3.悔しいときは、

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「母親が息子の顔を見にくるのに、理由はいらないでしょう」  一年前、このアパートへの引越しは敬梧がひとりで決め、両親へは事後報告をした。自分が選んだマンションを出たことに腹をたてた母親は、合鍵を渡せと譲らなかったのだ。 「それにしても連絡くらいくれたって……」 「あなたが忙しそうだから、こちらからきてあげたのよ」  立ちあがった絢子は、部屋を見渡してため息をついた。 「ずいぶん古い建物ね。こんな、セキュリティーも無くて大丈夫なの?」 「越してきてから、トラブルも困ったこともないよ」 「部屋だって前より狭いし、駅からも遠いわ」 「間取りはそんなに変わらないよ。荷物が増えただけ。車があるから移動に不便はないし。ねぇ、いったいなんなの?」 「あなたのことを心配しているのよ」 「心配しなくても、ちゃんとやってるから」 「それを確かめにきたのよ」  綾子が、さも当然のように言う。敬梧はだんだんと苛立ちを抑えきれなくなってきた。  そのとき、玄関チャイムの音とともに、ドアの外で元気な声がした。 「敬梧もう帰ってるー?唐揚げ作りすぎちゃって」  慌ててドアを開くと、満面の笑みをうかべた慧が立っている。香ばしいにおいに、敬梧の胃が悲痛な声をあげた。 「うわぁおいしそう。ありがとう、慧さん」 「こっちはポテトサラダ。野菜も食べな」    うぬぼれではなく、自分のために作ってくれたと思われるメニューに、感動すら覚える。  そのときだ。 「敬梧、どなたなの?」  その場の温度が下がりそうな冷ややかな声とともに、キッチンと居室を区切るドアから絢子が出てきた。 「あ、お客様だったんだ。ごめんね」 「敬梧の母です。どちらさま?」 「すみません。隣に住む中嶋といいます。け、野村さんには、いつも親切にしていただいて。お礼にと思って」 「慧さん、ごめんなさい。これありがたくいただきます」 「うん、こっちこそ突然ごめん。またね」  慧は、敬梧の母親に頭を下げて帰っていった。
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