私と付き合えば、手柄が横取りできるからそんな事言ってるのかな……よし、確かめよう) 「じゃあ、聞くけど。セフィードは私のどこが好きなの?」 「もちろん女性なのに強くて、勇敢なところだよ。初めての冒険でもひるまず突き進んでカッコいいと思ったんだ。こんな女性こそ僕にふさわしいってね」 (弱いくせに、なんでこんなに上から目線なのよ……僕にふさわしい? 何時代よ! 何様よ!) セフィードが良かれと思っていう言葉は、全て私には不快に感じられた。 「私、今回魔法を解いてもらったら、もう冒険に行くつもりはないの。ガルシュさんのところでまた前みたいに受付嬢として働くつもりよ」 「え!? 何でそんな勿体ない事……。そしたら僕はどうしたら良いんだ?」 (やっぱり自分の事しか考えてないのね……) 「だから、セフィードにはふさわしくないと思う……。私はもう戦うのに疲れたの」 「何だと! じゃあ、今までの僕の苦労はどうなるんだよ!? 君が強くなれば魔王を倒せると思ったからずっとそばにいたのに!! 僕の貴重な時間を返せ!」 頭に血が上ったセフィードが私の首を絞めてきた。やばい、さすがに力では適わない……。意識が遠のく中で、彼の顔が浮かんだ。 目を覚ますと、彼が私に膝枕をして頭を撫でていた。 ――ガバッ! 「ご、ごめんなさい」 「何を謝る? 助けたのだから謝罪ではなく、礼が聞きたいな」 「あ、ありがとう。セ、セフィードは?」 「あぁ、あいつはお前の首を絞めて、お前が気絶したら死んだと思ったんだろう、お前を残して慌ててこの村から去ったぞ。あいつは臆病者だからな」 「まさかセフィードがあんなに怒るなんて。しかも私に危害を加えるなんて……」 「俺も驚いた。間に合ったから良かったものの、少しでも発見が遅れていたらどうなっていたか」 「どうして私の場所が分かったの?」 「お前が俺を呼んだから」 「……呼んだ? あ、もしかして最後にあなたの顔が浮かんだから?」 「最後に俺の顔が浮かぶとは光栄な事だ」  不敵な笑みを浮かべながら、こちらを見る。私は恥ずかしくて目を逸らす。 「でも、あなたが私を助けたのも、セフィードと同じ目的があるからでしょ? 利用価値が無ければ私の事なんて誰も助けないものね……」 「俺はそんな風にお前を思ったことはない」 「嘘よ! だって私の世界に行くには私が必要じゃない」 「それは否定しない。でも、俺はお前に惹かれている。これは断じて嘘じゃない。俺の城で初めて眠るお前を見てから、ずっとお前の事が忘れられなかった。特別な繋がりを俺は感じたんだ。そして、こうやって会える日をずっと待っていたんだ」 「……私の名前も知らないくせに」 「リノだろ」 「え? 知ってたの?」 「……ずっと知っていた。そういうお前は俺の名前を知っているのか? まさか、俺の名前が魔王だなんて思っている訳ではないだろう?」  意地悪そうな顔をして魔王は笑ってくる。魔王の名前……確か小説のあとがきで作者が触れていたはず。私は頭をフル回転させて記憶をたどる。 「エ……エイデン……」 「ん?」 「エイデンでしょ?」 「俺の名前を知っているのか?」 「まぁね。異世界から来た特権かな」  そう言うと、エイデンは照れくさそうに笑った。この人もセフィードと一緒に普通に親に育てられていれば、きっと今みたいな笑顔を普通に出せる人生だったはず。それを思うと胸が苦しくなった。 「やっぱりお前は特別なんだな。俺の直感は間違っていなかった。リノ、良かったら俺と一緒に元の世界戻らないか?」  この人からは嘘を感じられない。でも勇者でさえも自分の思い通りにならないと人を殺めようとする世界だ。簡単には信じられない。それに私はもう裏切られたくない。