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10.如何なるときも、
「それから、あともう1個あるんだ。これは正真正銘、僕の宝物!」
そういえば、さっきのは一つ目と言っていた。慧が取りだしたのは古い写真のようだ。
「ん?」
覗きこんだ敬梧は、不思議な既視感のようなものを覚える。
ベビーカーに座る赤ん坊が、隣に立つ子どもに手を差し出している。少し色褪せているが、二人とも楽しそうに笑っているのがわかる。
子どもは、まちがいなく慧だ。顔のパーツの全てが「楽しい」と言っているようだ。
敬梧は、今も変わらないこの笑顔が大好きで「慧さんの笑い顔は、きっと子どもの頃のままなんだろうね」と言ったことがある。
そのときの慧は「僕、そんなに子どもっぽい?」と不服そうだったが。
敬梧はじっと目を凝らした。この写真が宝物だという理由はなんだろう。一方が慧ならば、もうひとりは誰だろう。
「裏を見て」
慧が声をかけた。敬梧の気持ちは全部お見通し、と言わんばかりのタイミングだ。
『1999年7月 慧3歳 ケーゴくんと』
几帳面な文字は、真乃さんの筆跡だろうか。ケーゴくん? まさか……。
敬梧は慌ててスマートフォンを取り、父親の番号を呼び出す。ほどなく、ゆったりとした声が応じた。
「はい、もしもし」
「遅くにごめん。ちょっと聞きたいことがあって」
「どうした?」
敬梧は、はやる気持ちを抑えながら、慧の両親が暮らす町の名前を口にした。
「俺、そこに住んでたことある?」
返事を待つ間にも鼓動が高まり、汗が滲んできた。
「懐かしいな。おまえが生まれた町だ」
父親は、当時の様子を思い出しているようだった。
「転勤で俺が初めて役付きになって、おまえが生まれて。仕事は忙しかったが、家に帰ればおまえたちがいて。楽しかったな」
やはり、写真の赤ん坊は自分なのだ。あまりの偶然に気持ちが追いつかない。
「そ、そのころ、俺と仲のいい子とか、いたのかな。知らないよね?」
敬梧の記憶のなかで、父親は仕事に忙しく、顔を合わせるのは週に1回、多くても2回いう生活だった。期待はできないが、尋ねてみる。
「うーん……正直、お母さんに任せっぱなしだったからなぁ」
予想通りの答えだ。
「あ、でも、次へ引っ越す日に、お別れにきてくれた子がいたな。髪の毛がふわっとした子だったような気がするが。おまえは、それまでにこにこしていたのに、車に乗ったとたん大泣きして。お母さんがすごく心配したんだ。2歳の頃だから覚えてないか」
もう十分だった。
ありがとう、とだけ言って通話を終える。画面にぽつんと雫が落ちた。
「敬梧……泣いちゃだめだよ」
慧の両目からもきらきらとした雫が溢れて、頬を濡らしている。
「慧さんだって……」
「これは、あの、あまりの偶然に、目がびっくりして」
「目が驚いて涙をながすの? そんな言い訳?」
突拍子のない言葉に、敬梧が吹き出す。慧は「もう!」と頬をふくらませたが、こちらもすぐに笑いだした。
「慧さん、いま泣いたカラスがもう笑った」
「えっ?」
「あ、知らない? 俺、おばあちゃんによく言われたから」
「へぇ、僕の好きな絵本とおんなじだ」
慧がバッグパックから、小さな絵本を取りだした。表紙におすわりした赤ん坊が描かれ、ページを繰ると、くまやうさぎ、ぶたにねこが涙を流したあと、次のページで笑顔にもどる。最後は大笑いする動物たちの真ん中で、赤ん坊も笑っている。
何度も読み返したのだろう。傷んだ絵本には、慧の涙と笑顔も閉じ込められているようだった。
「ほんとですね。もう笑ってる」
「敬梧と僕も、この絵本みたいに、いつも笑っていようよ」
「だめです」
「なんで?」
敬梧が、断固とした決意をみせる。
「楽しいときだけじゃ、だめです。悲しいときも、淋しいときも、頭にきたときも、一緒にです」
「楽しくなくても、一緒にいるの?」
「泣いてる顔も、困ってる顔も、怒ってる顔も、全部好きですから」
「笑顔じゃなくても?」
「どんな顔をしていても、です。最後は、俺が笑顔にしてみせますから」
「泣き虫の敬梧が?」
「あ、馬鹿にしてますか? 本気ですからね」
「うん……わかってる。ありがとう」
「俺からも……ありがとうございます」
愛おしむように、唇が触れた。
〈完〉
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