8.言えないときは、

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8.言えないときは、

 慧の部屋にはベッドもなく、ふたりで一組の布団に入っている。慧が風呂に入ったあと、寝付くまでいてほしいと頼んだからだ。 「敬梧には、たくさん聞いてもらいたいことがあるんだ。迷惑かもしれないけど」  敬梧のほうに身体を横向け、躊躇いを吹っ切るように口をひらく。 「どうして迷惑って、思うんですか?」 「誰にも言ったことないもん。父ちゃんたちにも」 「斉木さんも、知らない?」 「うん。だから、うまく言えないかも」  誰にもしたことのない話を、聞いてほしい。    つらい過去がにじむ言葉に、動揺を悟られまいと抑える。口づけをされた瞬間から、決意のようなものを感じていた。 「言いたいことだけ、言えることだけでいいですよ。俺は聞くしかできないけど」 「僕のことを知りたい人が、いるなんてね」  こんな時にも笑おうとする慧を、そっと抱き寄せる。怖がらせないように、背中をさすってみた。 「敬梧が好きだよ。とっても好き。だから、怖くなっちゃった」  腕を回した慧が、しがみつくように密着してくる。 「父ちゃんは僕に『周りの人には優しく、好きなやつには、すげぇ優しく』って言うんだ。でも、何人かは、そうじゃなかった」  慧が記憶をたどりながら話す言葉は、何度も途切れた。敬梧は、怒りで洩れそうになる声を、唇を噛みしめてこらえていた。  幼少期にはなかった嫌がらせ。教師や、斉木のような友人の目の届かない瞬間を見計らって、何度も言われ続けた言葉。それは慧の身体ではなく、心の深いところを傷つけた。  最初は小学校の高学年、クラス委員の男子児童。容姿を揶揄われる慧を表向きにはかばいながら、二人きりになると「言われても仕方ないだろ」などと何度も言った。中学生になると、身体の変化を他の男子生徒に報告させられた。性的な好奇心に晒された慧は、自分が成長することと、成熟することへの葛藤に苦しんだ。高校の修学旅行で、押し倒してみるか、と言っているのを聞いたこともあった。このときは斉木に助けてもらったが、理由は言えなかった。 「ほかにも軽口は何度もあった。そのうちに、身体に触れるのも触れられるのも苦手になって。誰かと親密な関係になるなんて、想像もできなかったんだ」 「今も、怖い?」  撫でていた自分の手を、背中から離して尋ねた。うっかり触れてしまったが大丈夫だろうか。 「ううん、気持ちいいよ。ほんとは、あのときも驚いたけど嫌じゃなかった」  それならばどうして2週間も、と口にしていいのか迷う。 「だから、怖くならないようにって、メンタルトレーニングをしようと思ったんだ」 「へ?」 「だって、好きってそういうこともあるでしょ? そんなときに、かっこ悪いところを見られたくないし」 「それで、メンタルトレーニング……」 「そう。でもそれが、今日のことにも繋がったかもしれなくて」 「どういうことです?」    明日はお互いに、寝不足で出勤することになるかもしれない。
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