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2020/06 妹尾くんと小野山くん
認めたくないが、俺は巻きこまれ体質だと思う。雨が降る中、倒れた自転車を見下ろした。
無視して立ち去れ、バイトに遅れる、と頭が警告するが立ち尽くしたまま動けない。
迷っている内に目の前の男が立ち上がった。何かを探すように顔を左右にふっている。そして、すごい形相でこちらに向き、吠えるように第一声をかましてきた。
「君!」
無視をするという方法はないだろうか。
「聞こえてないのか!?」
諦めの悪い俺は知恵をしぼったが思い付かなかった。
「……聞こえてます」
「眼鏡を探してくれないだろうか」
「……カゴの横に落ちてますよ」
指でしめしながら教えると、男は蛙のように飛びつき眼鏡を拾い上げた。壊れてないことを確認してのびすぎた前髪を気にせずにかけている。
ちらりと見えた整った顔立ち。分かりづらいが、口端がわずかに上がっている。神経質そうな見た目とは裏腹に機嫌がなおったようだ。男の近くに転がっていた傘を渡す。
男は一言わびて、傘を持った。所在なさげに瞳をゆらしたあと、傘のつかをじっと見つめている。一文字に引き結んでいた口をやっと開いた。
「えー、君」
「はい」
「わたしは小野山。君は?」
「……妹尾です」
仕方ないと自分に言い聞かせてため息をつくように返した。面倒だが、相手が礼儀をつくすなら礼儀を返すのがすじだ。
「妹尾くん、助かった。ありがとう」
聞き覚えのある響きに記憶を掘りおこす。
第二、第四金曜日に俺のバイト先に来る青年。彼は決まって夜の九時半頃に、いつも同じ送り主からの荷物を受け取り、律儀に『助かった。ありがとう』と言う――『オノヤマさま』だ。
傘の骨をなおす小野山さんは、俺に気付く様子など微塵もなく興味もない感じだ。
バレていないようなので、面倒ごとに巻きこまれないように笑顔で対処した。今朝、寝坊した俺は幸いなことに眼鏡をかけていた。
「怪我、大丈夫ですか?」
小野山さんの手の甲とひじをちらりと見ながらきいた。このまま立ち去るのはためらうほど、ひどいものだ。
小野山さんは怪我を覗きこんだ。手の甲にある砂利まじりの傷からは血が流れ、白い袖のひじの部分が赤くにじんでいる。神経質そうな顔のわりに平然としていた。
「これなら生活に支障はないだろう」
「……自転車、押しましょうか?」
ドジな母と姉、年の離れた妹のおかげで育ったおせっかいが口からこぼれた。またやってしまったと思う。
俺の申し出に小野山さんは手をあげて断ろうとするが、その顔はすぐに歪んだ。あげようとした手が痛かったのだろう。
「申し訳ないが、スーパーオノヤマまでお願いできるだろうか」
人に頼むにしては、すごく嫌そうな顔をしている。頼るのが苦手なのだろうか。どうも掴みづらい。
眉間にしわが寄りかけた俺は笑顔でごまかす。
「俺の家の近くですね。行きましょう」
帰る方向が一緒だとさりげなく装って、自転車をおこして歩きだす。
小野山さんは右足をかばうように歩いていた。もしかしたら、ずぶ濡れのズボンの下も怪我をしているかもしれない。
「小野山さんってスーパーオノヤマと関係あるんですか?」
何か話題を、と思った俺は妥当なことをきいた。
「実家だ。ついでに仕事も手伝ってる」
「へぇ、レジ打ちとかですか?」
「レジ打ちは基本だ。荷出しもするし、魚も惣菜もさせられる」
聞かれ慣れているのだろう。小野山さんは世間話のように返した。
「器用ですね」
「器用貧乏とも言う」
小野山さんの言葉で話は終わった。
あまり自慢に思っていないらしい。
さて、次は何の話をふろう。同じ学生なら――
「大学生、ですよね。部活はされてるんですか?」
あえて、同じ大学だとは言わない。食堂で経済学部棟から出てくる彼を見たことがあるなんて口が裂けても言いたくない。
俺の心境とは真逆の真顔で小野山さんは頷く。
「サークルなら入っている」
「へぇ、どんなサークルですか?」
「ボードゲームだ」
「企業でも取り入れられてるんでしたっけ」
「――それよりもずっと複雑で世界観が緻密なボードゲームだ」
「RPGみたいな?」
それがスイッチだったようだ。
小野山さんは一年に千以上のボードゲームが生まれることを説明したのをかわぎりに息をしているのかと心配になるほどなめらかに話し始めた。種類、世界観、アプリとの連携。
相づちだけで時間が過ぎる。彼の説明は初心者にもわかりやすくて助かった。
スーパーの駐輪場に自転車を置く。
ちょうど、最近プレイしたボードゲームの説明なっていた。複数のプレーヤーが違う角度から見た遺跡の迷路を完成させるらしい。聞いたかぎりではよくわからないが、熱っぽく語る小野山さんは楽しそうだ。きっと、そのゲームも面白いのだろう。
「すみません、そろそろ行かないと」
バイトをひかえた俺は、スーパーの駐輪場で話を聞く余裕も度胸もない。できたら卒業するまで関わりたくなかった小野山さんだ。バレやしないかと気が気でなかった。
買い物を終えた主婦と目が合う。
しまった、と思った。この人は、俺たちがどういうものか知っている。
「あら、王子たちって知り合いだったの?」
主婦はほほえましいものを見るように目を細めて去っていく。
俺は寒気がした。
対面するスーパーとコンビニを揶揄して、ほほえみ王子とスマイル王子なるものがいると聞いたのはつい最近のことだ。情報源は渡瀬さんだから、確かだろう。
『妹尾くんは営業スマイルが完璧だから、スマイル王子なんだって』と教えてくれた彼女に冷めた目を向けた記憶はまだ新しい。
瞬きを繰り返す小野山さんは俺を信じられないものを見る顔をして口を開く。
「……王子? 君、ほほえみ王子か……!」
「いや、ちが――」
「いつも噂で聞いていたんだ、まさか君だったとは……コンビニで会った時のようにニコニコしてないじゃないか。眼鏡をかけて服も違うし、髪は爆発してるし」
ぶつぶつと言い始めた彼に事実を教えることははばかられた。俺だってなんとも言えない気分を味わった。王子なんて柄じゃない。
「コンビニを出た時にも言われたんだ。『王子が密会してる』って」
「人違いじゃないですかね」
適当な笑顔でごまかす。もうやけくそだ。
前髪に隠された瞳が反射する。
「間違いなく君だったよ」
同じことを言い返してやりたかった。
(終)
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