8.言えないときは、

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 慧が専門学校を卒業して就職したのは、地元では有名な私立の幼稚園で、姉妹園も合わせると相当数の園児が通っていた。 「本園では、僕が初めての男性職員だったんだ」姉妹園ではその前年から「体操のお兄さんタイプ」の男性職員が働いており、園児や保護者からの評判もよかったという。リトミックな遊びが得意な慧は、はりきって働き始めた。 「最初はたぶん、お孫さんを心配したおばあちゃんの話から始まった気がするんだ」  初孫をとても可愛がり、園の行事には必ず参加していたその女性は慧が男性だと、当初は知らなかったようだ。それを知ると、なぜか、世間を騒がせた男性ベビーシッターの事件と結びつけて慧を警戒した。 「僕を純粋に慕ってくれる子どもたちに、酷いことなんかするわけないのに。少しづつ先入観を払拭するしかないと、先輩からも励まされて頑張った。やがてわかってもらえたようで、このおばあちゃんからは謝罪されたけどね」  3年目くらいになると、先輩の補助だけではなく、積極的に子どもたちと関わるようになり、保護者とのやりとりも増えてきた。まだまだ駆け出しだったが、充実感を感じていた。そんななか、慧に謂れのない誹謗中傷がふりかかったという。 「お母さん同士のSNSで、根も葉もないことを言われてたらしいんだ」  収束したはずの嫌疑を蒸し返すような内容だったり、全く身に覚えのない内容もあったという。 「僕が保護者のお父さんを誘惑してるって、書かれて」  慧自身が全く知らないところで、密かに行われていた投稿は1年ちかく続いていた。 「でも、ほんとにショックだったのは、園の中にいないとわからないようなことも書かれてたことかな」  それはつまり、同僚が話題を提供しているということだ。悪意があったのかどうかもわからなかったが、アカウントが消され、皆が口をつぐめば追求することもできなかった。 「そもそも、そんな気にもならなかったけどね」  面と向かって言われることさえ、受け流してきたのだから、犯人探しなどするわけもない。すぐにでも退職しようとしたが、受け持っている園児の卒園を見届けたいと考え直した。4年間働いた園を辞めたときは、もうこんな仕事はしないだろうと思っていた。 「1年間フリーターだったけど、やっぱり子どもたちの笑顔が恋しくて戻っちゃった」  ハローワークに求職申し込みをしたタイミングで、現在の園の募集を知った。0歳から2歳までの小規模な保育園だが、面接で慧が退職の経緯を話すと「本当の笑顔の大切さを知る、そんな保育者になれる」と園長から言ってもらえた。 「だから、育児の悩みは一緒に考えても、僕から誘うとかありえないからね」 「話してくれてありがとうございます」    慧が抱えてきたものにかける言葉も見つけられなくて、敬梧は、もどかしさごと背中を抱いた。  
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