心の中で葛藤していると、エイデンが私の顔を覗き込む。 「ごめん。こんな形で気持ちを言うつもりはなかった……。前の世界での事は俺には分からないが、俺は真剣にリノを思ってる。俺が一緒に居れば元の世界に戻っても、リノが悲しむ事が無い様に俺がお前を守る。だから、どうか信じてくれ」 「……信じたいけど。さっきこの世界の勇者に裏切られたばかりだから」 「俺とあいつは違う」 「そんな事分かってる……。でも、ごめんなさい。満月には戻ってくるから、それまで私に時間を頂戴」 「……分かった」    時間を頂戴と格好つけたものの、1つの町しか知らない私は最初に自分が来た町に戻るしか選択はなかった。帰還用のマガタマはセフィードに使われてしまったから、おそらくセフィードもあの町に戻っていると思うと、正直行きたくはなかったが、今エイデンとずっと一緒にいたらどんどん惹かれてしまうのが分かっていて怖かった。町に帰る事を快く承諾し、エイデンは万が一の為にとセフィードが私の首を絞めた記憶などセフィードが犯した過ちを玉にして私に渡してくれた。そして、帰る術を持たない私にエイデンは魔法で送ってくれた。 翌朝、町に戻ると、みんなが私の顔をぞっとした表情で見てくる。不思議に思ったが、そのままRest in Peaceに向かった。 「へい! いらっしゃい! Rest in Peaceへようこそ……」 「――え!? リノ?」 「ガルシュさんお久しぶりです。どうしてそんなに驚いた顔をしているんですか? 町のみんなも変だったし……」 「そ、そりぁ、だって……し、死んだって聞いたから……」 「……それは、セフィードに?」 「そ、そうだ」 「彼は何て言ってたんですか?」 「あ、あいつは魔王にお前を目の前で殺されて、仕方なく退却したと話していた。リノ、お前はこの町の人気者だから、お前の冥福を祈ってそれは沢山の人が葬儀に来て、花を手向けたんだ……。ほ、本当にリノなのか?」 「えぇ。私は魔王に殺されていないし、セフィードは魔王と対峙すらしていないわ」 「そうだったのか……。じゃあ、何でセフィードはリノが死んだなんて言ったんだ?」 「……それは、私がセフィードの申し込みを断ったから……。いきなり逆上して、私に襲い掛かったの」 「な、何だって? 何で、そんな事をセフィードが!?」 「……ガルシュさん、悪いんだけど町のみんなを広場に集めてくれる?」 「あぁ」 ガルシュさんの呼びかけで、町中の人が広場に集まってくれた。私はエイデンから受け取った自分の記憶の玉を広場の壁に映した。そこには、私がビッグスライム、ゴブリンの親玉を倒した事、そしてセフィードの手によって首を絞められたところが映っていた。それを見た町の住人は驚き『勇者ともあろう者がこんな卑劣な事をするなんて』とセフィードに軽蔑の目を向けた。 「セフィードの野郎!!」 ガルシュさんも怒りを露わにする。 「あいつが帰ってきたらただじゃおかねぇ!……リノ、あいつの言葉を鵜吞みにして申し訳なかった」 「ガルシュさん、いいんです。勇者を疑うなんて普通はあり得ない事だと思うし。それで、セフィードは今どこに?」 「お前の仇をいずれ取ると言って、今はまた冒険に出かけている」 「そうなんですね」  セフィードと会わなくて済みそうでホッとしていると、周りの人が騒ぎ始めた。 「勇者セフィードはもう勇者とは思えません! リノ様、どうぞ我々の勇者となって民を導いてください!」 「そうだ、そうだ! この方こそ勇者にふさわしい!」  町の住人に勇者と呼ばれ、頼りにされるのは嬉しく思えた。エイデンが無事に私の世界に行ければ、魔物の力も弱まり、そこまで強い魔物もいなくなるとエイデンも言っていたし。そうなれば、今よりは戦うのが楽になるかもしれない。