0人が本棚に入れています
本棚に追加
4月。桜が満開の木の下で、僕は彼のことを思い出す。
もう4年も前のことか。
当時僕は高校生、どこにでもいる生徒の一人であった。
それは彼も同じだ。違うところといえば、僕よりもやや陽キャ寄りで、運動能力に優れていたことくらいか。
桜の木の下に来たら、僕と彼ではやることが違った。僕は読書、彼はスポーツだ。
僕と彼で性格は正反対に端からは見えたかもしれないが、僕らはいつも仲良くしていた。
あの日まで・・・
4月といえば、新学期の始まり。
始業式、クラス替え、と例年通りある行事の中には、健康診断、というものがある。
身長・体重を測ったり、視力検査・聴力検査を無事突破していくと、待っているのは内科検診である。
これもまた、健康診断の中では重要な儀式の一つである。いや、一番といっても過言ではない。
しかし、我が校は、少々田舎にあるせいか、内科検診が杜撰だった。
内科医(これも定かではない。)が、聴診器で心臓の音を聞くのみならず、歯も診るのだ。
お前、歯科医師の免許持ってんのか⁉
毎年健康診断が来る度、僕はそう心の中で叫ぶ。
ただ、何も僕らに害を与えさえしなければ、別に問題はない。
僕もこれまで、特に歯の異常を指摘されたことはなかった。
しかしその年。僕の友達は違った。
一週間後に帰ってきた健康診断の結果で、虫歯を指摘されたのだ。彼には、歯科での再検査を義務付けられた。
彼は今まで、一度も虫歯になったことはなかったそうだ。
よって今回のことで大きく落ち込んだ。
結果として、彼は虫歯ではなかった。健康診断でやってきた医者が、ヤブ医者だっただけだ。
しかし、彼には、それ以上に恐ろしい現実を知らされた。
奥歯のさらに奥の所にある歯、いわゆる「親知らず」が発見されたのである。
診察した歯科医は、彼にこう告げた。
「今はまだ大丈夫だけど、痛いようならいずれは抜いた方がいいよ。」
歯科医のこの発言に、彼は絶望した。
これから将来、口内で痛みを感じることがあるのか。
いずれは抜かなければならないのか。
そしてそれは、計4回も起こりうるのか。
突きつけられた厳しい現実に、彼は何も言葉を発せなかった。
それから何日も、彼はこの問題をどう対処すべきか思い悩んだ。
その間、彼は学校に来なかったため、僕は非常に心配した。
数日後、彼が久々に学校に来た。
彼の顔を見て、僕は問い詰める。
「どうしたんだ?何かあったのか?」
彼は一言ポツリと呟いた。
「もはや、切腹するしかあるまい。」
それからの動きは迅速であった。
早まる彼を止める僕に対して、彼は短刀と長刀を取り出した。
そして、長刀を僕に向ける。
「君が、介錯してくれ。」
無理もない。
腹を切った程度で、人間は死ぬことはない。
近世の武士が切腹する際、背後には必ず介錯人が存在するのだ。切腹武士の首を刎ねる。すなわち死因は、斬首と同様である。
僕はなんとか、思いとどまらせようと説得した。
しかし結局、阻止することは叶わなかった。
4月下旬。散り際の桜の木の下で、彼の切腹を執り行った。
彼は白無地の小袖を着て、木の根元に正座する。前には短刀を横にして置く。
一方の僕は、長刀を持ち、彼の左斜め後ろにて構える。
決行の時刻が来た。
彼は小袖を右から肌脱ぎし、短刀を自身の腹の前に構える。
そして、ひと思いに貫通させる・・・
どうしてこうなってしまったのか。僕は涙をこらえられない。
しかし、泣いている場合ではない。彼の身体には現在、激痛が走っている。直ちに首を刎ねねば、彼の苦痛は永遠に続く。
僕は・・・刀を振り下ろした。
あれから4年の月日が経った。
僕は、忘れようと思ったものの、桜を見るたび、彼のことを思い出す。
桜が悪いわけではない。ただ記憶を呼び起こす起爆剤となっているだけだ。
だが、あの日の記憶から、僕はなぜか、桜を好まない。
毎年桜を見たら、必ず彼の墓に参ろうと決めている。
ちなみに。
彼の名前は、『桜木雪』と言った。
最初のコメントを投稿しよう!