ありがとう

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「綺麗な桜だね」  春香は唐突に声を掛けられ、驚いた。 「……」  春香は桜の木からニ三歩離れたフェンスにもたれ掛かっていた。 「君は、綺麗だと思わないの?」  その人はまた声を掛けてきた。  春香はその人の顔を見た。  長い前髪の下からのぞく垂れ目を見ると、春香の心は解れてきた。 「アタシは、桜が嫌い。春も嫌い」  春香は桜をよく見ずにそう答えた。 「そう。桜のどこが嫌いなの? 桜が嫌いだから、春も嫌いなの?」  しつこい人だ、と春香は思った。  でも、春香はいつも通り答えた。 「アタシの名前には、桜と春が入ってる。名前に入ってるから好きとか、決めつけないでほしい。だからアタシは桜も春も嫌いなの」 「ふうん」  その人はあまり興味無さそうに答えた。 「君は、桜を見たことがあるの?」  バカにしているのか、と春香は思った。 「勿論あるよ。でも、好きではない」  と春香は答えた。 「この桜を見てごらん」  そう言ってその人は上を見上げたので、春香もつられて上を見上げた。 「これは……桜?」  春香の目に入ったのは、真っ白な花だった。まだ、満開ではない。 「うん。深山桜といって、白い花を咲かせる桜だ」  その人はそう言った。 「綺麗……」  春香は思わず呟いた。染井吉野や枝垂桜といった、ピンク色の花より、清楚で優しい感じがした。  春香は一気に好きになった。 「えっと……深山桜、だよね」  春香はその人に訊いた。 「うん。あ、もう行かなきゃ!」  その人は言った。 「え?」  その人は、白い上着をはためかせながら、飛び跳ねるように走り去っていった。  涼しい風が吹く。  春香は、これから好きな花を訊かれた時は 「桜です。でも、染井吉野ではなく、深山桜です」 と言ってやろう、と思った。
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