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◇
校舎の北側へ向かって廊下を進むと、まるでタイムスリップしているような不思議な気持ちになる。
ブレザーの裾を揺らし、上履きをキュッキュと鳴らしながら歩いたあの頃。薄暗い廊下は異次元へ向かうトンネルのようだ。今も、昔も。
校舎の最も北側の角の教室が科学室だ。科学室の奥には科学準備室があり、実際には校舎の最北は準備室ということになる。
赤坂が廊下を進んでいくと、何か甘いような匂いが鼻をついてきた。
(この匂い……)
高校時代の記憶がはっきりと蘇る。
(本当にタイムスリップしたみたいな?)
砂糖が焦げるほろ苦く甘い匂い。廊下の奥に行くほど、匂いは濃くなってくる。
赤坂はそっと科学室のドアを開け、顔だけのぞかせた。
「藤咲先生?いらっしゃいますか?」
化学教師の名前を呼んでみたが、科学室には誰もいないようだ。しかしいくつかある実験机のひとつには、ガスバーナーや金属製のおたま、温度計などが置かれたままになっている。
恐る恐る近づいてみると、同じ机の上に、紙皿に大小様々な形のうす茶色の物体が乗せられているのが見えた。部屋中に充満した甘い匂いのもとはこれらしい。
赤坂が皿の物体をのぞき込んでいると、突如準備室のドアが開いた。
制服姿の男子学生がビーカーを片手にこちらへやってくる。科学同好会のたったひとりの生き残り、もとい3年生で部長の小芝孝二だった。同年代の子と比較してややコンパクトな体つきに、毛量の多い黒髪が顔の上半分を隠している。
「あ、小芝君、今そちらに藤咲先生いらっしゃるかな?」
赤坂が準備室に目を向けながら言うと、小芝は立ったままビーカーの中のインスタントコーヒーらしき黒い液体に口をつけ、それから答えた。
「さっきふらっとどこかへ行かれましたよ」
(まぁた学校で隠れて喫煙してるな、まったく藤咲先生は。そのうちコンプラ違反で処分を受けるんじゃないかな)
赤坂は薄汚れた白衣を身につけた、白髪交じりの初老の教師を思い浮かべる。藤咲は職員室には居着かず、科学室か校舎の裏手で喫煙場所を探してうろうろしているのが常なのだ。
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