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そこはかつて景観も良く、多くの人で賑わい栄えていた村であったが、今や見る影もない。人口は減り田畑は荒れ、草木は枯れている。そんな荒地に変化が起きたのは、ある春先のことだ。 少ない野菜の収穫を終え、少し早めの床につき、うつらうつらしていた青年、朔次郎(さくじろう)は村人のわあっという歓声にびくりとした。その直後、興奮した様子で隣住む少女、(さち)が、ばっと家の中に飛び込んできた。 「朔兄ちゃん!ねえ!起きて!綺麗なお花が咲いてるの!」 幸に手を引かれ渋々外に出た朔次郎の中にあった眠気は一瞬にして吹き飛んでしまった。 「…これは…何が起きたんだ。一体どういうことだ!?」 村の中心にある大きな木が花を咲かせている。幾本もある他の木と同じく、先程まで枯れていたはずだ。 「こりゃあ見事じゃ…こいつは枝垂れ桜だったんじゃな。とすると、この辺りの木々たちは(みな)桜じゃないかの?ほれ、見てみい。木の幹が似ておろう。これほどの数、一斉に咲いたらさぞかし綺麗じゃろうて。ああ。なるほど。それで――」 木の周りに集まっていた人の輪の中、誰にともなくそう言いながら深く頷いたのは、今年で九十歳になる村長の仁吉(じんきち)である。 「もっと近くに行こうよ!朔兄ちゃん!」 幸が目を輝かせながら、朔次郎の手を引っ張った。 沈もうとしている夕日のせいだろうか。ふと、風に揺すられた枝の一部がぴかりと光って、朔次郎は反射的に目を瞑った。その途端、ある記憶が脳裏に流れ込んできて愕然とする。 「いや…兄ちゃんはここで待ってるから。幸は父ちゃんと母ちゃんと一緒に見ておいで」 幸は「やだ」と言おうと朔次郎を見上げ口を開いたが、口をついて出たのは別の言葉だった。 「兄ちゃん、どうしてそんなに悲しそうなの?お花、嫌い?綺麗だよ?」 静かに頷いた朔次郎は繋いでいた手を離し、小さな背中を押した。背中を押された幸は、心配そうに振り返りながら両親の元へ戻っていった。 朔次郎は思い出していた。何故、この村から出られないのか。何故、この村の木が枯れているのか。何故、こんなにも胸が痛むのか。 「僕が願ったせいで。君の時間も!好きな花も!奪ってしまったのに!それでも…約束を果たしてくれるのか…?もう一度、君に会えるのか…?」 ――ねえ。そんなに落ち込まないで。兄様だけが悪いわけじゃない。もしまた花が咲いたら笑ってくれる?そんなことができたら、また会うことだってできる気がする。何とかなるかも。ほら私、兄様とだから。約束よ。 拳を握って俯き涙を流す朔次郎の中で響いたのは一緒に育てられた妹、(りん)の声だ。 二人が出会ったのは、この村が、その名に相応しく華やかに栄えていた頃――朔次郎が咲夜(さくや)だった頃のことである。
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