恋ごころ

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 ピンポーンと玄関のチャイムが鳴る。 はーい、玄関脇にあるトイレから布団に戻ろうとしていたボクは、返事をしつつ鍵を開ける。その途端、見知らぬ大人の人が5、6人ドドッと雪崩れ込んできた。 「きゃっ、痛いよー。わーん! 」 ボクは突き飛ばされて床に転がり、頭をぶつけて泣き叫んでいるとパパとママがパジャマ姿のまま襖を開けて姿を現す。 「今野恵一っ!ゴウトウサツジンヨウギデタイホスル!」 ボクにはそう聞こえたが意味は理解できなかった。 「あなたー逃げてーっ! 」とママが叫ぶ。 ボクは女の人に軽々と抱きかかえられて、開いた襖の真ん中で大の字になって通せん坊をしているママに押し付けられる。 ママがボクを両手で抱っこしたとき、男の人がママの横をすり抜けパパに迫る。 「うわーっ……」 抱っこされたまま、ママの肩越しに叫び声の方に視線を走らせると、パパが悲鳴を残して寝るとこの窓から外へ落ちて行く姿が一瞬垣間見えた。パパが消えた後の窓外には土手の桜が満開の花弁を綺麗に見せていた。 男の人らは玄関から慌てた様子で出て行く。 ママは俺を抱っこしたままその窓から下を覗き込んで、「キャーーッあなたーっ」って叫んで泣き崩れた。 「ママどうしたの?」 ママは泣いてばかりで答えてくれない。    ボクは「落ちるパパと桜の花」を脳みそにこびり付けたまま小学生になった。 部屋にはいつの間にかパパの写真などが置かれるようになっていて、ママは毎日手を合わせているしボクにも手を合わせるように言う。  そしてボクが人殺しの子という格好の虐めのターゲットになってしまった。初めのうちは言葉で、次は鉛筆を折られたり靴を隠されたり、そしてしだいにエスカレートして、突っつかれ、叩かれ、物をぶつけられるようになる。  小学生の高学年になってもクラスメイトはボクの家での出来事を忘れず、ボクへの虐めは続いていて、卒業間際には万引きも強要された。やったことのないボクは直ぐに警備員に掴まる。虐めっ子は知らんぷりを決め込んで、ボク一人が悪者になってしまった。  逆上したボクは、それならと、仕返しにそいつらを一人ひとり待ち伏せして棒切れで殴っては逃げた。そしたら次の日、ボクはつるんだ奴らにぼこぼこにされる。 次の日、ボクはまた一人ひとりを待ち伏せて仕返しをする。そんな仕返しの応酬をを何回か繰返していたら、警察からボクと母が呼び出され相手が怪我をしていると言って、学校やら教育委員会やらまで巻き込んで暴力事件として取り扱いされ、色んな人から同じことを何回も訊かれる。その場面でもボクの主張はまったく無視され一方的にボクが暴力を振るったことになってしまう。 ボクに味方はいないとつくづく思い知る。  その後も虐めは続いた、ボクが仕返しをしないと踏んだのだろうが、ボクはそいつらを待ち伏せして、建物の角を曲がって来た瞬間、バケツに汲んだ水をぶっ掛け、そして大声で笑って逃げる。そんな戦いが続いた。  ボクを捕まえた店員や警察、学校などへの復讐の積りで万引きもやった。何回かやっても捕まらなかったので調子に乗って繰返してたら、店の連中がボクの顔を覚えて警戒を強めたらしかった。ボクはそれを知らずに万引きをして掴まり警察が呼ばれ、母が呼び出された。そして俺共々1時間以上長々とお灸を据えられ、最後に次は少年院行きだと脅される。  母はその帰り道、ボクの頭をパシッと叩いて「しくじるな! 」そう言って笑う。  それから数日して派出所の警官がボクの学校帰りや買い物帰りを待ち伏せしていて声を掛けてくるようになった。万引きはしてないか? とか、暴力はいけないぞ! とか虐めはしてないか? とか、ボクが危険人物でもあるかのように纏わり付いてちくりちくりと嫌味を言う。それで近所のひとやクラスメイトなんかも色眼鏡でボクを見るようになってしまう。 ある時我慢できずに警官にそう言ったら、「それはお前が悪いことをしたからだ。