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「なんだよ、今逃げるしかないだろ」
「渉くんの親のお金では逃げたくない」
「どうしろっていうんだよ」
華は震えていた。けれど、その瞳に宿る光は強かった。
「うちの父は、いろいろ問題あるけど、他人のものは盗まない。渉くんのお父様は、たしかにひどいけど、渉くんまでそんなとこに堕ちなくていい」
私と美月ちゃんは息を呑んだ。ふわふわして、柔らかで頼りない華の、内に秘めていたプライドを目の当たりにして、言葉がなかった。
「私、大丈夫だから。この街から逃げなくても、ちゃんと渉くんと二人でいられるようになる。だから、いまは受験を頑張って。私も、一人でも立っていられるような大人にちゃんとなる」
村瀬は肩を落とした。その肩がこきざみに震えていて、私は彼がこれ以上恥じ入らなくていいよう、目をそらした。
――華と村瀬の恋の顛末について、話をしようか。二人は別々の高校に進んだが、そのまま交際を続けた。村瀬が大学合格するとともに籍を入れ、華も村瀬の大学がある街に引っ越して一緒に住むと聞いた。華も向こうで、すぐ仕事を探すという。
私は、華がこの街を離れる前日の夜、呼び出された。あたたかさにけぶるような春の夜、私と華は近所の路地裏を歩きながらぽつぽつ、つもる話をした。
別れ際、華が「あげる」と私に紙包みを渡してきた。包みのなかから出てきたものは、銀色に光る小鳥モチーフのイヤリングだった。
「自分で作ったの」と照れ笑いする華を、私は初めて自分から抱きしめた。
「優架、元気でね」
華の体からは、ほんのり甘さを感じ、その香りはあっという間に宵闇にとけた。この日が、私が華を見た本当に最後の日となった。
里見こそ、彼が県外の高校に進学したあとはもう会うことはなかった。スポーツタオルは渡せたものの、私たちは、華と村瀬みたいにはなれず、逆にそのことが私たちらしいのかもしれなかった。美月ちゃんは、東京にあるお嬢様大学の文学部に合格し、彼女なりの夢に向かって歩みだしたと、地元に残る私にかわいい柄の便せんが届いた。
私は二十四歳で、会社の同僚だった北野保成と結婚した。実家を出るとき、ほとんど何も持っていかなかった私だけれど、華がくれた銀のイヤリングだけは、アクセサリーケースにしまい新居に運んだ。
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