第4話 渦巻く砂塵の先に(6)

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第4話 渦巻く砂塵の先に(6)

 不気味な笑みを口元に載せた〈(ムスカ)〉に、リュイセンは並ならぬ技量を感じた。  ――それと同時に、タオロンを牽制できなくなったことを悟る。すなわち、ルイフォンの退路が断たれたということだ。 「俺には、リュイセンという名前がある」 「それはそれは、失礼いたしました。私は凶賊(ダリジィン)の斑目一族にお世話になっております〈(ムスカ)〉と申します。以後、お見知り置きを――エルファンの小倅」 「こいつ……!」  人を喰った〈(ムスカ)〉の態度に、リュイセンは気色ばむ。  帯刀しているのは愛用の双刀。倭国に飛び立つ際に、空港に出店している小料理屋に預けておいたものだ。警察隊からの脱走劇のさなかでも、受け取りに行ったのは正解だった。これがあれば天下無双――。 「白髪親父、俺は帰国したばかりなんだ」  リュイセンは怜悧な瞳を〈(ムスカ)〉に向けた。 「俺は風呂に入りたい。フライト中、俺の汗腺が自己主張をしていた。それと、料理長の飯だ。異国の料理も不味くはなかったが、俺の口には今ひとつだった。そしたら、寝る。俺は疲れた。面倒臭いことはしたくない」  軽く顎を上げると、さらさらとした髪がリュイセンの頬を流れた。口とは裏腹に、汗ばんでいるとは到底思えない涼やかさである。そして、旅で疲弊しているはずの瞳が、好戦的な輝きで満たされていく。 「――という、この俺の邪魔をする奴は、問答無用で叩き斬る!」  そう言い終わるやいなや、リュイセンの体が一瞬だけふわりと浮き、次の瞬間に地を蹴った。  ひとつの鞘から、ふた筋の光が生まれ、リュイセンの両の手にひとつずつ宿る。ひとつの刀の刀尖から柄頭までを、(いかづち)で真っ二つに裂いて鍛え上げたような、(ふた)つの刀。  鏡に映したかのように、そっくりでいて対称な存在は、しかし、それぞれの意思を持って自在に舞い踊り、〈(ムスカ)〉に襲いかかった。 〈(ムスカ)〉は、腰の刀をすらりと抜き放った。細い刃を華麗に旋回させ、リュイセンの続けざまの二撃を受けさばく。  ――火花が散った。 「く……っ」  腕の痺れを感じ、〈(ムスカ)〉が声を漏らす。 「『神速の双刀使い』……。なるほど、父親譲りですね」 「ふん」  リュイセンが鼻を鳴らす。彼が再び双刀を構えると、輝く二条の光が残像を描きながら手元から飛び出した。  それは途中で勢いを増し、あたかも流星群の如き猛撃となり、〈(ムスカ)〉に飛来する。  しかし〈(ムスカ)〉は、その数多の斬撃を己の刃で受け流し、あるいはその身で躱していく。 「こいつ……!?」  リュイセンが声を上げた。押しているのは間違いなく彼だった。けれど、ことごとく流され、致命傷どころか、かすり傷ひとつ負わせられない。  狼狽するリュイセンに、にやりと笑みを漏らし、〈(ムスカ)〉が初撃以来初めて、正面から刀を合わせた。  廃墟に響き渡る、高く、澄んだ金属音――。 「な……?」  思いがけない重い感触に、リュイセンが戸惑う。  と同時に、彼の、その一撃の力を利用して、〈(ムスカ)〉が大きく、ふわりと後ろに飛んだ。続くリュイセンのもう片方の手による刃が、(くう)を裂く。 「……!?」  相手を失ったリュイセンの双刀が、彷徨うように宙を薙ぎ、風圧で大気を震わせた。〈(ムスカ)〉は、それを嘲笑うように音もなく地面に降り立ち、流れるような動きで右腕を旋回させて、刀を鞘に収める。小花をあしらった鍔が鞘口と再会を果たし、かちりと鍔鳴りの音を立てた。 「なんのつもりだ?」  リュイセンが叫ぶ。 「私には戦う意思がなくなった、ということです」 「お前……?」  両の手に双刀下げたまま、リュイセンは眉を上げる。 「あなたは早く帰って風呂に入りたいんでしょう? 私も撤退したい。利害が一致しますね」 「負けを認めるというのか?」  散々、小馬鹿にされてきたという思いから、リュイセンは挑発的に声を荒らげた。しかし、〈(ムスカ)〉は、それをさらりと受け流す。 「そう捉えてくださって構いませんよ。実際、力ではあなたのほうが上でした――私は本来、表立って戦う者ではありません。あなたの土俵で戦うのは、愚かなこと。それだけです」  リュイセンの戸惑いを楽しむかのように、〈(ムスカ)〉は、ふっと、口元を緩めた。 「私の本分は医者ですよ」  意外な言葉に、リュイセンの声が一瞬、詰まる。だが、すぐに調子を取り戻し、応酬した。 「……随分と血なまぐさい医者がいたもんだな」 「ええ。人体を知り尽くした医者です。人によっては、私のことを暗殺者とも呼びますけどね」  リュイセインが眉を寄せ、そして、今まで黙って様子を窺っていたルイフォンに緊張が走る。  そんな彼らの様子を確認した〈(ムスカ)〉は、不気味な笑いを口元に乗せ、満足したように踵を返した。そして、そのまま無防備に背中を晒したまま路地を出て行く。追撃を受ける可能性など、まるでないと確信しているかのように――。 「おい……」  待てよ、と言いかけて、リュイセンは口をつぐんだ。相手の言いなりのようで非常に癪に障るが、今、〈(ムスカ)〉を引き止めることは建設的ではない。  残るは、斑目タオロン――。
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