第3話 怨恨の幽鬼(3)

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第3話 怨恨の幽鬼(3)

 斑目一族への対抗策を講じるため、執務室に呼び出されたチャオラウは、苛立ちを隠すかのように、しきりに無精髭を触っていた。彼は、イーレオの護衛であり腹心であり、一族の武術師範でもある。  彼らの眼前の大モニタには、ルイフォンの携帯端末の位置情報が映し出されていた。点が移動しているということは、隠れた場所から見つかったということにほかならない。ルイフォンの力量を正確に知っている師匠のチャオラウは、苦い顔にならざるを得なかった。  迎えの車は、とっくに出してある。だが、ルイフォンたちのいる場所は、貧民街の端のあたり。今は廃墟と化した商店街である。車を示す点は、まだ地図上に現れてすらいない。  張り詰めた空間に、携帯端末の呼び出し音が響いた。発信元はルイフォンと表示されている。 「音声通話?」  疑問の声を上げながらも、ミンウェイがスピーカー出力で通話を受けた。 『メイシアです――』  その場にいた三人は顔を見合わせた。  ルイフォンは、自分の携帯端末を決して他人に触らせない。端末から繋がる情報は、彼の命にも等しいものだからだ。故に、無理に操作しようとすれば、端末は即座に機械としての矜持を()て、すべてのデータを消去し、文鎮以下の存在になる。  電話口からは、全力で走っていることが伝わる荒い息が聞こえてきた。それは、事態の逼迫を物語っていた。 『斑目タオロンという人は退けました。けれど、今度は〈(ムスカ)〉と名乗る男とルイフォンが対峙しています。斑目の食客で、鷹刀に、特にイーレオ様に恨みがあるみたいです。ご存知でしょうか。それから、〈ベラドンナ〉は息災のようですね、と――』  そこで通話は切れた。  その場にいた全員に、衝撃が走った。 「……嘘……?」  ミンウェイが乾いた声を漏らす。  彼女は、耳を疑った。目の焦点が定まらず、全身の力が抜け落ちる。激しい耳鳴りの中で、メイシアの言葉を反芻していた。 「ミンウェイ!」  イーレオが叫ぶと同時に、チャオラウが動き、卒倒しかけたミンウェイを支えた。彼女は蒼白な顔で唇をわななかせていた。 「どうして……?」 〈ベラドンナ〉とは、『美しい淑女』という意味を持つ、可憐な毒花――そして、ミンウェイが過去に捨てた、毒使いの暗殺者としての通り名であった。 「行かなきゃ……」  チャオラウの肩に掴まりながら、ミンウェイは呟く。 「慌てるな、ミンウェイ」  イーレオが鋭く制止の声を上げる。 「敵が〈(ムスカ)〉の名を出したのは、俺たちの動揺を誘うためかもしれないぞ」 「でも……! 本当なら……。……確認に行かせてください!」  ミンウェイが、イーレオに懇願の眼差しを向けた。しかし、イーレオは――鷹刀一族の総帥は、首を横に振った。 「ミンウェイ。お前は、俺の大切な一族なんだ」 「お祖父様……?」  イーレオは眼鏡の奥の目を伏せた。目尻に皺が寄り、若作りの魔法が溶ける。 「お前の気持ちは分かる。気になって当然だろう。だが、お前を行かせることは得策とは言えない」 「…………。理由を、お聞かせください」 「今のお前は冷静とはいえないからだ。現在、一族にとっての命題は、ルイフォンとメイシアを救出することだ。〈(ムスカ)〉を名乗る奴について調べることじゃない」 「あ……」  自身のことでいっぱいになり、彼らのことを忘れていた自分に気づき、ミンウェイは羞恥に顔を朱にする。 「――仮に〈(ムスカ)〉が本物だったとして、お前はどうするんだ?」 「…………」 「奴と敵対して、ルイフォンたちを救い出すか? ……無理だろう? お前じゃ勝てない。それとも――敵対しないのか……?」 「……!」 「俺は嫌だね。俺はお前を奴に取られたくない。だから、お前を奴に会わせてやらない」  まるで子どものような言い草だが、その言葉にミンウェイは息を呑む。それを確認してから、イーレオはゆっくりと続けた。 「俺の一族には、お前が必要だからな」  イーレオは回転椅子に背を預け、彼女をじっと見上げた。その視線に心を貫かれたかのように、彼女は身動きを取れず、瞬きすらも忘れていた。 「そうですよ」  今までずっと沈黙を守ってきたチャオラウが、そっとミンウェイの背中を支えた。 「大雑把なイーレオ様だけでは部下としては不安でなりませんし、無愛想なエルファン様では士気が下がります。きめ細やかなミンウェイ様の補佐があってこその、鷹刀ですよ」 「よく分かっているじゃないか、チャオラウ」  回転椅子をぎぃと鳴らし、イーレオが背を起こす。 「私は長年、イーレオ様の部下としてお仕えしてきましたからね。下の者の不満は、すべて把握しておりますよ?」 「ふむ? そりゃ、不満じゃなくて、ただの事実だろう。けどまぁ、いいじゃないか。完璧な人間が上に立ったら、下につく者は息苦しいだけだからな」 「ああ、なるほど。だから私たちは、イーレオ様を総帥として仰いでいるというわけですね」  執務室に、ふたりの低い笑い声が響く。  ミンウェイは、すっと肩の力が抜けていくのを感じていた。これが鷹刀一族なのだ。そして自分は一族の利益のために動くのだ――。 「取り乱してすみませんでした。確かに私が行くのは得策ではありません。……それに、今から出たところで遅すぎます」  ミンウェイは唇を噛む。ルイフォンが窮地に陥っているのに、こちらからの迎えはまだ到着しそうにない。 「ルイフォン様の機転と詭弁に期待するしかないですね」  師匠たるチャオラウが、苦々しげに呟いた。逃げ延びるだけの技術なら教えこんであるのだ。だがそれは、あくまでもルイフォンひとりの場合であった。 「ミンウェイ、エルファンは空港に着いていたな?」  唐突に、イーレオが低い声で尋ねた。  ミンウェイは、はっとした。倭国から帰国した伯父たちなら、空港から屋敷に向かう途中で、貧民街の近くを通るはずだった。
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