白桜刀

4/4
前へ
/4ページ
次へ
 絢は、剣から離れなかった。  離れる暇もなかった、というのが正しいかもしれない。妖を退治した剣士として名が広まり、仕事が続々と舞いこむようになったのだ。  護身術として娘に剣を教えてほしい、との依頼も多かった。気乗りせず稽古にやってきた令嬢も、絢の刀さばきに惚れぼれする。 「まあ、華麗ですこと! 剣と一体になっているみたい」  無邪気に声を立てられ、絢は愛刀にふれて微笑んだ。 「長く使っていますので、よくなじんでいます。身内のようなものですよ」 「それだけ技量があると、苦労も大きいのでしょうね」 「いえ、そのようなことは……」  答えかけた瞳が、ふと遠くを見る。道場の窓が切りとる景色に桜の影はない。 「時に、悲しくもあります」  ぜひうちのお抱え剣士に、とあちこちから誘われたが、彼女はひとつの土地にとどまることはなかった。何かを求めるようにさすらい、春が来るころになると北へむかう。爛漫に咲きほこる花の中にいるのは耐えられなかった。  数年が過ぎ、冬が終わろうかというある日。絢は北方の里を歩いていた。 「失礼。引きとりにまいりました」  小屋の奥に声をかけ、戸をくぐる。鍛冶の作業場には火が焚かれ、外の寒さをかき消している。 「ああ、あんたか」  三十がらみの鍛冶屋がのそりと立ちあがった。愛想笑いもなく、絢があずけていた刀を差し出す。 「研ぎまで終わってる。たしかめてくれ」  絢はうなずいて、刃を火の明かりにあてて検分した。この前の仕事でできたひどい刃こぼれが嘘のように直っている。自然と笑みが浮かぶ。 「ありがとう。これでまた戦える」  刀を鞘におさめようとすると、鍛冶屋が低い声で尋ねた。 「何て刀だ」 「由来は知りません。古道具屋で手に入れたもので……」 「そいつは何者だって聞いたんだ」 「えっ?」  心臓が鳴り、身体が固まる。  鍛冶屋は、鞘からわずかにのぞく白刃にじっと視線をそそいだ。 「俺には見えた。真っ赤に熱した刀身を打ったとき、火花にかわって花びらが舞った」 「花……」 「さくら、白い桜だ。すぐに消えちまったが、目に焼きついた。あんたの家系とゆかりでもあるのか」  絢はとっさに首を横にふった。 「ない。桜は嫌い」 「そうか」  鍛冶屋は口をつぐむ。絢は急いで戸口へむかいながら、乱れた鼓動をなだめた。  はやく外へ。  進みつづけていれば、記憶は遠ざかる。花が散った春の夜から逃げきれる──  小屋から一歩踏み出した瞬間、声が追いついた。 「桜は、あんたを想ってるみたいだぜ」  息がとまった。  刀を握る手に力がはいる。大嫌いな花の香が彼女をつつむ。伝えられなかった最期の言葉をのせて。  四百の年月を生き。  愛したのは、お前だけ。 「……白桜」  弱い声で名前を呼んだ。  忘れようとしていた彼の太刀筋、まなざし、笑顔が一斉に咲く。もう絢は進むことなどできなかった。刀を抱きしめた拍子に、涙が頬を滑りおちた。  鍛冶屋は何も言わず立っている。外から入ってくる風は冷たいが、それをあたためる日ざしがあった。  ああ大丈夫だ、と彼は思う。  冬のうちにうしなわれたものがどれほど大きくても、春はめぐってくる。 「きっと、そうなるさ」  鍛冶師はまぶしさに目を細め、剣士の震える背中を見守った。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加