でも、いくら弱いと言っても相手は魔物、私が勇者になったら一生民の為に魔物退治に追われる事になる。それは私が望んだ人生なのかな? 疑問が浮かぶと、何故かまたエイデンの顔が頭に浮かぶ。 「皆さん、私の話を信じてくれてありがとうございます。私がこの先、勇者になるのかどうかは、ここですぐに答えを出せる問題ではないので、考える時間を頂けないでしょうか? 出来ればセフィードともちゃんと話をしたいし」 「さすが勇者様。自分の事を殺そうとした相手にまでしっかりと向き合うとは、何と深いお心をお持ちなんだ!」 「美貌だけでなく、強さ、聡明さ、更には慈悲深さまで……あなた様ほど勇者にふさわしい方はいませんよ」 「皆さんのお気持ちは有難いのですが、私もまだどうするのが良いのか分かりません。先ほども言った通り、セフィードとちゃんと話もしたいので、セフィードがこの町に来ても、絶対に不自然な行動は控えてください。お願いします」 「わかりました!」 セフィードに逃げられては、話が出来ずに困るので、町のみんなには口止めをし、私はガルシュさんと宿に戻った。 「もうみんなお前に期待しちゃってる感じだな……。嬢ちゃん、どうするんだ?」 「分かりません。とりあえず、少し考える時間が欲しいんです。セフィードも数日で戻ると思うし……ガルシュさん……」 「あぁ、分かっている。あいつが戻ってきたら、嬢ちゃんの部屋に何も言わずに連れていくよ」 「ありがとうございます」  私は自分の部屋に行き、ベッドに横になってこれまでの事を考えていた。 前の世界から逃げる時、私はどこに行こうがあの世界よりマシだと思ってたけど、この世界に来て、結局どの世界も悩むし、苦しむ人はいるし、何でもかんでも思い通りにはいかない事が分かった。 勇者になれば、皆から尊敬や感謝をされて、悪い気持ちにはならないだろうけど、きっと戦う事で人生が終わるし、冒険に出て思ったけど、私はそこまで戦うことが好きじゃない。 私が好きなのは……おしゃれしたり……友達と話したり遊んだり、恋したり……。考えているうちに、自分が望んでいる事が結局は普通の女子高生の生活である事に気付いた。 (やっぱり勇者になる事は断ろう……。セフィードはどうしようかな)  彼もエイデンと同じ。この世界で苦悩する1人だ。このまま何もせずにいたら、町のみんなは彼をもう2度と勇者として見ない。でも、勇者として生まれた彼は、その運命から逃れる事は出来ないから、エイデンがいなくなった後も魔族や妖魔を倒す事になるだろう。いくら弱っていてもセフィードの力では全てを倒すことは無理。そうなれば、町に住む人々が苦しむと言うことになる。 (あ――っ! もう! 私がこの世界に来たせいで、こんな事になっているんだから、私が何とかしないといけないのに……どうすればいいのか分からない)  焦っていると、何故か彼の顔が浮かんだ。そして気付いた、彼の血だ。彼の血をセフィードが体内に入れれば、セフィードの力もきっと強くなれるはず。そう考えた私は、セフィードが帰ってきたら彼に会わせる事にした。  2日後、冒険から戻ってきたセフィードが宿にやってきた。ガルシュさんは話し合った通りに、彼を私の部屋に案内した。私を見た彼は悲鳴を上げ、私に泣いてすがりついてきた。その姿は以前よりもやつれて、前よりも更に弱く、頼りなく見える。私を殺した事を深く後悔しているように見える。     確かに、彼の性格には難があるし、勇者には向いていないようにも感じる。それに、私を殺そうとしたことを許したわけではない。でも、彼の苦しみも分かる気がするから、放置する事も出来ない。  私は、私の足にしがみつき泣きじゃくる彼の頭をそっと撫で、呼びかけた。 