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第4話 渦巻く砂塵の先に(2)
メイシアは目線をタオロンに落とした。
浅黒く光る、筋骨隆々とした立派な体躯。その太い腕は、彼女などあっという間に絞め殺すことが可能だろう。
だが、彼は今、薬で動くことはできず、無防備な体を彼女に晒している。
本当に殺す必要はないのだ――と、メイシアは自分に言い聞かせた。少し傷をつけるだけ、と。
これは駆け引き。いざとなれば、メイシアはタオロンを殺害することも厭わないのだと、〈蝿〉に信じさせるための示威行動。
深い傷にする必要はない。ほんの少し、首筋を軽くかする程度のところに刀を落とし、脅しをかければいい……。
激しい呼吸に胸が上下する。
メイシアは、柄を握る両手に力を込め、一気に振り下ろす――!
「や、めろっ……!」
その瞬間、かすれたような野太い声が、確かに響いた。
驚いたメイシアは、思わず肩をびくつかせたが、重力加速度の勢いを得た大刀は止まらない。研ぎ澄まされた刃は、主たるタオロンの浅黒い皮膚を滑らかに斬り裂き、乾いた地面に突き刺さって土塊を跳ね上げた。わずかに遅れて、深紅色の飛沫が散る。
「――――!」
メイシアは目を見開き、声にならない悲鳴を上げた。
動けないはずのタオロンが、動いた。
首筋をかすめるはずが、肩口をしっかりと捉えていた。
柄から両手に伝わってきた肉を斬る感触が恐ろしく、そして、おぞましかった。あまりの恐怖に彼女は膝から崩れ落ち、大刀を取り落とす。
タオロンの上腕から、どくどくと血が流れていた。血溜まりがメイシアに襲いかかるかのように近づいてきて、彼女は悲鳴を上げながら後ずさる。
「くっ……。藤、咲……、よく、も……」
呂律の回らぬタオロンが、後ろ手に縛られたまま、地面でもぞもぞと動き、メイシアに向かってくる。あとには赤い軌跡が残り、そのたびに彼は太い眉をしかめた。
「もう、動けるんですか。化物並みの回復力ですね」
〈蝿〉が、皮肉たっぷりに感嘆の溜め息を漏らす。タオロンは、ぎろりと眼球を動かして怒りを示すと、再び蒼白な顔をしたメイシアを目線で捕らえた。
「……っ!」
タオロンの、かっと見開かれた黒い目を正面から見た瞬間、メイシアの体は彼の怒気に鷲掴みにされ、動けなくなった。
歪んだ太い眉、苦痛に引きつる頬……。そして、腕を彩る血糊の鮮やかさ――。
苦痛を与えれば、怒りと憎しみが返ってくる。当然の図式に気づきもしないで、自分の内部の生理的嫌悪にしか心が向いていなかった。愚かで自己中心的な自分こそが、おぞましい存在なのだと彼女は悟った。
生まれて初めて、他人に傷を負わせた。皮を破り、肉を裂き、血を吹き出させた。
それは、耐え難い痛みだろう。
相手もまた、同じだけの報復を望むに違いない……。
自らの両手が犯した罪の重さが、掌の上だけでは収まりきれず、指の間からこぼれ落ちて止まらない――そんな錯覚をメイシアは覚える。
「すみ、ません……」
自然と、言葉が漏れた。
タオロンの命を駆け引きの駒にした。彼の生命を脅かし、恐怖を与えた。それが善か悪かと問われれば、今までの彼女の人生からは、悪だという答えしか導き出せない。
だから、決してやってはいけなかったこと――……?
メイシアの澄み渡った湖面のような瞳から、透明な涙が流れた。口元は、嗚咽を漏らさぬよう、強い意志の力で結ばれている。
「藤、咲……?」
彼女に向かって、罵声を浴びせようとしていたタオロンは、突然のことに狼狽した。無骨な彼は女の涙に弱かった。
「けれど、……たとえ、あなたに恨まれても……」
細い声が響く。
「……それがどんなに罪でも、私は何度でも同じことを……します。――ルイフォンのために……!」
結果も伴わなかった。まったくの無意味だった。
けれど、この行動に……。
――後悔はない……!
メイシアは、タオロンの黒い瞳を臆することなく見返した。
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