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2 先生ごめんなさい
「先生、ごめんなさい……」
私はコンクール後一回目のレッスンで、先生に謝った。
「また落ちちゃって……。自分でも、上手くいったと思ったのに……」
私は、そこで言葉を切って唇を噛み締めた。そうでもしないと、また涙が溢れそうだった。
「コンクールで弾いた通りに、弾いてみてくれるかい?」
「……え?」
先生の意図が掴めず、困惑する。
「いいから!」
先生にそう促されて、私はピアノの前に座る。
心を落ち着けて、最初の音を弾く。
『幻想即興曲』
フレデリック・ショパンが死んでから、友人の手によって世に出された遺作。
四つの即興曲のうち、最初に作曲された。
そういえば、近所のお姉さんがこの曲を弾いていて、それに憧れてピアノを始めたんだ、と今更思い出す。
この曲を初めて弾いたのは小六の時。それから、ずっと弾いていた。
弾き終わってゆっくり先生の方を向くと、先生はおもむろに話し始めた。
「いいんじゃない? でも、コンクールで弾いたのとは少し違う気がする」
「え……?」
「人を惹き付ける何かとか。オーラとか。コンクールでは、技術は勿論その人のオーラも審査対象だったりするんだよ」
オーラ……。
「それは、どうやったら磨けるんですか?」
「さあ?」
先生の言葉は素っ気なかった。
「今日はもう終わろうか。このままじゃ、何やっても身に入らないでしょ?」
「はい……」
確かにそうだ。
自分でも、今日のレッスンは酷いものになりそうだと一人落胆していたところだった。
「もしもし、真衣?」
『んー? どうしたの、麗佳。麗佳が自分から掛けてくるなんて珍しいねー』
「ちょっと、うちにきてくれない? ピアノを聴いてほしいの」
『いいけど~。珍しいね、どうしたの?』
「うるさいな!!」
『へへ、冗談冗談』
「待ってるよ!」
私は強引に電話を切った。
これでいい、これで。
真衣が楽しめる演奏が、一番いい。
そう思った。
「ヤッホー!!」
そう言ってやって来た真衣は、手に何か提げている。
「これ、お土産とでも思って~! この前ちょっと京都に行ってさ」
「一人で!?」
「うん」
驚いた。
確かに真衣は決めたらすぐ行動するタイプだけれど、勝手に一人で京都にまで行っていたなんて……。
「じゃーん!!」
効果音付きで真衣が出したのは、金閣の模様が入った煎餅だった。
「真衣、渋いとこいくね……」
「えへへ、でしょでしょ~?」
「じゃあ、私が弾いている間、それ食べて聴いててよ」
「いいの!?」
「うん」
私はピアノの前に座る。
『月光 第一楽章』
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン作曲。幻想即興曲を仕上げた次に始めたから、中一ぐらいかな?なんて考える。
「どうだった?」
私は恐る恐る尋ねる。
「んー? いーんじゃない?」
真衣は煎餅を口に詰め込みながら返事する。
「もっと! 他になんかない?」
すると、予想以上に細かな返事が返ってきた。
「麗佳の音って丸いんだよね。綺麗な丸。だからさ、たまに尖った音が出るとそれに引き込まれるの。で、今日はその対比が特に美しかった気がする」
丸い音、尖った音……。
「ありがと!!」
私はその瞬間悟った。
自分の音を。
「? どういたしまして!」
何に感謝されているのか分かっていないように真衣は返す。
私は、煎餅を一枚口に入れると、無我夢中でピアノを弾いて、弾いて、弾いた。
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