「セフィード……」 「ウゥッ、ウッ、ウッ」  私の声に反応して、私を見上げる。 「リ、リノ……。ご、ごめん……本当にごめん。良い訳にしかならないけど、あの時はどうかしていたんだ……君が俺から離れると思ったら、頭に血が上って我を忘れてしまったんだ。許してくれなんて言わない、でもせめて謝罪だけでも言わせてくれ」 「……セフィード、私もすぐには許せないと思う。でも、セフィードの誠意を感じられれば気持ちは変わるかもしれない」 「……誠意? 何でも言って! 俺に出来る事なら何でもするよ」 「じゃあ、今すぐ和みの草原に戻ろう」 「えっ!? 和みの草原? 分かった。じゃあ、ギルドに行こうか?」 「ううん。その必要はないよ」  私はにっこりと微笑み、彼から貰った和みの草原行のマガタマを部屋の床に投げた。 「じゃあ、行こう!」  私は、状況をいまいち飲み込めておらず、戸惑っているセフィードの腕を掴み、引っ張るようにして渦に飛び込んだ。  次の瞬間、私たちは和みの草原に戻ってきていた。 「セフィード、今から長老の家に行こう」 「何がしたいのか分からないけど、いいよ」 ――コンコンコン! 「すいません。……リノです」 「……おやおや、数日顔を見ないと思ったら、勇者殿を連れ戻すのにどこかへ行かれていたようですな……まぁ、入りなされ」  長老の家に入ると、応接間に通された。 「で、何のつもりだ?リノ」 応接間の扉が閉まった瞬間、長老は彼になっていた。 「えっ!? お前は……だれだ?」 「フハハハハハ! 俺が誰かも知らないで勇者やっているのかよ。可笑しくて涙が出てきたぜ」 「リノ? この人は誰? 友達?」 「ふ――っ。セフィード、彼は魔王よ。そしてあなたの双子のお兄さん」 「はぁぁぁぁぁぁ?」  セフィードは私を守りながら剣を抜き、彼に剣先を向けた。 「お、お前! リノに何をした!?」  ガクガク震える手足、声も微かにうわずっている。 「ほぅ。その女の首を先日絞め手で、今度は守ろうというのか?」 「う、うるさい! リノに術でもかけて俺を呼び出させた卑怯者め!!」 「ふむ。残念だが、俺はお前と違ってリノに指一本触れていない」 ――パシッ!カラン!! 彼が向けられた剣を片手ではらうと、剣は床に落ちた。 「お前に俺が倒せるわけないだろう? リノこの馬鹿を何で俺の前に連れてきた? 何か考えがあるんだろう?」 「リ、リノ? どういうこと?」 「何も言わずに連れてきたから、戸惑っているよね。この人が言っている事は本当なの。あなたは彼の双子の弟……説明してもどうせ信じないだろうから、またあの記憶の玉見せてくれる?」 「そんな事せずとも、こっちの方が早い」  そう言うと、彼はセフィードの額を掴み何か呪文を唱えた。 「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」 セフィードは凄まじい叫び声をあげ、体が震えていた。私はセフィードの身の安全を心配した。 「ちょ、ちょっと? セフィードは大丈夫なの?」 「一気に俺の記憶を流してやったから、ショックが強すぎたんだろう」  床に横たわるセフィードに駆け寄り、体をゆする。 「大丈夫……?」 「リ、リノ……。君が言っていたことは本当だったんだな。彼が俺の兄……。俺の兄が魔王……」 「セフィード、ショックだったよね。私も初めて聞いたときは色々とショックだった」 「で、リノ? こいつを何故ここに連れてきた? 満月は明日だというのに」 「あ、そうそう。それを言わなきゃ始まらないよね。私、今町の人に勇者になれって言われてて、それで気付いたの。私は別に勇者になりたいわけじゃないって。