2:私が「私」になったわけ

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2:私が「私」になったわけ

 私は所謂優等生だった。試験の成績も出席率も優秀。校則は破らない。敷かれたレールの上を歩き、決して踏み外さない。 「高杉ならどんな志望校でも楽勝だな!」  中学三年生の時の担任も鼻高々で絶賛した。  だのに、不幸は幸福の倍ある、という誰かの言葉は本当だったに違い無い。  本命志望校の受験の三日前。喉に違和感を覚えた。その日の夕飯は味もにおいもしなくて、もそもそした固形物を食べているような気分だった。  その日の夜中に、高熱が出た。翌朝一番で発熱外来に行き、絶望を告げられた。  家の中で隔離され、四十度近い体温の頭で変な夢ばかり見ている間に、本命も、二次も三次も、志望校の受験日は容赦無く過ぎていった。  ようやく外に出られるようになった時、残っていたのは、滑り止めどころか、「記念にでも受けておけ」と担任が冗談で内申書を書いた、偏差値も教師や生徒の質も最低水準と噂の私立女子校だけだった。  試験には受かった。小学一年生でも解けるような計算と漢字、そして英語だけだった。  だけど、余裕綽々で笑っていた担任の顔から、笑みは綺麗さっぱり消えていた。  中学の卒業式が終わり、実際に高校に入学して、あまりのレベルの低さに、私は閉口せざるを得なかった。  げらげら笑い合いながら大声で話し、誰も校長の話を聞かない入学式は序の口だった。教室に移動してからも、一人として所定の席につかず、老いた担任が勝手に淡々とホームルームを進めて、勝手に終わりにする。どうすれば教科書が手に入るのか、騒ぎ声が大きすぎて何も聞こえなかったので、配られた学習用タブレットで調べるしか無かった。  誰も何も聞かないオリエンテーションが終わり、授業が始まっても、生徒たちはマスクもせずに大声でお喋りをしながらポテトチップスの大袋を回し食いし、化粧ポーチを持ち連れ立ってトイレに行く。 「ウケる」「ウザい」「ダセエ」  語彙力の無い言葉が飛び交う教室に私の居場所は無くて。黙ってタブレットをなぞる私を「キモい」と嘲笑う彼女たちが鬱陶しくて。  私の心は、台風が直撃した木のように、ぽっきりと折れてしまった。  朝が来ても布団に潜り、ごはんを食べにダイニングへ降りて来ない私を、母親は最初、頭ごなしに怒鳴りつけた。 「起きられないはず無いでしょ! 今までちゃんと学校行ってたのに! 今更甘えてるんじゃないわよ!」  小学校も中学校も遅刻欠席のほとんど無い生徒だった私を、母はとにかく布団から引きずり出そうとして、私は糸が切れたように泣き叫んだ。「泣いてどうにかなると思ってんの!?」と、頬を張られた。  だけど、私にとって不幸中の幸いだったのは、大学院の医学部に所属する兄がいたことだ。 「そうやってお袋が押しつけまくったから、朱里は今まで我慢してたんだよ! 全部お袋のせいだからな!」  常時穏やかで、反抗期も無かった息子が声を荒げたのが、相当効いたらしい。母は絶句し全身を震わせ、それから脱力するとしょんぼりうなだれて、私の部屋を出ていった。 「今はとにかく、何も考えないで寝ろよ。あと、おなかが空いたら後先考えずに食べるんだ。身体の体力が無くなると、心の体力も無くなるから」  兄は布団越しに私をぽんぽんと軽く叩いて、部屋を後にした。あとからあとから涙が出てきて、枕はびしょ濡れになった。
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