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2、世界征服について
自分でも少しおかしいと思っている。
コビトに驚かなかったのは何故か。
まるで、見慣れているようだった。
その理由は知っていると思う。なのに、思い出せない。
「何を見ているんですか?」
その日、我が家の狭い庭の一角にしゃがみこんでいた。
その視界の中で、コビトは葉の陰からひょっこりと現れた。
「また来たの?」
驚いてしまった。本当にまた来るなんて思わなかったから。
「来るっていったはず」
「コビトってほいほい現れるものなのですか? 今度は動画に撮ってネットに晒すかもしれないですよ」
「あなたはそんなことしませんよ」
コビトは余裕ありげに微笑んだ。自分が優位であるのを、自分だけが知っていて、ほくそ笑んでいるように見える。
「それで、何を見ているんですか?」
こちらの気も知らず、コビトは穏やかに訊ねる。
「花ですよ」
わたしは仕方なく答えた。
「この、青いのです」
オオイヌノフグリの小さい青い花を指さした。
「枯れてる?」
「曇っているから花を閉じているだけです」
まだ寒さの残る季節に、惚れ惚れするほど美しい青い花が咲く。名前は変だけど。
「あなたは野の花が好きなんですね」
コビトは顔をほころばせた。
あんまり無邪気な笑顔だったので、つられてわたしも表情を緩めてしまった。
「雑草が好きなんです」
「すべての雑草が、好き、か?」
「すべてかはわからない。雑草はありすぎるから」
「そっか。そうなのか。うんうん」
男は、納得したのかよくわからないまま、オオイヌノフグリを揺らす。青い花がポトリと落ちた。
「それで、あなたは何をしに来たんですか?」
今度はわたしが訊く番だ。
「用件はなんですか?」
「それは、あなたに、コビトビールを差し上げるためです」
「結構です」
間髪入れず返す。またか。雑草の話をして少し油断していた。
露骨に嫌そうな顔をしてみせると、コビトはクツクツと笑う。
「頑なですね」
知らない人の持ってきたよくわからないものを、口に入れたくない。ただそれだけだ。真っ当な理由だ。
それに、コビトのビールなんて怪しさ満点ではないか。まるで……
「そのビール。黄泉の国のたべものに似ています」
「ヨミ?」
わたしの言葉に、コビトが首を傾げる。
「黄泉の国の食べ物を食べたら、黄泉から戻れなくなる。黄泉の国の住人になる。そういうお話があるんです。このビールもそう?」
コビトは微笑みを保ったまま、じっとわたしを見つめる。
「あなたは、鋭いですね」
それは肯定という意味なのだろうか。
「褒められても嬉しくないです」
「そんなことをいわないで。私は、あなたをコビトにしたい」
コビトは、まっすぐに言った。
「夫を捨てて、こちらの世界へおいでなさい。子どもも一緒に」
「夫を捨てる?」
「あいつは不倫してるから」
心臓がキュッと掴まれた気がした。何故知っているのだろうか。
「プライベートにズカズカ入ってくる人、信用しません」
怒りがこみ上げる。不倫された女を哀れんでいるのか。かわいそうだから自分の世界へ連れていくというのか。
「ごめん」
コビトはすぐに謝った。真剣にこちらを見つめる。思いつめたように潤んだ目で。瞬間的にこみ上げた憤りが小さくなってしまった。困ってしまう。
「私は、あなたにコビトの世界に来てほしい。一週間でもいいから」
「子どもを連れて行けと?」
「お試しでいいから」
「お試しで済む?」
「保証します」
そんなこと信用できない。さっき黄泉の国の話をしたばかりなのに。
「いかないです」
「コビトからもとに姿に戻れるとしても?」
わたしは首を振った。
「いきません」
「人生観が変わるかもしれないのに?」
「コビトの世界なら救われるとでもいいたいのですか?」
腹が立ち始めていた。コビトがしつこいから。
「わたしはどこへ行っても同じ」
コビトは何か言おうとした。でも、わたしは言わせない。話し続ける。
「他の世界にいったところで、ただの不幸せの上塗りをしにいくだけ」
ここにいたい。そう言っているのに、無理矢理他所へ連れて行くなんて。驕りだ。
「人助けと言うなら、やめて。余計なお世話です」
「私は間違ったことをしているのか?」
コビトがきいた。
低く、冷たい、ヒヤリとした声だった。
「知らない」
わたしはそういう他なかった。
コビトは黙った。彼の沈黙はわたしを咎めている。救おうとしているのに、どうして拒否をし、なじるのか、と。
「何故来てくれない、私と」
彼は真剣だった。
自問自答するように、小さく言った後、また黙る。
傷ついたようにうつむくので、わたしがいじめているみたい。
「ごめんなさい」
思わず謝っていた。
「でも、あなたの目的がわからない」
コビトは顔を上げた。
小さく息を吐き、言った。
「目的は、世界征服だ」
セカイセイフク?
「私は、地下深くで人間が滅ぶのを待っている」
コビトは笑みを浮かべた。
「誰も本気にしなかった。でも、私は魔王として世界を支配する」
「世界を支配してどうするの?」
「ゆっくり暮らす」
再び、呆れ顔に戻る。
世界征服の目的が、ゆっくり暮らすためなんて。
コビトは青い花をしげしげと観察している。とても世界征服を目論んでいるようには見えない。
「今はゆっくりしていないのですか?」
訊ねずにはいられなかった。
「今、まさにゆっくりしてません?」
のんびり花を調べているように見える。そう、のんびりと。
「あれ?」
コビトは左に首を傾げた。真顔のまま、右にも傾ける。
「してるかも」
わたしは思わずプッと吹き出した。
「意味不明ですね」
世界征服という壮大な目的に対して、理由がゆっくりするためっていうのはかなり変だ。すでにゆっくりできているから尚更意味がわからない。わからなすぎて笑ってしまった。
コビトは難しい顔をしていた。
「おかしいかな」
おかしいと思う。でも、本気っぽいから言わないでおくことにする。
「雑草も滅ぼすの?」
せっかく好きだと教えた雑草を、この人は滅ぼすのだろうか。
「植物は滅びない。滅ぶのは人間だけだ」
コビトはキッパリと言った。
「人間が嫌いなの?」
「わからない」
コビトはハタとわたしを見上げた。
「でも、あなたは好きだ」
それは不意打ちだった。
こんなにストレートに、誰かに好きだと言われたことはなかった。
「とても好ましい。だから、連れていきたい」
重ねて言い放ち、コビトはにやりと笑う。
「また来る」
草をゆらして、あっという間に土の中に消えてしまった。今回、彼の去ったあとにはマンホールが残っていた。ここに飛び込んだのか。摘んでみてもびくともせず、開きそうにない。
(さらりと好きだと言われた様な)
でも、男女のそれにしては、色気がない。トキメキがない。そして、嘘偽りはなく、下心も媚びもない。
その分、直接胸に響いた。
誰かに好かれることの、なんとも言えない温もりは、いつまでも残っていた。
それにしても、何故わたしなのだろうか。
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