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何を言われたのかわかりかねて、またぽかんとしてしまう。だけど、ミミが続けた話は、呆ける暇も無く、驚愕でたたみかけてくる内容だった。
ミミを動かしているプレイヤーは、若くして脳が衰える病にかかって、数年が過ぎたのだという。まだましなほうだが、昔のことはよく覚えているのに、新しいことはなかなか覚えられず、最近の記憶から消えてゆく、老人と同じ状態なのだ。
物事をしっかりと覚えられないので、社会に出て働けない。療養にこもりがちになった彼女が出会ったのが、このオンラインゲームだった。手と頭を使うことによって病の進行を遅らせる意味もあり、彼女は『ミミ』として、この世界に降り立った。
それでも、ひどい時にはカメラを回した瞬間に、次は何をしようとしていたか忘れてしまう。出会った人々も、成したことも、メインストーリーの内容も、あぶくのように消え去ってしまう。なので、現実の彼女は、大事なことは全て紙に書き記しているという。私と会う約束をした時も、毎日手元にメモを残していたらしい。
じゃあ、日曜日にここにいなかったのは。
『メモを書き忘れて、私との約束を忘れたところに、あいつらと会っちゃった?』
『ごめん、うっかり』
私の憶測に、ミミがそれだけ言う。正解だと、如実に示している。そんな大変な状態だったなら、あらかじめ言っておいてくれれば良かったのに。私の思いは、ミミの次の言葉でかき消された。
『それで気を遣われたくなかったから。それなら、上手く出来ないプレイヤー、って思われてたほうが楽だと思ったから』
後ろ手に組んで足元の小石を蹴り、ミミが『でも』と先を続ける。
『ジュリには知っていて欲しかった。ジュリはもう、大切な友達だって、わたしは思ってるから』
私の目の奥が熱くなる。「私」でもいい。私の存在が、誰かに必要とされている。その喜びの大波で、息が上手く出し入れできない。嬉しくて呼吸困難になって倒れるとか、みっともない。なんとか深呼吸を繰り返して、私もミミが大切な友達だと、返そうとした時。
『だけどこんな、足を引っ張るわたしが友達だと、迷惑だと思う。明日も、いつも通り十時に待ってるから、もし友達でいてくれるなら、来て欲しいな』
そう言い切って、ミミの姿が消える。ログアウトしたのだ。
私の頭の中がぐるぐる回っている。ずるい。一方的に言い放って、私の答えを明日に持ち越させるなんて。苛立ちが込み上げて、だけどすぐに引いてゆく。ミミは未練を残してくれているんだ。私に、考える時間をくれたのだ。
ならば、私がやることはひとつ。
ゲームを終了し、インターネットのブラウザを立ち上げる。そして『若年性』『記憶障害』、それ以外にも思いつく直球の単語を検索欄に打ち込んで、出てきた情報を眺め、更に驚嘆する羽目になった。
症状はまさにミミが言った通り。幼い頃母親に連れていってもらった朗読劇が、今思えば、まさにヒロインの病気がこれだったのだと気づく。
マウスのホイールを回して画面をスクロールし、私はまたも息を呑む。
『進行が早ければ余命は五~六年』
その十四文字に、落ち着いていたはずの手の震えが再開した。ミミの病気がいつから発症したのかはわからない。数年前からというが、少なくとも、私より先にゲームを始めているはずだから、それなりの年月が過ぎているだろう。
ぽた、っと。
机に水滴が落ちた。何事かと思っていると、ぽたぽたぽたっと追加が来たので、まさかと思いながら手の甲で顔を拭えば、冷たく濡れた。
キーボードからパソコンの中に入り込んで壊さないよう、咄嗟にのけぞって椅子の背もたれに身を預ける。涙はあとからあとから出てきて顔をぐしゃぐしゃにする。
ミミ。なんで言ってくれなかったの。私は知らずにお金稼ぎばかりに、ミミの苦手だろう戦いばかりに連れ出していた。高レベルのスキルを使えないのは、覚えて咄嗟に出すことができなかったからだ。手配モンスターにも対応できなくて当然だ。何か事情があるのだと思い至らずに、攻略サイトを教えようと、とにかく覚えさせようとばかりしていた自分が恥ずかしい。
やっぱり私は、優等生を気取って、正義感を空回りさせて、失敗してばかりだった。
この失敗を何とか取り戻せないか。私は考えを巡らせた。ミミがゲームをやめずに、楽しく過ごせる時間を作りたい。私はもう、ミミと離れがたい友情を感じている。社会からの脱落者の偽善と笑われても、それでもやってやろうじゃないか。
ぐっと顔を拭う。涙はもう、止まっていた。
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