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雨の中、リクが夜道を歩いていると、男が立っていた。黒いカサと黒いハット、黒いコート姿で、不吉な気配がした。歩道に面した高層のマンションを見上げていた男がリクに気づき、振り返る。
「ああ、よかった。ようやく来ましたね、おにいさん」
「ええと、どちらさまですか」
リクは持っていたビニールガサをちょっと上げて、男の顔を確かめた。リクには男の顔に見覚えがなかった。別れたら、次の瞬間、忘れてしまうような特徴のない顔だった。
「約束してたじゃないですか。忘れちゃったんですか」
男は静かに言った。怒っているとか、あきれているとか、そういった感情は乗っていなかった。
「まあ、しょうがないか。急なことでしたからね」と男が続ける。
「あの……あなたは……」
「わたしのことは好きに呼んでくださいな。どうせ、概念的な存在なので」
「じゃあ、シニガミさん」
リクが思わず口にした呼び名にシニガミさんは笑うでも怒るでもなく、さらに事務的に言った。
「別に顔だって、これじゃなくていいんですよ」
シニガミさんがハットを取ると、彼の顔は、リクが小学生の頃に片思いをしていたクラスメイト、マキちゃんの顔になっていた。服装や背丈は変わらなかったから、言いようもなく、アンバランスだった。
「じゃあ、そろそろ、行きましょうか」
シニガミさんはマキちゃんの顔と声で言った。
「ようやく降りましたからね、雨」と言いながら、カサをたたみ、足元に広がる水たまりをカサの先で突く。水たまりには先ほどまでシニガミさんが見上げていたマンションの明かりが映っていた。天をつくような高いマンションで、最上階は雨雲の中に消えていた。マンションの通路や階段に規則的に配置された照明が水面に映り込み、雨粒に揺れている。シニガミさんのカサが何度か水面に触れると揺れが収まり、鏡のようになった。
リクが不思議に思って水面をのぞきこむと水面に映ったリクの顔がからかうように笑った。と、水面のリクはリクに向かってしゃがみ込み、腕を伸ばす。水面から水面のリクの腕が現れ、リクの足をつかんだ。
ひ、とリクの喉の奥から声が漏れた。あらがいようのない強い力だった。リクはそのまま水面に引きづり込まれた。
(ちょっと続きます)
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