自分が悪いことをしたのに人のせいにしちゃいけない・・・・・・」と説教が長々と始められた。うんざりだ。警官に虐められてるとも思う。  警官によるそれは中学生になっても続いていた。  父のあの時の事情を聞いたのは中学生になってから、しかも嫌らしい薄笑いを浮かべるその警官からだ。でも、その話をボクは信じない。父は正義の味方だから悪事なんてするはず無いと固く信じていたから。きっとボク同様悪い奴らに脅されて仕方なくやったに違いないと確信し、そいつらを探そうと思い色々訊いて回ったりしたが所詮子供のやる事、成果は無しだ。 警察が捜査すればそんな事は簡単にわかるはずだと思うと、警察に対して腹が立ったし、警察は強い者の味方で弱い者の敵だとも思う。  ボクは警察や学校、社会に対する憎しみや怨み、怒り、不平不満等々が常に頭の中を縦横無尽に闊歩していて、「ボク」なんて可愛い言い方が似合わないと感じ、中学1年の夏休み明け、ボクは自分を「俺」と言うようにした。そのほうがかっこい良いし、どうせなら悪っぽい方が良い。    俺は悪ぶる一方で中学から始めていた新聞配達を高校生になっても続け母を助けていた。週末の夜には居酒屋のバイトも学校に内緒でやっていた。  そんなある日曜日の早朝、まだ母も俺も布団の中にいる時間帯にチャイムが鳴った。 俺は寝ぼけながらも返事をしつつ布団を抜け出して鍵を開けに行った。 カチャリと鍵が開く音がした瞬間、ドアが強引に引かれ取手を握っていた俺は、うわっ、何すんだっ! と叫ぶと同時にバランスを崩して外へ転がる。 入れ違いに見知らぬ男女が5、6人ドドッと雪崩れ込んでくる。 「誰だっ! 」 俺の叫びを無視して男らは居間を通って母の寝ている部屋の襖を開ける。 「今野洋子っ! ゴウトウサツジンヨウギデタイホスル! 」 幼い頃に聞いたことのあるセリフが男の口から飛び出す。 飛び起きた母は、俺の名を叫び、母さんは何もしてないから、大丈夫だから、そう繰り返すが、男に手錠を掛けられパジャマ姿のまま連れていかれてしまう。 そして一度も帰ってくることなく起訴される。  俺は、裁判の傍聴席で初めて母が疑われている犯罪の内容を知ることになる。 母は、平日の午後1時頃小さな会社に押し入り女性従業員をバットで殴って殺害し、手提げ金庫を奪い河川敷でバールで無理やりこじ開けて現金13万5千円を盗んだとされている。 俺は、そんな暴力的な犯行は男だろうと思うし、小柄な母には絶対無理だと思った。 しかし、国選弁護人は家庭環境を切々と訴え、情状酌量を、と言って、端から母の犯行だと決めてかかっている。警察と弁護士はグルだと思った。こんなの法治国家のやる事じゃないと思うし、悔しい、警察を憎いと思う気持ちがより濃く深くなる。  父が3階の窓から転落死したのだって、あんなに強引に突入しなくったって良かったはずだ、仮に父が犯人だったとしても、静に入って来たら父もパニックを起こさずに逮捕されたはずだし、犯行に至る経過も供述できたはずだ。  警察への恨み骨髄に徹し、いつか必ず見返してやると心に決める。    俺は、母が送検されたタイミングで伯母さんのいる町に連れて行かれた。同じ年の男の子がいるので話し相手になるだろうと考えてのことだったようだ。  しかし、そのガキはとんでもない悪ガキで引っ越したその夜から虐めが始まる。 最初、俺は、伯母さんが俺に先に風呂に入りなさいと言ってくれたのに、少し遠慮して後で良いですと答えそのガキの後で風呂に入ったら、湯船には水が張られていた。足を入れた瞬間心臓が止まるかと思うほど冷たい。腹が立ったけど我慢して頭と身体を洗ってシャワーで流し、部屋へ戻ると俺の荷物が全部床に散乱していて、財布から2枚しか入っていなかった万札が抜き取られ無くなっている。  翌朝、朝の挨拶をしに茶の間へ行くと、そのガキはにたにたしながら侮蔑した目線を俺に送ってくるがスルーして、伯母さんに学校へは行かずに働きますと告げると、高校くらいは、と返されたが、俺は頑として譲らなかった。早く給料を貰ってこの家を出ようと考えたからだ。  