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布団の中に潜っても、一年以上前の現実の悪夢に襲われる、浅い眠りを繰り返すばかり。母親が食事を置いてゆく音で、一日の時間の流れを把握し、のろのろとお盆を部屋に引き込んでは食べる。だけど、どうにももそもそした感触しか無く、家にこもっているのに、また熱を出して苦しむのかと、うっすらとした恐怖を覚えた。
そんなぼんやりとした日を過ごして、ゲームにログインもせずに数日が過ぎた頃、やっとミミのことを考える余裕が出てきた。薄暗い部屋の中、ベッドの上で、天井を見上げながら思う。
ミミの事情を何も聞かなかった。あの日は日曜日だった。もしかしたら、あの連中が朝早くからログインして、無理矢理ミミを連れ出したのかもしれない。ミミも突然のことで、「私」に連絡を取りようが無かったのかもしれない。戦闘中に友達のログイン状況を確認したり、チャットを打ったりする余裕なんてミミには無いと、普段の言動を見ていても明らかなのに、焦りと怒りに駆られた私は、そんな単純なことに思い至りもしなかった。
ミミに、謝らなくちゃ。
決意の火が胸に灯る。もしかしたら、ミミも怒っているかもしれない。些細なことで縁が切れるのがオンラインゲームだ。もう、「私」を友達から削除してしまっているかもしれない。
緊張に強張る手で、パソコンの電源を入れる。ゲームにログインする。ログアウトした場所が場所なので、いきなり強敵に襲われてなすすべ無く体力が尽き、『大丈夫ですか? 街に戻りますか?』と天使が降りてきたので、『はい』を選んで強制送還される。
見慣れた街並み、行き交うアバター。ゲームの中は、私たちの間にあった諍いなど歯牙にもかけないかのように、なんら変わっていない。安堵か気抜けかわからないが、ほっと息をついた時、通知欄にダイレクトメッセージが届いているのに気づいた。
メッセージは、「私」がログインしなくなった日から毎日九時三十分に、必ず一通ずつ届いていた。内容も同じ。
『ごめんなさい。正午まで、いつもの場所で待ってます』
差出人は確認するまでも無い。画面に映る現実時間を確認するれば、午前十一時五十五分。
行かなくちゃ。その思いが、私を突き動かした。水の国へ移動し、大水車の前へ駆ける。
ミミはいた。いつも通りの棒立ちで。だけど、服装が違う。戦闘用の装備ではなく、淡いクリーム色のワンピース、ヒールのあるパンプス、花が飾られたハット、手首には、昔流行ったミサンガとかいう紐に似た腕輪。どれも、このゲームが実装された当初からある、所謂おしゃれ専用装備で、当時はフリーマーケットでかなりの高額で取引されていた。のだが、ゲームがアップデートを重ねて素材が集めやすくなり、どんどん新しいおしゃれ装備も出てきたので、今や価格は暴落し、ゲームを始めた初心者がおしゃれを楽しむために、まず試しに買ってみる一式となっている。
そんな質素なおしゃれだったけど、どんな派手なドレスを着るよりも、ミミにはお似合いで、とても可愛らしいと思った。
友達専用チャンネルに切り替えて、まだ小刻みに揺れる指をキーボードにかける。
『ミミ』
ただそれだけを打ち込めば、ミミが「私」のほうを向いた。ここから先、何を言えば良いのだろう。逡巡の鳥が飛び回る。
久しぶり。
ごめん。
怒ってる?
私が色々と迷っている間に。
『おはよう』
ミミのほうから先に笑って挨拶されて、言葉を尽くすタイミングを失ってしまった。いつもはミミなのに、今日は「私」のほうが固まってしまう。しばらくして出てきたのは。
『おはよう』
やはりそれだけだった。
『ごめんね』ミミが手を組んで頭を下げる。『あの人たちがいる前では、話したくないことだったから』
その言葉に、私は目を瞬いてしまう。一体何の話が始まるのだろう。あの連中には話したくないということは、少なくともミミはまだ、あいつらより「私」を信用してくれているのか。
疑問と、嬉しさが入り乱れる中、『あのね』とミミは話を切り出した。それも、私の想定をはるかに超えてゆくものを。
『わたし、どんどん記憶が無くなっちゃうの』
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