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  「ねんねんころりよ、おころりよ、坊やはよい子だ、ねんねしな……」  満開を少し過ぎた桜の樹の下で、腕にかかる息子の重さを感じながら子守唄を歌って聴かせる――。      あなたが産まれた時は、ちょうど桜が満開だった。  結婚八年目にして、やっと子供を授かった時にはどれだけ嬉しかったことか。  身体が華奢な私には妊娠中の何もかもが大変で、お産もひどい難産だったけれど、元気な産声を聞いて、初めてこの腕にあなたを抱いた時、そんな苦しかった思いはあっという間に消えて無くなったよ。  私はあなたに「桜」という名前をつけたね。  あなたのお父さんや、おじいちゃんおばあちゃん達からは、女の子みたいな名前だから、と反対されたよ。  でも、どうしても私の想いを通したかったの。  私の大好きな桜の花が満開の時に産まれてきてくれたあなたには「桜」がいちばん似合うもの。  桜の花は可憐で美しいけれど、木の幹は逞しく力強い。 「桜」が男の子の名前でもいいじゃない。  あなたは、産まれてすぐの頃にはちょっと身体が弱かったけれど、それからは、それほど手もかからず、すくすくと、とっても素直な子に育ってくれた。  一度だけ、名前のことでからかわれて、友達と大ゲンカをしてきたことがあったね。  その時には、あなたに「桜」という名前をつけたことを、申し訳ないと思ったよ。  でも、次の日には、あなたはもうその子をうちに連れてきて一緒に遊んで、それまでよりも、もっと仲良しになったよね。  それから、私とふたりで買い物に行った帰りに、あなたが信号のない横断歩道で困っているおばあちゃんを見かけて、手を引いて一緒に渡ってあげた時には、私は涙がいっぱい溢れた。  こんなにも優しい子に育ってくれたんだって。  自転車で転んで泣いている年下の子をおうちまで送って行ってあげたり、いじめられてる同級生をかばったり。  おとといには、道で遊んでいた小さな女の子が、トラックにはねられそうになるのを助けてあげたよね。  あなたは困ってる人を見ると、ほおっておけない子。  桜、私のところに産まれてきてくれて、ほんとうにありがとう――。      子守唄を歌っている私の前を、息子と同じ歳くらいの男の子が元気に駆けていく。  この公園内の他の桜の木々の下には、お花見客がいっぱいいて、とても楽しそう。  でも、息子にずっと子守唄を聴かせている私のそばにだけは、お花見の人は誰もいない。  花散らしの風が、私の黒い髪も服も巻き上げながら吹き抜けていく。 「――あなたは私の自慢の息子よ」    散りゆく桜の花びらの中で、私は、白い布に包まれた箱の中にいるあなたを、やさしく抱きしめた。
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