その日から来る日も来る日も朝から晩まで歩き回ったが16歳の俺に出来る仕事はなかなか見つからない。それでも探し始めてから16日目、ようやく俺を雇ってくれると言う土建業の会社を見つける。地方へ出る仕事も多いそうで、そういう時は数か月間飯場に泊まり込みになるという。 俺は伯母さんの家に居たくないので丁度良いと思ってそこで働くことにしたのだ。  初めての仕事はマイクロバスに詰め込まれ2時間ほど走った現場で、ビルの解体工事の後片付け作業だ。大小のコンクリートの破片や鉄骨の破片、釘などの収集で、そんなに重労働でもなかったが、一輪車にそれらを積んでの走行は結構難しく、何回もひっくり返す。それでも監督は笑ってその都度正しい押し方を教えくれる。始めて仲間と呼べる人達に出会えた気がした。  そんな仕事が数ヶ月続いた後、地方での仕事が入り3ヶ月間飯場での泊まりになると言われて、ようやくあの悪ガキと離れられると喜んだ。  飯塲に泊まり込んで一月が過ぎる頃、ラジオで母の有罪判決を耳にした。懲役10年の実刑判決にまた腹が立ったが何とか飲み込んだ。 しかし、誰かがそのニュースに枝葉をつけて飯場中に撒き散らしたらしく、飯場で寝食を共にするがたいの良い強面のおじさん達が、俺の飯をわざとにひっくり返したり、「お前の両親は二人とも人殺しなんだってな、あ〜恐ろしいっ! 俺を殺さないでくれー! 助けてくれー! 」ふざけて大声で悲鳴を上げたり、仕舞には俺の事を「殺人鬼」と呼ぶようになった。 俺は、余りに続く嫌がらせに堪忍袋の緒が切れてその中の一人に殴りかかった。そして殴り返された。そしてまた殴り、殴られる。殴り合いを続けていると、他の奴らに俺は羽交い絞めにされ一方的に殴られ続け気を失う。  気付くと俺は一人拘置所に入れられていた。 やがて刑事の尋問を受けることになって「あんた、何であんな乱暴を働いたんだ? 」と訊かれる。 俺は殴り合いになるまでの経過を説明したが、刑事はにやにやしたまま「あんた、そんな言訳しても現場にいた全員が、あんたが一方的に相手に因縁をつけ殴りかかったので応戦したまで、と言ってるし、あんたの父親も母親も強盗殺人を仕出かしたって言うじゃないか。血は争えないってな・・・・・・」と俺の話など端から聞く積もりも無いその態度に、またかと腸が煮えくり返る。 それから三日間もぶつくさ文句を言われてから釈放される。 「お前は首だ! うちに乱暴者は要らないんだ」 俺が真っ直ぐ飯場に戻ると、いきなり現場監督からそう宣告され、仕方なく荷物を纏めて伯母さんの家に帰る。  伯母さんは苦い顔をして俺を茶の間に座らせて説教を始める。 伯母さんも俺の言い分をまったく聞いちゃくれない。 俺は、一応「迷惑をかけた」と謝ってその日のうちにその家を出て、そして都心に流れ、昼夜を問わず街を歩いて、人の募集チラシを見つけては電話を掛けてみる。 そういう暮らしを一週間も続けていると持ち金が底を突いて、飯も食えない。  空腹が世の中を一層悪いものだと思わせる。中でも警察が一番悪い。母も最後まで自分はやってないと主張し続けたが、警察とグルの弁護士は控訴もしない。父も警察に殺されたようなもんだ。 その上俺も一方的に悪者扱いだ。そうなったのも警察に公平性が欠けているからだ。 俺は、不平や不満を 四の五のどころか七も八も言いたい。  俺は幼い頃から警察に虐められ続けた人生を長い時間回想していて思いついた。 警察への復讐を……。  翌朝6時、凶器を服の下に隠して皇居へ向かう。金が無いから空腹のまま10キロほど歩く。 皇居の南側、桜田門近くの「桜の代紋」の玄関前に立つ。警備員に静止を求められるかと思ったが素通りできた。平和ボケした奴らだとにやついてしまう。 そしてエレベータで6階へ上がる。そこに何があるのかは知らないがどうでも良かった。 エレベーターを降りて近くのドアを少しだけ開けて部屋の中を覗くと、机が幾つかの島を形作っている。20人位の男や女が机に向かって何かをしているようだ。俺のことは誰も気付いていない。  俺は凶器を取り出してその部屋にそーっと入る。 