それで、セフィードが強くなれば町の人もセフィードを勇者として認めるし、エイデン、あなたが去った後の魔物退治もセフィード1人でやっていけると思うの」 「去る?」 「そうだ、喜べ勇者。俺はこの世界から消え、他の世界で生きる事にした」 「で、僕を強くってどうやるの?」 「この前話してた時に彼が言っていたんだけど、エイデンの血には魔物を強くする力があるんだって。だからセフィードがエイデンの血を体内に入れれば、セフィードもパワーアップすると思ったの」 「なるほど、確かに俺の血が魔物だけに効くとは決まっていないからな。その可能性はある」 「え、僕嫌だよ、血なんて飲みたくない!!」 「それだが、お前の場合、血を飲む必要はない」 「え?」 「俺たちは双子だ。双子なら気質が似ているはずだから、俺の魔力を直接お前に分けれる事が出来るはずだ」 「なるほど……」 「セフィード、セフィードは強くなりたいんじゃないの?」 「そりゃね、なれるものならなりたいよ。リノ、僕がこの場所に来たことがあるって話しただろう。実はその時魔法使いに役目を終わらせてほしくて来たんだ」 「え?」 「生まれた時に受けたマークを消せたら、きっと他の人生を歩めるって思ったけど、それは長老でも無理だったんだ。だから勇者を辞められないなら、強くなって勇者としてちゃんと生きたいよ」 「そうだったの。じゃあ、私の提案受けてくれる?」 「うん。ちょっと不安はあるけど、やるよ」 「ありがとう! お礼に、セフィードが私にしたことはまだ許せないけど、許す努力はするね」 「リノ。ありがとう」 「よし。では行くぞ。掌をこちらに差し出せ」 そう言うと、エイデンの掌から炎が現れそれをセフィードの掌に乗せた。すると炎の色は赤から黄色に変化して、セフィードの掌に吸い込まれた。 私はセフィードの能力値を見た。この前までHP150、MP80だったセフィードだけどHP30000、MP15000まで上がっていた。 「セフィード! 凄いよ! 何か自分でも感じる?」 「あぁ、体から熱が凄い感じられる。力が体の底からうねっているようだ……俺は、無敵だ!!」 「ハハハッ。お喜びのところ悪いが、残念ながら俺よりもはるかに弱いぞ」 「ええっ!?」  セフィードはがっかりした。それを見たエイデンは言葉を続ける。 「俺よりも遥かに弱いが、この近辺の魔物のボスよりは強いはずだ。今後は冒険に行くのも楽になるぞ」  その言葉を聞いてセフィードは少し嬉しそうだった。これでセフィードの苦悩も減ればいいな。 「よし、これでお前の計画は成功と言う事だ」 「うん。良かった。協力してくれてありがとう」 「リノ、この後はどうするの?」 「明日、私はこの人を私の世界に行かせる……」 「え? リ、リノは?」 「私は……」 「……お前は事が終わるまで眠っていろ」 そう言うと、セフィードはばたりと床に倒れた。 「セ、セフィード?」 「大丈夫だ、ただ眠らせただけ。俺がお前の世界に行ければ眠りから覚める」 「え? も、もし上手く行かなくて行けなかったら?」 「フフフ。その時は……」 「そ、その時は?」 「3日もすれば目が覚める」 「はぁ。驚かせないでよ……」 「……セフィードが心配だったのか?」 「違うわよ、この世界が心配だったのよ」 「そうか。ところで、お前の答えは出たか? 約束の日は明日だぞ?」 「……明日教える」 「そうか。明日の楽しみとでも思っておくか」  セフィードを長老の家の待合室のソファに寝かせ、私は家を出た。  この村での宿泊先に戻り、答えを出す前に今までの事を振り返った。私は、本当にこの世界に留まっていても良いのかな……? すでに異物となる自分がこの世界に来たことで、セフィードは原作にはなかった醜い気持ちを持ち、勇者にあるまじき行為を取った。