【二〇〇三年】――優架 十四歳

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「なんだよ、今逃げるしかないだろ」 「渉くんの親のお金では逃げたくない」 「どうしろっていうんだよ」 華は震えていた。けれど、その瞳に宿る光は強かった。 「うちの父は、いろいろ問題あるけど、他人のものは盗まない。渉くんのお父様は、たしかにひどいけど、渉くんまでそんなとこに堕ちなくていい」 私と美月ちゃんは息を呑んだ。ふわふわして、柔らかで頼りない華の、内に秘めていたプライドを目の当たりにして、言葉がなかった。 「私、大丈夫だから。この街から逃げなくても、ちゃんと渉くんと二人でいられるようになる。だから、いまは受験を頑張って。私も、一人でも立っていられるような大人にちゃんとなる」 村瀬は肩を落とした。その肩がこきざみに震えていて、私は彼がこれ以上恥じ入らなくていいよう、目をそらした。 ――華と村瀬の恋の顛末について、話をしようか。二人は別々の高校に進んだが、そのまま交際を続けた。村瀬が大学合格するとともに籍を入れ、華も村瀬の大学がある街に引っ越して一緒に住むと聞いた。華も向こうで、すぐ仕事を探すという。 私は、華がこの街を離れる前日の夜、呼び出された。あたたかさにけぶるような春の夜、私と華は近所の路地裏を歩きながらぽつぽつ、つもる話をした。 別れ際、華が「あげる」と私に紙包みを渡してきた。包みのなかから出てきたものは、銀色に光る小鳥モチーフのイヤリングだった。 「自分で作ったの」と照れ笑いする華を、私は初めて自分から抱きしめた。 「優架、元気でね」 華の体からは、ほんのり甘さを感じ、その香りはあっという間に宵闇にとけた。この日が、私が華を見た本当に最後の日となった。 里見こそ、彼が県外の高校に進学したあとはもう会うことはなかった。スポーツタオルは渡せたものの、私たちは、華と村瀬みたいにはなれず、逆にそのことが私たちらしいのかもしれなかった。美月ちゃんは、東京にあるお嬢様大学の文学部に合格し、彼女なりの夢に向かって歩みだしたと、地元に残る私にかわいい柄の便せんが届いた。 私は二十四歳で、会社の同僚だった北野保成と結婚した。実家を出るとき、ほとんど何も持っていかなかった私だけれど、華がくれた銀のイヤリングだけは、アクセサリーケースにしまい新居に運んだ。
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