12.カナメの告白

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12.カナメの告白

 そっと引き抜いたレタスの根から泥を落とし、わたしは沈丁花の根元に誰もいないことを確認して、ゆっくりと立ち上がった。  必要な分だけ、朝ご飯にほんの少しだけ食べるために種をまいたサラダ用のレタス。まるで翡翠みたいな色。ふわふわとしつつ、瑞々しい。  昨晩の蕗ご飯は少しだけ残り、小さめのおにぎりにしてある。コビトのために残した。 (レタス、もう少しいるかな)  夕飯のサラダに使おう。  再びしゃがみ込んで、レタスの中にいる何者かと目が合った。 「何でいるんだよ」  それはコビトだった。魔王ではない、新しいほうのコビトだ。 「うちだからここにいるんです」  答えても頷きもしない。相変わらず不機嫌な顔をしてわたしを睨みつけている。 「あなたはカナメさん、でしたね」  昨日、このコビトについて魔王と話した。夫にビールを飲ませた張本人かもしれない男だ。 「何か御用ですか?」  ビールを飲ませたのか? と、聞いてやろうかと思った。  でも、様子が変だ。カナメというコビトは無言のまま私を見つめ続けている。 「あいつが夢に捕まってしまった」  掠れた声が漏れ出る。 「夢?」  言っている意味がわからない。  レタスに挟まれてカナメは下を向いた。ほぐれた土を少し踏みしだいたので、ふんわりと湿った匂いが立ち込める。  それから、覚悟を決めたかのように顔を上げる。 「俺たちは植物だ」  植物。その言葉は体に染み込んでいく。  魔王も植物なのか。 「植物なんですね」  抱きしめられたときの土の香りが蘇る。  植物だという何とも言えず奇妙な告白は腹にストンと落ち着いた。 「もう少し驚けよ」  カナメは不服そうだ。コビトを受け入れたのだから、ありだと思うのだけど。 「奥さんも植物なんですか? 植物でコビトなのに、結婚したり子どもを学校に通わせたりできるんですか?」 「今、それどころじゃないだろ」  その他にもいろいろ聞きたいのに、カナメは横を向いた。 「お前の夫より、あいつのほうが進行が早かったんだよ」 「進行?」 「しらばっくれるな。夜中、夫に何が生えたか言ってみろ」  思ってもみないカナメの言葉に、夫の寝顔が過ぎり、慌てふためいた頭は回転を始めた。  何が生えたか。  夫に何が生えたか。  夜中に何が夫に生えたのか。 「紫色のスギナ」  答える声が震えている。 「何故わかったの?」 「光だよ」  カナメは得意げにわたしを見上げる。 「寝室に光が見えた」 「見張っていたの?」 「この庭でね。あのビールを飲んだ奴らのことはだいたい見張ってきた」 「どうしてそんなことをするの?」 「あの紫色は俺の作った罠だから」 「罠?」 「コビトになるのは副作用。本当の目的は別だってこと」  こちらを仰ぎ見るカナメの眼が鋭く光った。 「家に入れろ。月志を助けるためだ」 「月志って魔王の名前…」 「そうだよ物覚え悪いな」  そういえば、言っていた。 「あいつは人間になりたくないんだ。人間になるくらいなら、土になりたいってことだ」 「わけがわからない」 「わかりたいなら、手を貸せ」  畑のレタスに向かってわたしは手を差し伸べた。 「来い」 話を聞かなくてはいけない。 逃げられそうにない。  カナメはうなずいて、素早く手のひらに飛び乗った。 ★  手にレタスを持ったままカナメというコビトと勝手口からキッチンへと戻る。  レタスをシンクにおいて、空いた片手で引き出しを開け、キッチンペーパーをカウンターに敷くと、その上にカナメという名のコビトを降ろした。 「ちょっと待っててください」  泥のついた手を洗う私の横顔をまじまじと見つめていた。 「ペーパーの上に乗せやがって。俺は揚げ物かよ」 「レタスの近くにいたせいで泥だらけなんです」  足元を指差すとコビトのカナメは顔を背けた。それから靴を脱いで揃える。案外律儀だ。 