一章 男装の少女と不思議な軍人

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「相変わらず、愛想笑いの一つも出来ないみたいだねぇ。ま、そこが良いんだけどさ」  という男の皮肉にも、その者は全くの無反応だ。聞こえているのかどうかさえ怪しくなって来る。  当の男は慣れているのか、ひひっと笑い声を上げ、台の横に置かれた紙束の一つを手に取り、差し出した。 「それからお客さん、また依頼が来ているが、受けるかい」  依頼という言葉に僅かに眉を動かしたその者は、すっと手を伸ばして紙束を受け取った。パラパラと紙をめくる度、黒水晶のような瞳が文字の上を滑っていく。 「依頼者は複数、いずれも隣町に住む小さな子どもの母親だ。ここ一ヵ月、夜な夜な子どもがいなくなり、行方不明になっている。足取りは辿ることが出来ず、警察もお手上げだそうだ。子どもの年齢は……」 「そこまでで結構です。概要は分かりました」  補足説明をしていた男の声を遮り、その者は紙束を持ち直した。その様子を見た男は、にたぁと口の端を吊り上げる。 「それじゃ、受けるんだね?」 「ええ。受けさせていただきます」 「ちなみに依頼者たちは誘拐を疑っているようだったけど、お客さん、あんたはこの事件、見る?」  どこか面白そうに尋ねる男を一瞥し、その者は「それでは」と一礼した。そのまま立ち去ろうとしたその者の背中に、男は思い出したように言葉を投げかけた。 「ああ、そうだ。これはごく最近の話なんだけどねぇ」 「…………」 「(あや)しのモノを斬ってまわる(やから)を、軍人が探してるらしいって噂があるんだよ。せいぜい気を付けるんだねぇ、?」  最後に付け足された言葉に、その者は即座に振り向いた。顔には何も感情が浮かんでいないのに、瞳は冷たく、切っ先のように鋭い視線が男を射抜く。 「……失礼ですが」  吐き出された声は冷え冷えとしており、薄暗い店内をピリピリとした緊張感と肌寒さで包み込むのには十分なものだった。 「のことを『お嬢さん』と言うのは止めて下さいと、以前申し上げたつもりですが」 「……ひひひっ。そりゃぁ、悪かったねえ。まあ、そういう話が出てるよってことだけ、知らせたかっただけさぁ」 「そうですか。それはわざわざありがとうございました。それでは、今度こそ失礼いたします」  静かに向けられた怒りに対し、男は何の影響も受けていない様子で笑う。そんな男に、その者は圧を引っ込めて淡々と礼を告げた後、再び一礼をして去って行った。  ぴしゃりと閉ざされた戸に映った影が消え、下駄の音が遠ざかっていく。  男は、時計の針の音だけが響く薄暗い店内の番頭台に座ったまま、口の端に浮かべた笑みを深くした。 「……さぁて。いつも通り、お手並み拝見といこうかねぇ」  ――ボーン、ボーン、ボーン  振り子時計が三つ、時を知らせる音を鳴らした。
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