「てめーらのせいだ!  てめーらが悪い!   てめーらなんか大嫌いだ!   こうしてやるっ! 」 大声で叫んで机に飛び乗り一番近くにいた男の頭を凶器の鉄パイプで殴る。 そいつは、いてぇーっと叫んで頭を押さえて床に崩れた。 俺は机上の物を蹴散らしながら次のターゲットの女に襲い掛かる。 鉄パイプを振り下ろし頭に当たったと思った瞬間、俺の身体が宙を舞う。 何が起きた? 。 俺は背中から床に落ちて、衝撃でウッと呻き声が漏れ息が出来なくなる。刹那、俺の腹に女が激烈なパンチを叩き込んだようだ。空のはずの胃から液体が噴水のように噴き出す。 それが最後の記憶だ。    俺が息を吹き返すと、真っ白い天井と蛍光灯が目に飛び込んでくる。 辺りを見回すと横に女性が座っていて、心配そうに俺を見ている。一瞬、母かと思うほど似ている。 「どう、お腹痛い? 」 若くて綺麗で、優しかった母に話しかけられている気がする。 「はい、背中も痛いけど、腹はその倍痛いです」 何故か素直に喋ってしまう。 「そう、ごめんなさいね。咄嗟だったんで手加減出来なくって」 「えっ、お姉さんが俺の腹を? 」 「そうなの、だっていきなり鉄パイプで襲ってくるから反射的に投げ飛ばして、落ちたら腹に一撃……それが基本なの。それよりどうして刑事の沢山居る捜査一課を狙ったの? 」 「あ~、何処でも良かったんだ。捜査一課かぁ……知らなかった……それだもお姉さん強いはずだ、俺、バカみたいだ」 自然に笑みが浮かんだ。それから、父の事、母の事、俺の事、全部話した。 「だからさ、桜の代紋、一番嫌いなんだ。それで仕返しと思ってさ。勝てる相手じゃないけど、一矢報いたいと思って襲撃したって訳さ」 「そう、悲運ね。あなたに殴られた刑事はかすり傷で告訴しないって言うから、何があっても暴力はダメよ! って警告して帰すつもりなんだけど、今の話だと行く当てが無いみたいだから、社会復帰のお手伝いする方がいらっしゃるのであなたに紹介するわね。きっと良い人といい仕事に出会えると思うわ。その辺、至急調べてまた来るから待ってて、ねっ! 」 お姉さんは、大きく優しそうな黒目がちの澄んだ双眸で、俺がたじたじの体となる程じっと見つめたままそう言って、俺が頷くのを待ってから腰を上げる。 俺は、「桜の代紋」は大嫌いだ! 、 けど、 お姉さんを好きになりそう。  しかし、それは俺に相応しくない思いだったようだ。 お姉さんが帰ってから間を空けず頭に包帯を巻いた男が病室に来た。 どうやら俺が捜査課で殴った刑事のようだ。 「すみませんでした」 一応誤ったが、そいつはそれから1時間以上グチュグチュと文句やら注意やらを喋っていたようだったが、その言葉の端々に「お前の父親は人殺し」とか「お前の母親も人殺し」とか「お前も同じ社会のゴミ」という台詞が何回も出てくる。 初めは聞き流していたが、何回も、何回も、何回も、何回も言われ続けると、腸がグツグツと煮えてきて、我慢できなくなってきた。 「うざい! お前ら警察こそゴミだ、人殺しだ! 」 思いっきり叫んだ。  刑事の顔色が変わり、俺の胸ぐらを掴んで「まだ、反省もしてない、くず野郎がっ! 」 そう言って俺を引き起こした。 俺は反射的にそいつを突き飛ばして、廊下へ逃げようとすると、襟を強く引かれて病室の窓ぎわ近くまで転がされた。 「このやろーっ! 」 俺はそいつに殴りかかったが、さっと体を躱され立ち位置が逆になった。空振りした事に一層腹が立って、今度は思いっきりそいつを蹴ってやろうと助走をつけて飛んだ。 そいつはスッと屈んで、俺はそいつを飛び越えガラス窓を突き破ってしまう。  随分高層階にいたみたいだ。これが俺の人生だ、結局、俺は最期まで警察に虐められる運命だったんだ、と落ちながら妙に納得した。 そして母親でなくお姉さんの笑顔が俺の頭を過ぎる。 何故? おかしくて俺は笑顔を作った。 「母さん、ごめん」 グシャ。
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