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第六話 「背くらべ」
scene-1
式の準備のため、私は福島にある実家に帰っていた。東京で知り合った年上の彼と来月結婚する。上京する時は、まさか自分が二十歳過ぎで嫁に行くとは思いもしなかった。でも不満はない。就職した会社には飽き飽きしていたし、東京生まれ東京育ちの彼はセンスも良く、何より優しい。友人と立ち上げたIT関連の会社も、今のところ順調だ。
洋服の整理をしていると「息抜きに散歩でもして来たら?」と母に言われた。
久し振りの故郷はもう肌寒い。私は、薄手のカーデガンを羽織って家を出た。
scene-2
目にするもの全てが懐かしい。小さい頃毎日のように遊んだ公園、馴染みの商店街や友人の家。そして中学二年の時、初めて付き合った男の子とデートした湖。
手をつないで歩く‥ただそれだけの時間が幸せで、世の中に何も怖いものはなかった。そして、その瞬間が永遠に続くものだと思っていた。
彼との付き合いは高校生になっても続き、東京の短大に行く間際、私の方からサヨナラを告げた。以来、その男の子のことは思い出すこともなかった。
そうだ! まだあるかな? 私は、湖のほとりにある大きな杉の木に駆け寄った。
scene-3
初めて湖に来た時、木の幹にカッターで線を刻んだ。彼と私の身長‥背くらべだ。
幼い遊びはそれから毎年恒例になった。二年目で追いつかれ、三年目で抜かされた記憶がある。私は杉の木に近寄り、二人で刻んだ思い出の印を探した。
-あった‥あったけど、でも‥これって-
私のS、彼のK。イニシャルと共に刻まれた線は、五本目まで並んで記され、そしてSはそこで終わる。が、Kと記された線はその後、さらに三本刻まれていた‥
scene-4
唐突な別れを告げ、東京に向かった私を責めずに見送った彼‥彼はあの後も、ひとりでこの湖に来ていたのか?もしかすると、三年は私を想ってくれていたのか?
最後に刻まれたKの線は、もう今の私より遥か上にあった‥
この町で過ごした季節があるから、今の私がある。私は、過ぎ去った暖かい時間に包まれながら、彼のイニシャルをそっと指でなぞった。
end
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