1.知りたいときは、

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1.知りたいときは、

 公園の桜はもうほとんどの花を散らし、若葉が出始めている。  野村敬梧は、ベンチをハンカチでさっとひと拭きして腰かけた。  初々しい黄緑色の葉からこぼれる日差しに奥二重の目を細める。とたんに、指を動かすことさえ億劫になってきた。  新年度に入りすでに六日。木曜日の午前中の公園は静かだ。  窓から見た空がきれいだったので、読みかけのミステリーをトートバッグに入れて家を出た。自宅アパートから歩いて3分の公園は、東側はグラウンドとして利用され、西側に小さなすべり台とブランコが設置されている。ベンチは遊具から少し離れたフェンス側にあり、敬梧は時々ここで本を読んでいた。  休日の楽しみにしていた新刊なのに、どうやら春のうららかな景色にはそぐわなかったようだ。司書なのにな、とちらっと考えて身じろぎもせずに座っていると、桜の木の根元あたりから野鳥の鳴き声が聞こえる。ぼんやり向けた目に、尾を振りながら歩くかわいい姿が映った。 「あとで挿絵のきれいな図鑑で調べてみよう」  その思いつきにわくわくして、敬梧の左頬に片えくぼが浮かぶ。それは職場などではあまり見せない、とてもリラックスした表情だった。  自分の思考に浸っていると、いつのまにか、小さな女の子が自分を見つめていた。腕を伸ばせば触れそうな距離に驚いたが、どうすればよいかわからない。緊張した敬梧は、顔を反らしていつもの愛想のない顔に戻った。  そもそも、他人とのコミュニケーションが苦手なのだ。会話で意思疎通ができる相手にも苦心するのに、こんな、おそらくよちよち歩きの子どもなど論外だった。 「声をかけたら泣いてしまうかな。でも黙っているのも怖いかもしれないし。なんとか離れてくれないかな……」  しかし敬梧の心配など子どもに通じるわけもなく、だんだんと泣きたいような、追いつめられた気持ちになってくる。そこへ、ぱたぱたと駆け寄ってくる人影があった。 「ちーちゃん、何してるの?さとい先生とも遊んでほしいな」  しゃがみこみ、優しい口調で子どもの気をひいている。敬梧は視線を向けることなく様子を窺った。ほんとうにうっかりしていたが、近くの保育園の園児たちが外遊びに来ていたようだ。  自らを、さとい先生と名乗った保母さんは、すっと子どもの身体を反転させた。手を引いて歩きだすまえに振り返り、ぺこりと頭を下げる。 「お邪魔をして、すみませんでした」  肩をびくっと跳ねさせた敬梧は、うわずった声で返した。 「だ、だいじょうぶですから」  ひきつった顔を向けると、ちーちゃんと呼ばれた子どもが手をふってくれた。敬梧と目があった保母さんが、一瞬、目を見張ったあとニコッと笑顔になる。敬梧はやっとのことで会釈を返した。            
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