第3話 怨恨の幽鬼(4)

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第3話 怨恨の幽鬼(4)

 ミンウェイは目礼をして、イーレオの前の電話を取る。出力はスピーカー。登録済みのエルファンの番号を選ぶと、相手は二コール目で出た。  ――だが、無言のままに回線は切断される……。 「え……?」  ミンウェイは困惑した。こちらの番号はイーレオのものだ。一族の者なら誰でも即座に受けるはずだ。通信状況が悪いのだろうか。 「……向こうでも何かあったな……」  イーレオが、くしゃりと前髪を掻き上げた。さらさらとした黒髪が指の間から零れ落ち、額に舞い戻る。  ミンウェイが不安げにイーレオの様子を窺うと、彼は執務机に片肘を付き、頬杖をついた。 「心配するな。エルファンは一度、通信を受けてから切っている。こちらの意図は伝わっているはずだ。じきに向こうから連絡をよこすさ」  そんな楽観的な、と言いかけたミンウェイだが、イーレオの綺麗な微笑の前に、口をつぐまざるを得なかった。 「険しい顔をしてないで、桜でも見たらどうだ? 焦ったところで、だ」  イーレオが窓を示すと、そこから顔を覗かせている桜が、ひらりと花びらを落とした。蜜を吸いに来た雀が、枝に載ったはずみで散らしたのだ。  促されたミンウェイは、視界の端での営みを見るともなしに瞳に映す。  雀がくちばしで花を手折り、器用に蜜を吸う。喉を震わせ、満足すると、用の済んだ花をぷいと飛ばした。その花が、先に地に落とされていた花びらと再会を果たしたとき、イーレオの電話が鳴り響いた。  発信者はリュイセン――エルファンの息子。 「リュイセン!」  ミンウェイは、受話器に飛びつくと同時に叫んだ。「雅のない……」というイーレオのぼやきが聞こえるが、それに構っている余裕などない。 『ミンウェイか。祖父上はそこにいらっしゃるな?』  イーレオによく似た、だが張りのある若々しい声が響く。 「ええ。スピーカーで聞いてらっしゃるわ。チャオラウも一緒よ。それより、そっちはどうなっているの? 屋敷に向かっている途中じゃないの!? エルファン伯父様は!?」  ミンウェイの矢継ぎ早の質問に対し、怒りの火種を必死に抑えているのが明確に分かる、低い声が返ってくる。 『空港で拘束された。密輸入の容疑、だそうだ』 「なっ……! 何、それ? 疑われるような真似をしたの?」 『何もしてねぇよ! これは、そっちで起きている問題の余波だろ!? 貴族(シャトーア)絡みなら、上に手を回すのも簡単だからな! 俺たちを分断、あわよくば捕獲したいんだろ!』  リュイセンはあっさりと爆発した。勢いに押され、思わず後ずさったミンウェイに代わり、イーレオが身を乗り出す。 「迷惑をかけたみたいだな。すまない」 『祖父上! 迷惑をかけた、じゃなくて、今も進行形で迷惑しているんです! 少しは物を考えてから行動してください!』  その言葉にイーレオは「うむ……」と、ばつが悪そうに応じた。だが、一瞬、押し黙ったかと思うと、その先は別人のように顔つきが変わった。 「リュイセン、エルファンはどうした? 状況を報告してくれ」  渋く冷静な声色に、リュイセンも様子を改めた。 『祖父上、報告いたします。父上と俺が取調室で尋問を受けていたとき、そちらからの連絡を受けました。父上は、祖父上が呼んでいるから先に帰れ、と俺を取調室から出しました』  リュイセンは、父エルファンが、どのようにして彼を『出した』のか、詳細は告げなかった。言わなくとも、エルファンなら取調官が『快く』応じてくれるように『交渉』したであろうことは明白だった。 「エルファンは、まだ拘束中だな?」 『はい』 「あいつなら適当にあしらって帰ってくるだろう。それより、ルイフォンが危険な状態だ。すぐに助けに行って欲しい」 『はぁ? ルイフォン!?』 「お願い、急いで! ルイフォンが殺される……!」  ミンウェイも割って入る。 『あいつ、弱いくせに何やってんだよ!』 「場所は貧民街の外れよ。こっちからナビするから、すぐに行って!」 『行けって、どうやって?』 「その辺のバイクでも奪えばいいでしょう!」  数分後、リュイセンは疾風となっていた。 『近道を教えるわ。指示に従って!』  リュイセンの左耳から、ミンウェイの声が響く。制限速度を遥かに上回った猛風の中では、片耳イヤホンの音声は擦り切れそうだ。 『そのまま直進! スピード上げて!』 「信号、赤だぞ!」  こちらの音声が拾えているかは怪しいが、無茶を言う従姉にリュイセンは怒鳴り返す。 『構わないわ。無視して突っ走って!』  ルイフォンお勧めのイヤホンマイクは予想以上に高性能だったようで、ミンウェイの無謀な指示が返ってきた。 「本気かよ!?」 『お願い! あなたなら、なんとかなると思うから』 「はぁ?」 『あなたは、鷹刀で二番目に強いから』 「二番目? 俺の上は誰だと言っている?」 『チャオラウ』  その答えに、リュイセンの眉がぴくりと動いた。 「……父上より、俺が強いと言っている?」 『ええ』  リュイセンはアクセルを回し、バイクを更に加速させた。    執務室の大モニタ上を、ルイフォンの携帯端末の位置情報が移動している。  その地図上に、リュイセンの現在位置を示す光点は、まだ現れていない……。
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