このまま私がこの世界に居続けたら、またどんな弊害が起きるか分からない。今はエイデンがいるから助けてくれたけど、エイデンがいなくなった後のこの世界では、頼れる存在はいない。いくらパワーアップしたと言っても、セフィードはそこまで強くないし、魔法にも長けていない。もしこの先何かあって、元の世界に戻りたいと思っても私だけの力では戻れないかもしれない。それなら、もう明日元の世界に戻る方が良いのかもしれない。エイデンが私の世界に来れる保証は100%ではないけど、彼の力があれば少なくとも私は元の世界に戻れるはず。私は何が一番自分にとって良いのか考え、ついにエイデンを私の世界に送る日の朝を迎えた。  他の魔法使いに儀式の場面を見られるわけにはいかないと思った私たちは、森に移動しエイデンが結界を張り周りから見えないように処置した。最後の日となるのに、エイデンはこの世界には何の未練も無さそうで、むしろ今までで一番うれしそうな顔をしていた。 エイデンはこちらを真剣に見つめる。 「心は決まったか?」 「うん」 「聞いても良いか?」 「うん。私も元の世界に戻る。それがどんな結果を生んでも私は立ち向かうよ。この世界で私は十分変われたと思うから、もう大丈夫な気がする」 「そうか。俺が必ずお前を見つけるから、俺を待ってろよ」 話をしているうちに、あたりは暗くなりあっという間に夜がきた。  私はこちらの世界に来たときと同じ魔法陣を書き、自分の手とエイデンの掌をナイフで切り、魔法陣に垂らし呪文を唱えた。私とエイデンの血が勝手に動き混ざり合う。来た時は白く光った魔法陣だが、エイデンがいる影響か、今度は赤黒く光り辺りは暗くなり何も見えなくなった。エイデンと手を繋いでいたが、気が付くと私は1人自分のベッドに倒れていた。 「あれ? 戻ってきた? 私の部屋?」  私は急いでリビングに行くと、そこには母親がいた。 「ママ!! ずっと1人にしてごめんね!!」 「莉乃? 何のこと? あんたさっき寝るって言って部屋に行ったばっかりじゃない」 「え!?」  日付を見ると確かに私が呪文を唱えた日の夜だった。私はあちらの世界で1ヶ月と少し過ごしていたが、こちらでは1日も時間が進んでいなかった。つまり、明日学校に行けば友達ゼロ、陰口を言われる事になる。あの日なら行きたくないと思ったかもしれないが、今の私は香澄の事も光里の事も全く気にしていなかった。もう何も怖くないそう思えるようになった。  翌日、いつも通り学校に行く。母親は私の表情を見て「何かそんなスッキリした顔久しぶりに見た。前向いて、背筋も伸びていて良いね」と言ってくれて、なんだか嬉しかった。クラスに行くと、入って早々白い目で見られ、こそこそ陰口。今までならそれで委縮し、図書室に逃げ込んだりしたけど、もうそんな隠れるような真似はしない。だって私は悪くないんだから。堂々とクラスに入り、毅然とした態度で席に着く。そんな態度でいるうちに、数週間で周りの態度もだんだん変わってきた。 (結局人の態度っていくらでも変わるんだよね。特に根拠もない噂がネタの場合。) 私はこの世界に戻ってきて、バイトを始め、友達も出来て、前よりも人生を楽しめるようになれた。唯一の心残りとしたら、エイデンがどうなったかだ。 私がこの世界に戻って数か月間、私はエイデンがこの世界のどこかにいないか探したが、痕跡は一切なく行方は分からないままだった。そんな中、珍しく転校生がうちのクラスにやってきた。そして転校生を見て驚いた……。 「エ、エイデン……?」 「久しぶり、莉乃。見つけるって言っただろ」
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