腕に花びら

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「はいはい、もう大丈夫だよ。ごめんね危なかったね」  言葉は伝わらなくとも雰囲気で伝わると願いながら慰めつつ、あいたもう片方の手で背中を軽くさする。ぽんぽんと叩くよりもこちらのほうが落ち着くことは、幾度かの経験で知っていた。  泣き喚く小さな彼女を胸に抱いたまま空を見上げると、憎らしいほど爽やかな空が私たちを見下ろしている。  ―――春、か。  そういえば冬頃からまともに空を見上げることなんてなくなっていた。  目の離せない小さな小さな彼女から、本当に目を離さない生活だったから。 「ほら、見てごらん」  ぷくぷくの頬をつんと撫でて意識を私が示す方向へ逸らそうと試みたが、どうも効かない。未だ泣き続けたままだ。  ふう、と息を漏らしてひとりでそちらを見る。  春風が強いせいで盛大に花びらを舞わせている中心に、その木が在った。ゆっくりと寄り歩きながら改めて見つめる。 「いつ見ても見事だなぁ」  桜の木の下で、我が子とふたり。  正しくはまだふたりでこの木を眺めている感覚はないし、実際この子はまだ泣いている。桜に気付く様子はなさそうだ。  この木をふたりでゆっくり眺められる日が来たら、今日の事を話そう。  泣いて泣いて、桜なんてちっとも見てくれなかったんだよ、なんて少し拗ねてみてもいいかもしれない。 「ねー。そのくらい、してもいいよね?」  声は小さくなったものの腕の中で未だ泣いている娘を見つめながら、小さく呟いてみた。  するとどうだろう。自然と頬が緩んだ。気のせいかもしれないが、肩が軽くなった気がした。  今でいっぱいいっぱいで、今の事しか考えられなくなっていたのかもしれない。  この子は大切だ。そこに嘘はない。だけど、愛してるの数だけ嫌いになるようなある種の畏れを、私は抱いていた。  近い未来の楽しみを見つけて想いを馳せてみることも、もしかしたら大切なのかもしれない。 「あ。泣き止んだ?」  あぶぶ、と唇を尖らせてよだれを垂らす娘の顔を見て思わず笑う。  ……こんな風に笑えたのは、久しぶりだ。    今日、ここへ来てよかった。久しぶりに見上げた青空と桜色の世界に、何よりのプレゼントをもらえた気がする。  また小さく、ぶあー、と娘が笑う。私も笑う。  その時気付いた。私の髪にも肩にも、娘の頭にも頬にも、輪ゴムと呼ぶほどに皺の寄ったぷくぷくの腕には、花びらが積もっていたことに。
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