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「――さあ、着いたよ」
青年がどこからか回して来た車に乗せられ連れて来られたのは、今まで縁など欠片も無かった陸軍の本部だった。
立派な門扉をくぐった先に、煉瓦造りの建物がどんと構えている。広い敷地内では軍人たちが忙しなく動き回っており、街中とはまた違う喧噪に満ちていた。
車を降りると、すぐさま青年から程よく通る声が飛んできた。
「車に乗るの、きっと初めてだったよね? 乗り心地はどうだった?」
「そうですね。電車とも違う空間だったので、とても良い経験になったかと」
隣で、終始笑顔で運転していた青年からは、移動中尽きることなく話題をふっかけられていた。
何か話していないと気が済まない性質なのだろうか、それともただ由宇と話してみたかっただけなのか、それは分からない。だが、話しかけられている当の由宇は、口数が多いわけでは全くない。むしろ言葉が少なすぎると言われるくらいで、その自覚もある。
青年の問いかけに「はい」とか「いいえ」とか「そうですね」という一言を返すだけで、よくそれで会話を繋げられるものだなと途中素直に感心したものだ。
だが、実際由宇のような身分の低い者が車に乗ることはほとんど無いので、貴重な体験だったことは間違いない。
そんな、割と濃い道中を経て、いよいよ由宇は陸軍の本部へ足を踏み入れた。
建物の玄関は吹き抜けになっていて、すぐ側の階段から続く二階の様子が少しだけ見えた。吹き抜けの天井には大きな照明器具――シャンデリア、というのだったか――が下げられており、違う世界にいるような感覚に陥った。
まるで学校の校舎のように広い建物の中を、青年は迷いなく進んで行く。その後を、由宇が引き離されない程度にゆったりとした足取りで着いて行っていた。
青年とは違い、由宇にとっては初めて足を踏み入れた場所である。どんな仕様になっているのか、どれくらい人がいるのかなど、把握しておくことはたくさんある。
角を曲がる度、扉を開けて別の棟に入る度、由宇は素早く周囲を観察し、目に映る光景、耳が拾う微かな音も、身体で感じ取れるものは全て吸収していた。
おそらく誰にも気付かれていないその行為のおかげで、気になったことが一つ出て来た。
前を行く青年の立場である。
建物の中は、外よりもたくさんの軍人で溢れている。男性たちの太い声が響き渡り、何かの書類を抱えながらバタバタと廊下を走って行く者もいた。
とても周囲に気を配っている余裕など無いように見えるのに、青年の姿を見つけると、皆一様に背筋を伸ばすのだ。
何かの作業をしている最中でも、忙しそうに早歩きをしている者でも、青年が横を通れば慌てたように姿勢を直し、「お疲れ様です!」と声をかける。そしてその後ろを歩く由宇に怪訝な目を向けるのである。
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