第3話 怨恨の幽鬼(5)

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第3話 怨恨の幽鬼(5)

 風が、荒廃した街中を吹き抜ける。  乾いた青さの空に向かい、砂塵が舞う。  倒れかけの電柱から垂れ下がった電線が、悲しげな呻きを上げた。 〈(ムスカ)〉の無情な刀身は、ルイフォンを冷酷に見下ろしていた。それは、サングラスに隠された主の視線に代わり、鋭く狙いをつけているかのようだった。 「遠くで人の気配がしますね。面倒が起こらないうちに終わらせましょう」  事務的にすら聞こえる声で〈(ムスカ)〉が言う。事実、この男にとって、ルイフォンの首をはねることなど、作業のひとつに過ぎないのだろう。  ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。  メイシアは、どのくらい遠くまで逃げられただろうか。賢いあの少女のことだから、あるいは、どこかに身を隠しているかもしれない。迎えが来るまで、どうか無事でいてほしい――。  彼女を逃がすため、そして自分自身のため、ルイフォンはこのまま潔くやられるつもりなど、毛頭なかった。  師匠のチャオラウは、ルイフォンに戦うことよりも守ること、逃げることを教えこんだ。身の軽さなら、兄弟子で年上の甥のリュイセンにも引けは取らない。体が思い通りに動く状態なら、〈(ムスカ)〉の一刀を避ける自信はある。だが……。  ――ルイフォンの目が、すぅっと細まり、獲物を狙う猫のように、静かにじっと〈(ムスカ)〉の様子を窺う。 「ほぅ、悪巧みをしている目ですね。その有様で、なお……。面白い」 〈(ムスカ)〉の頬が、ふっと歪んだ。そして、何を思ったのか、掲げていた刀をくるりと円を描くようにして下ろす。小花をあしらった鍔飾りが、鞘口にかちりと抱きとめられた。 「〈(ムスカ)〉……!?」 「提案があります」 〈(ムスカ)〉は意味ありげに、腰に手をやった。地に伏したルイフォンへの威圧感を計算し、胸を張り、軽く顎を上げる。  ルイフォンは、〈(ムスカ)〉のサングラスの下の表情を読み取るべく、目を眇めた。  情報の収集と分析――それが彼がもっとも得意とする武器であり、〈(ムスカ)〉が直接的な攻撃を仕掛けてこないのなら、こちらにも動きようがある。息を殺すようにして、次の言葉を待った。 「私と手を組みませんか?」 「な……!?」  先程、食らった一撃以上に、息が止まる思いがした。一体、どういうつもりで〈(ムスカ)〉がそう言うのか、ルイフォンには皆目見当もつかない。 「何を驚いているんですか。私たちの対立の原因はあの小娘。けれど、小娘はあなたを見捨て、助ける気もない。ならば、あなたが義理立てする理由はないでしょう」  あまりの提案に、思考が停止しそうになるのをこらえ、ルイフォンは冷静に〈(ムスカ)〉を見やる。この男は斑目一族の食客で……。 「お前は鷹刀に恨みがあるはずだ」 「ええ、憎いですよ」 〈(ムスカ)〉の声が一段、低くなる。幽鬼の闇が濃くなり、気配を感じさせない彼が存在感をあらわにする。 「鷹刀の俺と、鷹刀を憎むお前が、仲良く手を組むなんてあり得ないと思うんだが……?」 「何をおっしゃるんですか。あなたに拒否権があるとでも?」 〈(ムスカ)〉が小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。彼の腰で細身の刀が揺れた。 「なるほど……」 『手を組む』というのは口先だけで、命が惜しければ従えということだ。  活路を見いだせるかと期待しただけに、落胆しかけたルイフォンだったが、ふと気づいた。  殺さずに活かすというのなら、つまり〈(ムスカ)〉は、憎き鷹刀の名を持つルイフォンに、なんらかの価値を見出しているということになる。それは、相当に酔狂なことのはずだ。  ルイフォンの情報屋としての本能が、そこに探るべき何かがあると訴える。 「あなたを捨て駒にした小娘のために無駄死にするよりは、私について私の寝首を掻く機会でも窺ったほうが、よほど建設的だと思いますよ?」 〈(ムスカ)〉が、悪魔の囁きで甘く誘う。  その手を取ることなど、まっぴらごめんであるが、今はまだ振り払うべき時ではない。圧倒的な優位に立つ〈(ムスカ)〉が気を変えれば、即座にルイフォンの頭と体は泣き別れするのだ。  ルイフォンは、慎重に言葉を選んだ。 「……一応、筋は通っているな。俺にとっても悪い話じゃない」 「物分かりのよい敗者は清々しいですね」  さげすみきった、挑発的な物言いだったが、反応すれば〈(ムスカ)〉を喜ばせるだけなのは分かっていた。それに、本来、前線に立つのが仕事ではないルイフォンが、戦闘での負けを悔しがる必要もない。大切なのは、守りたいものを守り抜けること。そう考えられるだけの余裕が、彼には戻ってきていた。
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