「お前たちは付き合っているのか」  その一言は意外なものだった。  意外すぎてちょっと引いてしまった。 「まさか」  否定した途端、カナメは鼻で笑う。 「そうだよな。そんなわけないよな」  少し腹立たしいが、間違いではない。そんなわけはないから。 「俺の正体はあいつに教えてもらったか?」 「いいえ」  即答をすると、カナメの目がギラリと光る。 「じゃあ、端的に説明する。  俺は人間にとっては人間が活動する前にほとんど絶滅した植物だ」  堰を切ったように喋り始めた。 「山奥でひっそり生息していたのをたまたま日本人の研究者が拾って、コソコソ育てていた。俺はもう絶滅したくなくて、そいつを乗っ取った。何とか人間の実態を得たが、繁殖は成功していない。でも、どんなに試しても、この世界では生育できない。他の植物に飲み込まれるか、環境に適応できない。しかも本体の老化は免れないから、成功をする前に体が寿命を迎えてしまう」  淡々と早口に話しを続けようとする。  人間を乗っ取った?   本体の老化? 「あの」  内容もよくわからない。  少しも頭に残らない。 「もう少しゆっくりお願いします」 「とりあえず聞けばいい」 「ついていけません」 「ついてこなくていい」  はあ、と答えるしかなかった。 「手あたり次第に寄生して、人間への乗っ取りを繰り返して生き延びてきた」 「手あたり次第って」   背筋がスッと冷たくなる。もしや、わたしを乗っ取る気なのだろうか。 「次に乗っ取る相手を探しているの?」 「話は最後まできけ」  カナメは顔色1つ変えず話を続ける。 「体が手に入っても日本人は死体を燃やしやがる。だから、せっかく体内にまいた種も灰になってしまう。乗っ取っただけじゃ意味がないんだよ。だから生きながら土の役割をしてもらおうと考えた」 「人間があなたのための苗床になるの? 生きたまま?」 「そうだよ。そこで発芽して、成長し、花と実をつけて、種を撒き散らすわけだから、死なれて、燃やされたら困る。そのためには、無気力にずっと寝ていてもらいたい」  わたしもその苗床にされるところだったのか。  怒りより先に、悲しみと恐怖が背後にぺたりと貼り付いた。 「活力がないほうが種が育つとわかったんだ。消えたいと思っている人間が最適な環境だ」  カナメの言葉が追い立てる。 ーー私は、現実に嫌気が指している人のもとに、現れるコビトですーー  コビトは最初にそう言っていたではないか。 「俺の種が人間の体内に入っても、副作用で一時的にコビトになるくらいで見た目の変化は起きないから周囲は気づかない。次第に深く眠ることが増え、夢に支配され尽くしたら完了だ。この計画が成功すれば俺は再び種の繁栄を取り戻せるし、月志は人間を滅ぼせる」  カナメはひとしきり説明をしてため息を吐き出した。  夢に支配とか、本気とは思えない。  夫から植物が生えていなかったら笑って流していかもしれない。 「ここまで理解できたか」  仰ぎ見るカナメに静かに答える。 「駆け足で無理です」  理解したとしても、なんにも解っていないふりをしたかった。この説明を飲み込んだら、わたしも土にされてしまいそう恐ろしかったから。 「何だよ。めんどくせぇ」  カナメは舌打ちを打つ。  ついてこなくていいって言ったくせに。  それから調味料やポットのコードを辿って器用にカウンターから調理台に降り立つと、手招きをした。 「手を貸せ」  言われるまま手のひらを差し出すと、素早く飛び乗り、腕を駆け上る。肩まで来ると、ドシリと座った。 「うちへ行け」  思いがけない言葉だった。 「うちって、あなた達の家?」  緑川さんの隣の家のことだろうか。 「何故?」 「いいから行け。場所は知っているだろ?」  立ち尽くしたまま動けなかった。それを見たカナメは耳元で囁く。 「紫色のスギナに侵されたあいつを実際に見るんだよ」
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